第48話 女子校教師「俺が守ってみせる」

 にわか雨でできた水たまりを踏みながら歓楽街の路地を走る。歩道の無い路地なので自動車や原付と時折すれ違いつつ、物珍しそうな視線を向けられながら俺と五十嵐は手を繋いで走り続けた。


 遥か後方から男の罵声が聞こえる。


「くそ、追ってきやがる」


 チラリと振り返ると五十嵐を襲っていたと思しき男が。距離にしてワンブロックほどで、いつ追いつかれるか分からない。


 追いつかれた時のことを想像してゾッとする。

 酒瓶で頭を殴られ向こうは血が上っているだろう。捕まれば私刑リンチされて何倍もの大怪我を負わされかねない。五十嵐も酷い目に遭わされるに違いない。

 絶対に捕まるわけにはいかない。


「先生! どこに行くんですか!?」


「知るか! あいつらをくしかない!」


 撒けばあいつらも諦めるだろう。今はその可能性に望みをかけるほかない。


「待て!」「逃すな!」「ぶっ殺す!」


 増えてる!?

 諦めるどころかお仲間も一緒に追ってきてるじゃないか!


 どこかでタクシーでも捕まえたいが、それには大通りまで出ないと。だが元々土地勘が無い上にめちゃくちゃに走ってしまったせいで来た道も見失った。

 俺ってもしかして方向音痴なのかなぁ?


 大通りに行き着くと信じ、路地の角を曲がったその時だ。

 足が持つれて身体が宙に浮く。走馬灯のように世界がスローモーションになるが、手のひらと胸に強い衝撃が加わり通常再生に戻る。足が滑って転んでしまった。


 咄嗟に手を離したせいで五十嵐を巻き込むのは避けられた。


「先生、大丈夫ですか!?」


「あぁ……平気だ」


 ちくしょう、痛いなぁ……。幸い受け身を取って上手に転んだが、手をついた拍子に石か何かで切ったらしい。手のひらからダラダラと血が流れている。血は雨に洗い流され、アスファルトの舗装道に染み込んで消えていく。


「そこの角だ!」「もう直ぐ追いつくぞ!」「ぶっ殺す!」


 まずい。さっきよりも声が近くなってる気がする。

 手を繋ぎながら走ったせいで……いや、俺の足が遅いせいだ。五十嵐は体育の成績は良く、昨年の体育祭のリレーでも大活躍だったくらいだ。俺が足を引っ張っているのは明白だ。


 このままじゃ五十嵐が危ない……。


 俺は血を流す手を力一杯握り締める。


 覚悟を決める時だ。


「五十嵐、逃げなさい」


「え……。先生は?」


「囮になって食い止める。時間稼ぎくらいはできるだろ。その間にタクシーを捕まえて、それで家に帰りなさい。明日学校に先生が来なくても知らん顔してろ」


 よろよろと立ち上がり、五十嵐に背を向けた。この子を助けるには俺が殿しんがりを務めるしかない。


「そんな、ダメです! あの人達に捕まったら先生がどんな目に遭うか……」


 五十嵐が腕に縋りつき、涙ながらに訴える。


「大丈夫だよ。殴られるかもだけど……まぁ、なんとかなるよ」


「でも、私のせいで先生がそんな目に……」


 自分で言っておきながら楽観さに呆れ果てる。

 捕まってどんな目に遭うか想像すると小便を漏らしそうなくらい怖い。でもこの子を助けるためなら自分の身など惜しくはない。


「先生さ、五十嵐に教えたいことができたんだ。うまく言葉にできないけど、君が幸せになるために必要なことが山ほど。君の気持ちを受け取れないなりに、教師としてそれを伝えたかった。本当は長い時間をかけてゆっくり教えたいけど、でも時間がない。だからせめて五十嵐の先生だから君のこと守るよ」


 教師はあくまで教える人。でも、ピンチに際しては守ってあげるという、学問ではない人の道を示し、人間の手本となるのもまた教師の務めだ。土壇場で逃げたらダメな大人だろ?


 信念が俺に気力を与え、おかげで身体の震えは収まった。それどころか五十嵐に笑いかける余裕まで湧いていた。


 捕まったらボコボコにされるだろうなー。

 店に連行されて暗い部屋でリンチかなー。

 ジャッキー・チェンの映画みたく、鎖で縛られてサンドバッグにされるのかなー。

 痛いだろうなー。


 でも、まぁ、自分で決めたことだから良いか。


「だから五十嵐、行きなさい。達者でな……」


 もしかしたら今生の別れになるかも、なんて縁起でもない考えが過ぎる。殺されはしない……だろうけど、こんな騒ぎを起こした以上、学校にはいられないはずだ。

 そうなればもう五十嵐と顔を合わせることはない。


 この子の卒業するところを見たかったなぁ……。


 五十嵐は俯いたまま動こうとしなかった。前髪が濡れて額に張り付いたせいで目元があらわになり、逃げる決意がついてないことが見て取れる。

 弱ったなぁ、君には逃げてもらわないと……。


「五十嵐、行きなさい」


 俺の腕に爪が食い込むくらい強く握った手を振り解く。五十嵐はやはり何も言わない。

 だが、


「分かりました。逃げます」


 とうとう折れて俺の命令を飲み込んだ。


 良かった。これで少なくともこの子だけは助かる。


「でも、私一人じゃありません。先生も一緒に逃げます!」


 張りと力強さのある宣言。同時に俺の腕がぐいっと強く引っ張られ、身体が揺らいだ。


「お、おい! どこに行く気だ!?」


「この中です!」


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