男の幸せ

 女の幸せは『結婚』である。



 ……というのは、本質的な答えではないと俺は思う。



 要するに、不安のない生活を生きることこそが女が結婚を求める理由であり、欲しがっているモノを極限まで還元すれば残るのは『男』ではなく『安心』なのだろう。



「なるほど、一理あるわね」



 とある日。



 俺は、紗栄子先輩とカフェで午後の講義が始まるまで暇を潰していた。そんな時、先輩がふとした思いつきで『女の幸せ』とやらを聞いてきたから、何となく頭に浮かんだテキトーな考察を返したところだ。



「まぁ、共感とか子育てとか。そういう受動的な願いが強いほど結婚願望も強くなるでしょう。現代では共働きが主流とはいえ、危険のない状況で平和に生きていられるなら、それが最大公約数的な幸せになるんじゃないでしょうか」



 そして、紅茶を一口。紗栄子先輩は、なんだか頭の良さそうな顔でフムフムと頷く。ネタがネタだけに、逆にバカっぽくてかわいいと思った。



「相変わらず、根拠を語らせたら右に出る者はいないわね。今度、共同執筆で恋愛心理学を題材に論文書きましょうよ」

「ただの閃きと無駄知識の繋ぎ合わせですが、手伝いますよ」

「んふふ、ありがとう」



 俺は、きっと傍目からすればモロバレなレベルで紗栄子先輩が好きだから、論文執筆とかいう割とテンションが下がるイベントにも喜んで参加する事にした。



 楽しみだ。



「……それじゃ、、男の幸せってなに?」

「好きな仕事をするとか、社会的に成功することとか、それこそ家族を守るとか。羅列すると、安心とは程遠いところに幸せを感じてる感はありますね」



 翻って、俺はどう思っているだろうか。



 さっきの論文の例に倣うなら、俺の幸せは紗栄子先輩の幸せだ。彼女が笑っていればそれでいいし、そのためなら身を捧げる覚悟も出来るんだと思う。



 ……これを、自分の幸福と紐付けられる要素か。



「つまり、危険に酔いしれるナルシズムじゃないですか?」

「ど、どういうこと?」

「強い力とか、ハーレムとか。これって、さっきと同じように極限まで還元してみると誰かに攻撃される原因に行き当たるじゃないですか。生きるだけなら、女と同じように安心出来る環境に身を置けばいいのに、そういうのに満足出来なくて男は破滅していくワケじゃないですか」

「あぁ、言われてみれば」

「だから、『不安』。言葉を変えるなら『刺激』ですかね。そういうモノに、男は幸せを感じるのかと」



 今の発言、彼女に嫌われる可能性があった。



 女を物扱いしてると勘違いされても文句の言えない理論だった。それなのに、俺は現状と彼女からの好意を得るチャンスを天秤にかけてキャンブルをしたのだ。



 ……ふふ、なるほど。



 危険に酔いしれてるってのは、案外的を射た意見なのかもしれない。



「でも、今は色んな生活があるわよ。男だからって働いて家族を守る役割があるというのは、少し押し付けがましいんじゃないかしら」

「合理性が関係してると思います。自分より明らかに優れている女の人が相手なら、自分が働くよりも女の幸せを得られるワケですし。主夫が料理を異常に凝ったりする事だって、手繰っていけば冒険の一つと言えませんか?」



 あくまで慣例であると伝えると、彼女は再び興味深そうに俺の目を見つめた。説明するためのIQが吸い取られそうなくらいかわいいと思った。



「なら、女に貢がせたりDVするようなヤバい男は?」



 理性を失った人は人ではない。



「……と、切り捨てたいところですけどね。意識的にしろ無意識的にしろ、結局『私がいなきゃダメ』という安心感を与えているワケですから。そういう意味では、『本当はやりたくないけど仕方なく』だなんて嫌な役割を請け負ってるとでも思ってるんじゃないですか?」



 知りませんけど。



「まるで、君が実際にDVをしてきたかのように的確なアンサーね。もしかして、実は酷い人なの?」

「本気で言ってるんですか?」

「ふふ、そんなワケないでしょ。バカね」



 そして、紗栄子さんは俺のデコを人差し指で突っついて笑った。



「大学に戻りましょう、そろそろいい時間だわ」

「そうですね」

「放課後は暇?」

「いえ、今日はバイトがあります」



 すると、彼女は突然立ち止まり。



「来月からちょっと減らしてね、私が安心出来ないから」

「なぜ、安心出来ないんですか?」



 冒険の時間だと思った。だから、少しくらいは攻めてやろうと思って、手を掴み少し強引に引き寄せる。



 思ったより、紗栄子先輩の体は軽かった。吐息が、すぐそこにある。



 ……しかし。



「論文のコンクールの期限、守らないと無効になっちゃうでしょ?」



 妖しく微笑んで、俺の手をスルリと離すと静かに歩いていった。



 いつか自己陶酔が冷めて、黒歴史になる前に何としても彼女を手に入れたいと強く思った。

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