第50話 女子校教師「ラブホ来ちゃった……」

 先生に促されてお風呂に入る。


 ちゃぷちゃぷ……。


 浴槽に張ったお湯の跳ねる音。


 ラブホテルのお風呂って大きいなぁ……。


 それが初めて来たラブホテルの感想だった。


 ひとしきり泣いて涙が引っ込むと先生は湯船に浸かるよう優しく勧めてくれた。身体が冷え切って暖を欲していたのでありがたい限りだが、それは先生も一緒なはず。なので先生に譲ろうとしたが、それは固辞された。

 何がなんでも私を優先しようとする優しさ。


 嬉しいけど……怖い……。


 先生にいっぱい心配かけて、迷惑かけて、危ない目にも合わせてしまった。


「今度こそ……愛想尽かされたよね……」


 優しくしてもらったのにその優しさが遠ざかってしまう気がして怖かった。


 私に唯一愛をくれたおばあちゃんが遠くへ旅立ってしまったように、先生も私の前から遠ざかるんだ。


 涙が頬を伝って顎に至り、耐えられず浴槽に落っこちる。儚い音を立てて涙はお湯に混ざって溶けて消えてしまった。


 *


「先生、上がりました。お次どうぞ」


「お、おう……」


 脱衣所へ続くドアから五十嵐が出てきた。


 ボタンのほつれたワンピースではなく、ホテルのアメニティバスローブを身に纏っている。ほんのり上気した頬はゆで卵の表面みたいにぷるっとしており、どこか色っぽい。


「風邪引く前にどうぞ」


 五十嵐の顔を直視できず、勧められるまま俺は逃げるように脱衣所に駆け込んだ。そしてぐっしょり濡れたワイシャツやスラックスを脱ぎ捨てて浴槽に浸かった。

 冷えと疲労で錆びたような身体にお湯が染み渡る。


 手のひらの傷は風呂に入る前に簡単に手当てを済ませた。と言っても消毒もバンドエイドもないため水で洗い流し、新品のタオルで押さえつけただけである。血だらけのタオルを見た清掃員の驚く顔を想像したら申し訳なくなる。別のことを考えよう。


 この風呂に五十嵐も浸かったのか、とどうでもいいことを考える。

 ……なんで俺は教え子の残り湯に浸かってるんだ?


「つーか俺、五十嵐とラブホに来てるのか……」


 今更ながら気づいた。ついさっきまで命に関わる危機に瀕していたため感覚が麻痺している。

 ラブホテルは言うまでもなく逢瀬の場だ。そこでは当然男女が裸になって淫らな行いをする。そんなところに女子生徒とチェックインするなんて……。


「あれー……もしかしてやばい?」


 疲れと共に体力がお湯に溶け、思考が定まらない。もしかしなくても激ヤバなんだけど、その割には危機感が薄い。

 全力で走ったり、怖い人達から追いかけられたり、安堵した直後に感情的に怒ったりと俺の心はジェットコースター。そのせいでまだ思考回路が麻痺しているのだ。


 あるいは欲求という別な感情が勢力を拡大しているせいだろうか。


 あの五十嵐とラブホテルにいる……。


 繰り返すがラブホテルは男女の秘め事のためにある場所だ。

 お互い生まれたままの姿になり、肌を擦り合わせ、身体で愛を確かめ合う場所。


 ピーン!!


 邪な妄想に反応した息子が水面下で敏感に反応した。ギンギンである。

 その上、この頃忙しかったし、五十嵐が心配でろくに性欲処理してないのではパンパンだ。


「こんな状態で表出て大丈夫なのか、俺……」


 さっき見たバスローブ姿の五十嵐に何も感じないはずはなかった。ほんのり赤くなった五十嵐の頬は艶っぽく、大人の女の色気を醸していた。


「相手は生徒だぞ……。鎮まれ、俺の身体!」


 両手で必死に押さえつけるが全く収まる気配がない。それどころか餌を前にした獣のように獰猛さを増していた。


「いっそここでヌいてしまうか……。いや、さすがにそれはダメだろ!?」


 ここで処理してしまえば過ちを犯すことはあるまい。だがそれはそれで大事な何かを失う気がする。

 耐えるしかないんだ、数彦よ。


「よし、フィボナッチ数列を数えよう! 一、一、二、三、五、八――」


 忘れろ、五十嵐のことは忘れろ。

 この二週間の間にあの子との関係はどんどん好ましくない方向へ発展している。そして今、最後の一線を超えるかどうかの瀬戸際に立っている。


 今までは超えてはダメだと分かっているのに超えてしまった。それは心のどこかで「バレても最悪の事態にはならない」という甘ったれた考えがあったせいだ。


 だが、今度ばかりはそうはいかないぞ。


 万が一、性欲に負けて五十嵐をベッドに押し倒して、裸にひん剥いて、欲望にそそり立つ肉棒で処女膜を突き破るなんてことをすれば……


「……って、そんな妄想したら余計に勃◯するだろうが!」


 *


「あれ……。服がない……」


 脱衣所に立ち、足元のバスケットに脱いだ服がないことに気づいた。


 五十嵐が気を利かせ、干すために持ち出したのだろうか?


 だとすればありがたい配慮だがパンツまで持っていかれたので困る。替えのパンツなんて持ち歩かないので元々履いていたものを履くしかないのに。


「とりあえずバスローブを着て、ここに持ってくるしかないな……」


 パンツも雨でぐっしょり濡れていたので、脱衣所のドライヤーで乾かして履くつもりだった。


 もこもこしたアメニティのバスローブを羽織り、きっちり襟を正してベルトを締める。この下はスッポンポンなのでちょっと着崩れただけで恥部がコンニチハしてしまい、社会からBANされるので要注意だ。


 よくよく気をつけて居室に戻る。そして違和感にすぐ気づく。


「うわ、真っ暗だ。何も見えない……」


 居室の明かりはなぜか消えていた。間接照明もフロアライトも消えている。すりガラスの窓から辛うじて街灯が差し込んでいるが心許ない。


 完全なる暗闇。


「い、五十嵐ー? もしかして寝ちゃった? 悪いけど明かりをつけてくれるかな?」


 照明のスイッチもスマホもどこにあるのか分からない。下手に動くと怪我をするので彼女だけが頼りだ。


 だが返事はない。もしかして本当に寝ちゃったのか?

 致し方なし。手探りでスマホを探して、その後パンツを探そう。


 方針を決めた次の瞬間、


「センセイ」


 闇の中から俺を呼ぶ声。聞き間違いかと思うほど微かだが、甘美な声音は俺の心臓に届いていた。


 瞳は暗さに慣れ始めていた。そこにぽぅっと五十嵐の輪郭が浮かび上がる。

 一瞬幽霊かと思って小さく悲鳴を上げて後ずさった。そんな俺を捕まえるように五十嵐は両脇に手を回してしがみついてきた。


「ふふ、捕まえた……」


 艶然とした微笑みと共に見上げる少女。


「センセイ。お礼、させてくださいね」


 一糸纏わぬ生まれたままの姿の教え子は艶っぽく囁いたのだった。


†――――――――――――――――――――†

 次回、いよいよクライマックス

†――――――――――――――――――――†

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