浮気未遂

 とある飲み会で知り合った男に一目惚れしてしまった24歳の女がいた。



 その男には、遠距離恋愛中の彼女がいた。彼は、顔もスタイルもいい、仕事はいたって普通のサラリーマン。清潔感やコミュ力などを一般的に兼ね備え、気遣いもそれなりに出来る本当にまじめで優しい男であった。



 そんな彼だったが、食事に誘うと必ず付き合ってくれた。会えない彼女に愛想をつかしたのか、それとも自分をいい女だと思ってくれているのか。いずれにせよ、今のカレシと別れたい彼女にとっては都合のいい話だ。



 飲み会に来て、あまつさえ二人きりの食事にも来てくれる。セフレにしたいだけならば、一度目で既に手を出されているに違いない。ならばきっと、彼は私のモノになるに違いない。



 そう思って、彼女は今日の食事の後に彼を誘ったのだった。



「……あぁ、俺ってあなたからそういう風に思われていたんですか」

「うん、私だったら君に絶対に寂しい思いなんてさせないよ」



 酔った勢いで、彼女は彼の手を握った。今ここで押さなければ、きっと後悔することになる。



 そう、直感したからだった。



「まぁ、普通にキモいですね。あなた」

「……へ?」

「俺、彼女いるって話してますよね。あなただってカレシがいますよね? もしかして、俺に浮気をしろとほざいているんですか?」



 厨房で、皿が割れた音が大きくした。どういうことか、店内のBGMも止まった。それに伴って、暗い店内は静寂に包まれる。



 水道から流れる水の音だけが、店の中に響いていた。



「い、いや。その」

「勘違いさせてしまったのなら申し訳ない。ただ、あなたの誘いに乗ったのはあなたが取引先の会社に勤めているからです。そして、普通の知能を持っている人間なら他人の男に惚れるなどありえないと思っていたからです」

「ちょ――」

「買いかぶっていました。あなたを普通の人だと思って接していた俺が悪かったです。世の中には人以下のカスがいるってことを、もう少し考えてみるべきでしたね」



 店内の、誰も喋っていない。壁に仕切られた個室の向こう側で、客たちが聞き耳を立てていることは火を見るより明らかだった。



「だって、私たちって話も合うよね?」

「合わせていたんですよ、仕事だと思って。なんですか、カフェ巡りって。普通の仕事をしてる男がカフェ巡りなんてするワケないじゃないですか。料理が運ばれてきたらパシャパシャ写真撮ってインスタにアップして、ずっとキモいと思ってましたよ」

「な、な、なんで言わなかったの?」

「それが現代の当たり前になっているからです。普通の人間は、そーゆーハエみたいな生き物を見てもキモいと思いつつ黙っているだけです」



 そして、男は自分のスマホを取り出してテーブルに置いた。女は、ようやく状況を飲み込んだようで涙を流した。



「あなたのカレシが、本当に可哀想だと思います。早く別れてあげた方がいいんじゃないでしょうか」

「な、なによ! あんたのカノジョだってどーせ向こうで別のセフレやカレシを作ってるから!」

「狂ったあなたの感覚に基づいた憶測に過ぎませんし、仮に本当にそうだとしても俺がカノジョを裏切っていい理由にはならない」

「なによそれ! というか、あんた何様なワケ!? 女と二人で飲みに来ておいて絶対に下心がないなんてありえないから!」

「ならば、あなたからカノジョに確認してもらっても構いません。試しに、『あなたの男は私と浮気していますよ』とでも言ってみたらいいんじゃないですか?」

「ふざっけんな! つーか、あんたなんて別にいい男でも何でもないから! 何をエラソーに説教なんてしてくれちゃってるワケ!?」

「説教だと捉えるのは、あなたにやましい心があるからでしょう。よかったですね、まだ人に戻れるかもしれませんよ」



 そして、男は立ち上がってジャケットを羽織った。



「……会社にあんたの悪い噂流すから」

「構いません。カノジョを裏切るくらいなら、あなたの会社以外で結果を出します。無理だったら責任取って辞めます」

「はっ、ウチの会社と同じ成果なんて無理に決まってるでしょ。今の仕事をやめてもその女と付き合ってられるとでも思ってんの?」

「分かりません」



 鞄を手に持ち、簡易的な襖を開ける。



「なんで、そんなに信じられるのよぉ……っ」

「好きだからです」



 たった一言だけを言い残して、男は店から去って行った。



 女は、一人で泣きじゃくっていた。スマホに映し出されているのは、とあるラインのやり取りのスクリーンショット。



 カレシとその浮気相手のモノ。タイムラインには、ハメ撮りの写真まで載っている。



 ……。



「なんで……っ」



 あんたのカノジョだって。



 自分がそう声を張り上げたのを思い出して、本当はただ羨ましかっただけで、そんな男に好かれて幸せになる相手の女に嫉妬して、許せなくて。



 全部が、ただの八つ当たりだったという事に、彼女はどうしようもなく気が付いてしまったのだった。



 男は、会社を辞めることはなかった。

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