(胸糞展開)第41話 女子校生「(ぼんやり)」
夜が明けて、月曜日がやってくる。
月曜日がこんなに憂鬱だったことは未だかつてなかった。
友達と喧嘩をした高校時代。
ライブで大失敗した学生時代。
教頭先生に金玉が縮み上がるくらい怒られた新人教員時代。
家を出ようとする脚が、鉛の足枷をつけられたように重かったことはいくらでもある。
それでも逃げずに立ち向かったのは、「きっとどうにかなる」という楽観的とも、やけっぱちとも言える気持ちで心を武装できたからだ。
そうなったのは「打撃や圧力にさらされても心を強く保てば跳ね返せる」という打つ手無しな状況ゆえに無敵になるしかなかったせいでもある。
いわば守勢の最後の手段。
だが今回は五十嵐の告白を――いや、プロポーズを断ってしまった今はその方法は通用しない。
正論で真っ向から彼女を傷つけたのは他ならぬ俺だ。その俺がすべきは攻めでも守りでもない。
なすべきはアフターフォロー。傷ついたあの子といかに和解し、立ち直らせ、今まで通りの先生と生徒の関係に戻るかという事後処理だ。
「どうすりゃいいんだ……」
告白を振ったり、付き合っていたけど別れた後、顔を合わせてギクシャクするというのはラブストーリーにつきものな展開だ。
それがまさか自分の身に降りかかるとは予想だにせず、頭を抱えている。
なんせこちとら非モテな青春を送ってきた非リア充。
唯一の経験は奥さんとの破局だが、その奥さんとも和解できなかった。しかし妻とは離婚以来会っていないし、これからも会う予定はないので深刻に考える必要はない。
だが五十嵐とは少なくとも向こう一年間は毎日顔を合わせる。学校の人事の通例からしても来年の教科担任は確定的だ。
あの子の幸せを願うのであれば関係の修復は必須であった。
されど俺は重要なことを一つ見落としているのかもしれない。
およそ十七年、あの子は寂しさに耐え忍び、その寂寞の気持ちを信頼する俺に打ち明けた。だが無情にも俺はそれを拒絶した。
散々甘やかし、最後の最後でハシゴを外したも同然なこの俺に、果たしてあの子を指導する資格はあるのだろうか。
*
どうにかこうにか登校し、朝のホームルームのため二年A組の前までやってきた。だが戸を開ける手が重く、俺は扉の前に突っ立っていた。
「能登っち、何してんの?」
「うわぁ!?」
固まっている俺にかけられる怪訝そうな声。素っ頓狂な声を上げて振り向くと受け持ち生徒の早坂要がそこにいた。
「そんなにビビる?」
高身長で黒髪、前髪を分けて額をあらわにした容貌は知性的でどこか大人びた雰囲気をこの子は醸す。そのせいか、やましさを勘繰られている気がして心持ちが悪い。
「す、すまない。少し考え事をしてしまって。中に入ろう」
俺は平静を装って誤魔化すように扉を開け、彼女にも入室を促した。
早坂は落ち着きのある優等生だが、五十嵐と大の仲良しという印象が強い。それゆえにどうしてもあの子に意識を結びつけてしまう自分がいた。
いや、意識するのは五十嵐に負い目があるせいだ。普通ならこんなことはない。
教壇に立ってクラス全体を見渡す。学級委員の号令で挨拶を済ませ、ホームルームを開始する。
今週は四月最後の週でゴールデンウィーク直前だ。どこか浮ついた生徒達に連絡事項と連休中の諸注意を前もって伝える。落ち着いて、いつも通りの能登先生としてすらすらと。
一通り伝え終え、チラリと教室の一点――五十嵐の席を観察した。五十嵐は終始、頬杖をついて窓の外をぼんやりと眺めていた。その顔には失意や悲哀、憤怒もない、まさに凪の顔。
胸の内で感情が渦巻いているのか、それとも虚無か。静かに俺への復讐を企てているかもしれないし、ただ当てつけで目を逸らしているということも考えられる。
「五十嵐、ちょっと」
そんな彼女を教壇から呼びつける。だが五十嵐は視線を外に向けたまま反応せず、後ろの席の生徒から背中を小突かれ、慌てて立ち上がってこちらへ来た。
「これ、進路調査票。金曜日までに出せる?」
普通なら小言の一つでも言うところだが、昨日のことがあるので口調は穏健になってしまった。
五十嵐は無言で受け取るが用紙に目を落としたまま立ち尽くした。
やがて、
「…………分かりました」
消える蝋燭を思わせる弱々しい声でそう答えたのだった。
これは俺からの再度のNo。やはり五十嵐の旦那にはなれない。心苦しいが彼女はもっと時間をかけてふさわしい相手を探す方が良い。
そのための助言ならいくらでもするからさ。
*
次の日、五十嵐は学校を休んだ。
その次の水曜日も、無断欠席した。
†――――――――――――――――――――†
凪音の気持ちから目を背ける能登、孤独感を深め亡者の如く彷徨う凪音。
大きな隔たりを生んだ二人の行き着く先は何処か……。
急転直下の最終章、開幕です!
紅ワイン
†――――――――――――――――――――†
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます