桜、燃ゆ ――2031――

明日乃たまご

第1話 桜公園

 小説家の千坂亮治ちさかりょうじは原子力発電所の取材で福井県を訪れていた。ちょうど桜の花が見ごろを迎えていて、小高い丘にある桜公園には花見客が多かった。


 公園の北面には春陽にきらめく若狭湾があり、青空と共に淡いピンク色の桜の花を引き立たせていた。


 思わず、声も漏れる。


「気持ちのいい陽気だ」


 千坂は一本の老木の側に立ち、カメラのレンズを遠い海に向ける。地球が作り出した自然の美を、海岸に並ぶ原子力発電所の建築物の数々が台無しにしていた。


 2011年の福島第一原子力発電所の事故を受けて福島県内の原子力発電所は全て廃止された。その時、2030年までに日本中の原子力発電所を廃止すると、時の政府は決定した。しかし、後の政府が方針を変えて原発は存続した。その多くが原発銀座と呼ばれる福井県沿岸に集中している。


 日本の原子力発電事業はトイレのないマンションと言われている。使用済核燃料の最終処分場がないからだ。そしてそれを良しとし、いや、多少の後ろめたさはあるだろうが、そうした課題は自分以外の誰かがするものだとでもいうように、原子力事業を推進する政治家、企業体、科学者、そして地元自治体などが一体となって原発を運転している。


 原子力事業によって利益を得ている者たちの集まりを原子力村というが、千坂から見れば、原子力村こそトイレのないマンションなのだ。そこの住人がどこまでの範囲の者が含まれているのか、それは明確ではない。原発があれば、地域の飲食店やホテルなどにもそれなりの恩恵がある。原発に関わる交付金や固定資産税で地方自治体が潤うということは、そこで暮らす市民全員が原子力村の住人か?……さすがにそれは広げ過ぎだと千坂は思う。そこには原発に反対する住人がいる。心理的には、彼らは被害者だ。


 いずれにしても、原子力村の者たちは、使用済核燃料の廃棄コストを次世代に後送りし、国家や国民の利益を度外視し、自分たちだけが今の甘い汁を享受きょうじゅしている。彼らがどんな気持ちでそれと向き合っているのか、取材の目的はそれを知ることだった。


 カメラを通してみる発電所の建屋は、一つ一つは手に乗せられるほど小さなものに見えるが、無機質な外壁や鉄塔は、自然のフレームに収めるには違和感があった。


 風はなく、桜の花びらが時折ハラハラと重力に引かれて落ちた。数日たったなら、花弁は花吹雪となって数キロも離れている発電所まで旅するのだろう。想像すると大自然の寛容さに頭が下がる。


「あの建物が、すべて花弁にうもれたら……」想像を口にすると胸が躍った。


 桜は、散りぎわいさぎよいから日本人が好むと言われるが、違うと感じた。それは、一輪一輪の花に華やかさがなくとも何千、何万という花が群れ集まることによって美しくなり、そして散る時がきたら一斉に散る。多くの花が足並みをそろえて変化する姿に、集団行動を好む日本人の感性が共鳴するのだろう。


 視線を公園内に戻し、花の下に敷物を敷いて弁当を広げる親子に眼をやる。


 なんと微笑ましい風景だろう。ここには桜にも負けない生命の営みがある。……千坂は、眼を細めた。


 ――ワァンワァンワァン――


 突然、スマホが鳴る。緊急避難速報だった。


 ――ウーン、ウーン――


 原子力発電所は遠かったが、そこで鳴るサイレンの音もはっきりと聞き取れた。


「地震?」


 学生の頃、東日本大震災を経験した千坂は背筋が凍るのを感じた。


 桜公園にくつろぐ人々も、ただ戸惑うばかり……。子連れの親は自分の子供の名を呼んで抱きかかえ、不安そうに周囲に眼をやった。


 誰もが地震を予想していて、ミサイルが飛んでくるなどと想像もしなかった。


 突然、世界が真っ白になる。あらゆる生命の連鎖を断つ閃光せんこうだった。それは海を押しつぶして干した。


 熱波と衝撃波が公園を襲い、満開の桜の大木をなぎ倒す。あるいは焼いた。


 つい先ほどまで桜を楽しんでいた人々は、男性も女性も、大人も子供も、悲鳴を上げる間もなく、この世を去った。ある者は溶けて、ある者は吹き飛ばされて、ある者は押しつぶされて……。


 山も森も、街も焼けて、大地は黒く焦げて異臭が世界をおおった。


 桜公園に残ったのは、深く根を下ろした、片面が焼け焦げた桜の幹ばかりだった。


 ――朝鮮半島付近から3発の核ミサイルが日本に向かって発射された。それが日本へ届くのに、たった10分ほどしか要しない。沖縄と立川の米軍基地に向かったミサイルは迎撃、爆破されたが、撃ち漏らした1発が福井県の原発上空で炸裂さくれつした。――ニュースが報じたのは半日も過ぎた後だった。


 一見、頑強で無事に見えた原子力発電所の中核、原子炉建屋だったが、核爆発で発生する電磁パルスはありとあらゆる電子機器を破壊していた。そうして多くの原子炉が、あるいは核燃料プールが、コントロールを失った。原子炉が次々とメルトダウン、使用済み核燃料は冷却不能となって核燃料プール内で再臨界さいりんかいが始まった。


 原子炉で何が起きているのか、誰にも何もわからなかった。計測機器が破壊された上に、それを確認する職員の多くが中性子線をあびて即死状態だった。


 そこは原子力発電所が密集する原子力銀座。原子炉内の放射能が漏れだせば、北陸、関西の両地区は深刻な放射能汚染にみまわれる。ミサイルの核爆発による死傷者の捜索にあわせ、当該とうがいエリアの住民の避難が急務だった。


 そして、実際、原子炉の崩壊ほうかいと大量の放射性物質の拡散が始まった。琵琶湖は汚染され、関西地区の多くの市町村が飲料水を失った。


 桜散る。……人々の死は一瞬だったが、残されたは決して美しくはなかった。焼け焦げた遺体。風圧で目玉の飛び出した遺体、……肉が削げ落ちて骨がむき出しになった怪我人。皮膚が溶け、ただれ呻く怪我人。外傷はないのに高熱をだして血を吐く病人。……水を求めて彷徨う犬、猫、豚、牛、猪。……炎を上げて燃え続ける家屋や山林。……溶けて歪んだ鉄道に鉄塔、アスファルト道路。……タイヤが溶けて連なる自動車の車列。


 灰色の恐怖と憎悪を見る者は、世界の終わりを確信した。彼らは希望を求め、西へ東へと避難を試みた。


 民間航空機は、報道機関のヘリコプターも含め、被災地上空を飛ぶことを禁じられ、徹底的な報道管制が敷かれた。被災地の情報は、政府発表のわずかなものと、命からがら逃げることに成功した住人が発するものだけだった。

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