第2話 祈り
桜公園で事件に遭遇した千坂亮治の妻、
ミサイル攻撃のあった日、彼女は研究所にいて、いつものように新しい命の創造に携わっていた。ずっとラボに閉じこもっていたので、事件を知ったのは午後1時を過ぎた後だった。
慌てて福井県を旅しているはずの夫に電話し、メールを送った。
「どうしたの。電話に出て!」
彼女はスマホに向かって焦りをぶつけた。
何度、同じことを繰り返しただろう。電話は通じず、メールの返信もなかった。
通信インフラが大きなダメージを受けているだろうから、連絡が通じないのは仕方がない。スマホが壊れた可能性もある。怪我で入院し、身動きが取れない状況なのかもしれない。……様々な可能性、それも夫の生存を前提にしたそれだけを考えた。
メディアのニュースは日米両軍が反撃を開始したことと、被害エリアとその居住人口が40万人にのぼることを報じていた。その生死については触れられなかったが、そのエリアで生き残るのはよほどの幸運だ、と解説者たちは40万人の死を、言外にほのめかしていた。
40万人もの人間が死亡した可能性がある。そこで彼の生きている可能性は……。その先を考えるのは、朱音には難しかった。
逆に、彼が40万分の1の可能性は高い。……無意識の内に覚悟していた。
翌日から仕事を休んだ。家にいるのは、第三者からの通知の可能性を考えてのことだ。母の
何者かからの連絡を待ちながら、何度も、何度も、夫のスマホに電話を掛けた。それは常に『電源が入っていない』と答えた。
朱音は、時おりテレビやインターネットのニュースに目をやったが、どれもこれも被害が甚大だと報じるだけで、千坂亮治の安否の手掛りになるようなものはなかった。
子供たちは父親の身に何かが起きているのではないかと、すでに感じ取っていた。
「ママ、大丈夫?」
それは父親ではなく、不安に
朱音は絶望の中で、夫の帰りを祈った。
§
ミサイルを発射したとして、日米同盟軍はN国へ反撃を開始した。N国は攻撃の事実を否定したが、日米両政府は戦闘を続行、2週間後にN国は降伏した。メディアはこの戦争を〝4月戦争〟と呼んだ。
この4月戦争で40万の日本国民が犠牲になった。関連する原発事故による放射能障害による死者を含めれば100万人を超える。
放射線量が高いために福井県一帯は民間人の立ち入りが禁じられ、死傷者の救護には自衛隊が当たった。戦争と救護の両面作戦は過酷だった。世界各国の核戦争に対応可能な部隊の支援も受けたが、被災エリアは広く人手は足りない。
生存者の救出、遺体の回収、火災消火、原子炉の冷却、汚染物質の回収、仮設住宅建設、支援物資の運送。……政府がやるべきことは沢山あったが、人材と財政、技術力には限界があり、出来ることは少なかった。
メルトダウンした北陸地方の原子炉が放射性物質を吐き出し続けている状況での救助活動は遅々として進まず、死者は増える一方だった。政府とメディアによって、人々の敵意はN国に誘導されたが、その国家は既にない。
全ての日本国民は何らかの形で被害者であり、心に黒い傷を負っていた。
6月になっても、千坂亮治の安否は不明だった。現地は立ち入り禁止のままで彼の足跡を追うこともできない。じっと悲報を待っていては、確実に心を病んでしまうと朱音は感じ、家で待つことを止めて働き始めた。
研究所では、研究者も職員も温かく迎えてくれたが、優しくされるほど彼らに負担をかけているとわかり、何か後ろめたいものを感じた。それでも、研究に没頭すると全てを忘れてしまう。朱音はそんな人間だった。
朱音がそうであるように、多くの国民が日本復興のために仕事に戻り、かつての日常を取り戻し始めた。月日の経つのは早く、12月にはクリスマスツリーが飾られ、正月は神社が賑わった。
3月初旬、世の中が卒業式や受験、就職でざわついている時、遺体の見つからない被害者に対する説明会が各地で開催され、朱音は横浜会場に足を運んだ。
「……見つかっても、遺体の放射線量が高く、お返しできないご遺体もございます」
壇上の役人が説明すると人々はざわついた。
「もちろん……」役人は声を張り上げた。「……所持品等で氏名の特定できた方々には通知いたしております。ここにお集まりの皆様のご家族、ご親戚のご遺体は、見つからないか、所持品をお持ちでなかったのでございます」
役人の異様に丁寧な口調が、会場をシンとさせた。
1人の男が立ちあがる。
「遺体があれば、歯型やDNA鑑定で、個人を特定できるのではないですか!」
それは、質問というより、抗議にも近い言葉だった。
「身元不明のご遺体は18万体ほど確認されております。仮安置する場所などもありませんでしたので、全て
それから、死亡届を出すのか、行方不明者として納得できるまで待つのかは、遺族それぞれの判断に任される、といった手続きの説明があって説明会は終了した。
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