肉食メンヘラ

「なぁ、この後暇か?」

「はい、なぜですか?」

「飯行こうかと思って。普通の居酒屋なんだけど、一緒にどう?」

「いや、食べたいのあるなら私の家で作りましょうか?」

「……ん?」



 とある日。



 仕事を終えた青田は、同じように残って残業していた後輩の桃井に声をかけたのだが。予想外の返事に戸惑っていた。



「どういうこと?」

「明日は土日じゃないですか。なので、酔っぱらっても泊っていっていいですよ」

「いや、俺の話聞いてる?」

「先輩、お酒あんま強くないですもんね」

「おい」



 彼の反応から分かるように、二人は恋人同士ではない。当然、青田も「何となく好かれている気がする」とは思っていたが、それはあくまで仕事で頼りにされている程度だと思っていた。



 そう思うくらい今日までイベントがなかった上での、桃井の唐突な提案だったのだ。



「え? なんですか? 私の事、誘いましたよね?」

「飯な」

「男の人って、疲れてる時ほど生命の危機を感じてエッチしたくなるらしいじゃないですか。つまり、どうせカレシいない歴=年齢の拗らせメンヘラ処女である私は強がってる割にチョロいので、先輩の口車に乗せられて今日ヤラれちゃうじゃないですか」

「お前の世界の男ってどうなってんだよ」

「だったら、最初っから私の家に来てくれればいっかなって。ついでに、ヤリ捨てされないように餌付けしておこうかなって」



 青田は、ちょっと怖くなったため彼女をスルーしてオフィスの外へ向かった。結構努力して入った会社だったから、そんな痛い妄想で男を見てる桃井と同じ程度の賢さしかない自分に少しだけ悲しくなった。



「いやいや、いやいやいやいやいやいやいや。先輩、待ってくださいよぉ。私のお家に来てくださいよぉ」

「行かない。今日のことは忘れてやるから、お前はどこかで格好のいい男でも探せ。そして、世の中の普通の男の正体を教われ」

「世の中の男がどうじゃなくて、先輩がいいって話なんですけど。その辺のこと、ちゃんと分かってます?」

「俺が悪かった。もう許してくれ」



 しかし、ガッチリと腕をホールドされゴネられて、おまけに運悪くビルの前を通りかかった社員たちが二人の姿を目撃してしまった。青田はそれなりにクールで頼られるキャラなため、女子社員と一見イチャついてるっぽいシーンに驚かれたらしい。



 ましてや、相手は桃井である。桃井も桃井で、課内のメンツから「大人しいけど天然な不思議ちゃん」と称されているため、興味が尽きない組み合わせだったのだろう。



「来週には噂になってますよ、きっと」

「そこまで計算出来るのに、なんで男のことを何も知らないんだよ」

「周りが悪いんです。私、幼い見た目のせいで女の友達に甘やかされて『桃井ちゃんはこんなこと知らなくていい』と言われ続けたんです」

「お、おう」



 妙に興味を引く語り口で、思わず聞く返す青田。



「同性に囲われたら、同じ学科の男の子は近寄れないじゃないですか。しかも、私のことを知らない人は私を未成年と思うじゃないですか。こんなナリですから。すると、ナンパとかもされないじゃないですか」

「そうなの?」

「はい。なので、私の知識は少女漫画とアニメと乙女ゲーだけになっちゃったんです。なんすか? なんか文句あるんすか?」

「いや、まだ何もいってない」



 女の敵はやっぱり女なんだなぁと、少しだけ桃井を同情する。



「というか、私の純情を弄んだんですか? 言っちゃ悪いですけど、私みたいな女に優しくする先輩のせいですよ?」

「とんでもない言いがかりだな」

「いいですか? 先輩を逃したら、もう私はロリコン趣味のおじさんのペットになるくらいしか道が残されていないんです。先輩が私の王子様になるしか、私が幸せになる方法がないんです」



 一から十まで淀みなく言語化し説明出来る頭の良さを聞いて、神様が与える才能を間違えたのだろうと青田は思った。



「そんなことないから、大丈夫だから」

「大丈夫じゃないです。私、『かわいい』とか『好き』とか言われたら絶対に惚れちゃうので。マジで危ないので、保護してください」

「なんで分かるんだよ」

「先輩が、『桃井は結構かわいいところある』って他の先輩に行ってくれてたの聞いちゃったからです」

「経験則かよ!」



 しかも、文脈や意味すら考慮されていないのであった。



「好きです、大好きです。同じ墓にいれてくれるか、ずっと私のご飯を食べるか選んでください」

「選べねぇよ」

「あ〜、この歳までカレシいたことないけどな〜。失恋したら、あまりのショックに鬱病になっちゃうかもな〜」

「お前は絶対にならない、俺が保証する」

「ずっと一緒にいてくれるってことですか?」

「お前のハートはそんなに弱くねぇってんだよ!」



 ……しかし、この妙な罪悪感はなんだろう。



 青田は、そんなことにはならないといいつつ、あまりにも素直な彼女の気持ちに面食らって「もしかすると」なんて不安に包まれた。



 すべてが本音だと分かったから、その後の彼女の妄言にもリアリティがある。自分のせいで、後輩が変な奴に掴まって不幸になったらどうしよう。



「先輩?」

「……はぁ。もういいよ、分かった。俺の負けでいい」

「先輩は勝ってますよ? 私、むしろ先輩に負けたいですから」

「やめろ、恥ずかしい」



 そして、二人は居酒屋へ向かった。



 数週間後には、桃井が不思議ちゃんと称される事はなくなっていた。

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