第3話 招かれざる参列者
千坂夫婦が古民家を改修して住んだ家の広間に、遺骨のない祭壇が設えられた。千坂亮治の遺影が参列した人々を笑みで迎える祭壇だ。葬儀を行うことは公にしなかったので、参列しているのは極身近な者たちばかりだった。
――ポクポクポク……、僧侶が打つ
朱音は、癌と闘う日々の夫がいずれその病で命を落とすことを覚悟していたが、遺体の無い葬儀を出すことになろうとは考えたこともなかった。
形はどうあれ、予想していたように夫は逝ってしまったのだが、いざ、葬儀で夫が他界した現実を受け入れようとすると、世界が不意に
読経が済んで僧侶が帰った後も、喪主の朱音が口を開くことはなく、両親の吾妻哲明と知世があれこれと参列者の対応にあたった。
「千坂さんも運がないな。3.11では原発事故で、今度は核ミサイルだ」
隣家の佐藤老人が大きな声で言うとその娘が「シッ!」とたしなめた。
長く放射線による被害に苦しんでいた千坂が、核攻撃によって他界したのは何らかの因縁なのか……。居合わせた人々は同じように考えた。
「佐藤さんのおっしゃる通りです。夫の人生は、放射能と二人三脚で歩くようなものでした……」
それまで黙っていた朱音は、ぽつぽつと語り始めた。
「……3.11のあの日、日本は核の力でリセットされていたのです。でも、私たちはそれに気づかずに進み続けた。いえ、気づかないふりをした。政府が、陽射しの指す出口を見つけてくれると信じたのです……」
朱音は、そこに政府関係者がいると知っていて、ゆっくりと参列者たちに眼を向けた。
「……多くの人は、原発というトンネルに出口がないと知っていたし、進んではいけないと言う人もいた。その先には何もなく、結局、後戻りをしなければならないといけないと叫んだ。その叫びを私たちは聞いていた。でも、それは狂人の叫びだと考えた。なぜなら、政府がこの道しかないと声高に言い、それを信じた人の数が多かったから。……あなたも進んではいけないと知っていた人たちの1人でしょうね……」
朱音は、後方に座る中年男性に向けて言った。
「……多くの人は、ススメ、ススメと歌っていた。一緒に進めば経済は成長し、明るい未来があると信じていた。……原子力発電所が止まったあの日、私は小学生だった。世界がリセットされたなんて知らなかった。父と母は水と食べ物と電気の心配はしたけれど、それは、長くは続かなかった。……結局、日本は、まだ豊かだった。核の
朱音は祭壇に眼をやった。彼が微笑んでいる。
「……千坂は、いつも未来のことを考えていた。SF作家だから当たり前だと人は言うけれど、それは逆だと思う。彼には考えなければならない理由があった。……千坂はあの日、放射性熱傷を負い、ひとり、出口の見えないトンネルをさまよっていたのだから。……彼はその傷で未来を失った。子孫を残す肉体も意思も失っていたし、自分の命そのものだって、いつ失うのかわからなかった。だから彼は、未来を考えた。彼は、私を導くために作品を書き続けた。彼は、幸せだったのか?……私には、良くわからない……」
朱音の頬が濡れた。とっくに
「子供を残す力がないって?」「娘と息子がいるじゃないか?」「意思だろう?」「肉体と言ったぞ」
ヒソヒソと話す声があった。
「もういい」
哲明が朱音の肩を抱いた。葬儀を終える、と彼が宣言し、参列者たちは浮かない顔で腰を上げた。
ほどなく、朱音の家族と2人の中年男性だけになった。
男性の1人は核物理学者で、〝廃炉システム開発機構〟の理事長を務めている
朱音と岩城は学会であいさつを交わす程度の関係だが、昨年から仕事を依頼したい、と打診されていた。しかしそれが特殊な生命の創造だというので、朱音は詳細を聞かずに断っていた。彼の依頼が倫理的な問題を抱えていると、さすがの朱音も察していた。
今日、どこで葬儀のことを聞きつけたのか、彼は突然やって来た。
もう1人の男性も、顔だけは良く知っている人物だった。民自党の
「千坂博士のおっしゃることは良くわかります。私もまったく同意見です」
政治家らしく厚顔な白石総理が、
「千坂氏も、原発には異論があったのでしょうな」
岩城が千坂の遺影を見上げた。
「どうでしょう。彼と原発について話し合ったことはありませんから」
朱音の返答に岩城が目を丸くした。被爆による後遺症に苦しむ夫婦なら、当然、話し合っているものと考えていたのだろう。
「千坂はいつも人間のことしか考えていませんでした」
「それは千坂博士のことではないのですか?」
「私が考えるのは人間の肉体です。千坂が考えるのは、人間の生き方についてでした」
「なるほど……」
白石総理が線香に火をつけた。煙がゆらゆらと昇り飛散する。
「……自分より15歳も若い千坂さんが煙のように、もう人の手の届かないところへ行ってしまった。信じられない思いです」
彼が見え透いたことを言った。
「原発のことは話しませんでしたが……」
朱音の視線は、線香の煙を追っている。
「……使用済み核燃料の保管方法について語ったことがあります」
「そ、そうなのですか?」
岩城が顔を歪めて前のめりになった。彼は廃炉の責任者だ。正確には、順調に進まない廃炉作業を途中から引き継いだ。そうして一時は廃炉作業が進んだかに見えたが、大きな問題に直面して停滞していた。
問題の一つは、メルトダウンして溶け落ちた硬い燃料デブリの回収のめどが立たないことだった。特に基礎のコンクリート部分に溶けて食い込んだデブリは、遠隔作業で回収するのは難しい。小さなロボットでは100年単位の作業になると考えられた。そこで、巨大なヒトデ型のロボットで上部から露天掘りのように削り取り始めたのだが、そのロボットが核容器内で故障し、身動きの取れない状態に陥っていた。
もう一つは、使用済み核燃料と解体した原子炉の廃棄物の保管先だ。それが決まらなければ解体した原子力発電所の敷地は、結局、高放射性廃棄物の中間保管施設として半永久的に利用され続けることになる。
そこに4月戦争だ。核攻撃によって新たにメルトダウンした原子炉が倍にも増えた。そこへは近づくことさえ難しい。そこで岩城が目をつけたのが、朱音が持つバイオ技術だった。
朱音の唇は静かに言葉を紡ぐ。
「廃炉作業のテレビ番組を視ていた時です。地層処分に対して疑問を口にしました。……日本の地下はプレートが複雑に重なっている。数万年の間にいつ岩盤が分解するか予測できない。第一日本人は、喉元を過ぎれば熱さを忘れる。利益でもない限り、地底に放り込んだ核廃棄物を管理し続けるのは困難だろう。安定した管理をするなら、地中より目に見える地下水脈の方が低コストで安全を確保できる。廃棄物を容器に密閉して、水脈に沈めてはどうだろう。……そう言っていたと思います。私が記憶しているのはそれだけです」
「そうでしたか。確かに
岩城がつぶやくように言って、千坂の遺影に手を合わせた。
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