(胸糞展開)第42話 女子校生「悪い子になっちゃえ」

 鼻腔をくすぐるコーヒーの香り。主婦達の目的の無い会話。空調が吐き出す人工的な温もり。


 私はマグカップの底にわずかに残ったコーヒーを一飲みにする。冷たくなったコーヒーは目の奥がじんとするくらい苦く、沈澱した粉のザラザラした食感がひどく不快だった。


 高校生になってようやくコーヒーを美味しいと思えるようになって大人になった気分だった。それなのに不味いと思ってしまったのは自分のしていることに後ろめたさを感じているせいだろう。

 コーヒーは穏やかな気持ちで飲まないと美味しくないんだ。


 学校を休んでしまった。いや、


「今日もサボっちゃった……」


 昨日火曜日は丸一日部屋に閉じこもっていた。

 本日水曜日は私服で繁華街をぶらぶらしている。


 午前中は書店や洋服屋を冷やかし、お昼ご飯をスターバックスで食べてそのままおかわりのコーヒー一杯で夕方まで居座っている。我ながら迷惑な客だこと。


 街を歩いているとお巡りさんに補導されるのではとヒヤヒヤしたが、案外どうってことはない。トートバッグを肩に下げて堂々と歩いていたせいか大学生に見えたのだろうか、すれ違っても何も言われなかった。


 世の中は案外ちょろい。

 いや、それは自惚れか。


「皆、私に興味ないんだ……」


 本日何度目になるか分からない、スマホの着信履歴の確認。一縷の望みをかけ、今度こそはと画面を見る。しかしリストは五分前と変わり映えのしない内容で、意中の人からの連絡はない。

 代わりにリストの一番上には『お母さん』と表示されている。日付は一昨日。


 学校からの連絡は自宅の固定電話にかかってくることになっている。


 今時固定電話? バカみたい。


 家に人がいる時間の方が少ないのに。でも学校の決まりで私のスマホの連絡先を先生達が知ってはいけないらしい。なので学校からの電話連絡は必ず家電いえでんにかかってくる。出られない時は留守電だ。


 友達からの電話にも出たくないからメッセージで体調不良と嘘をついてシャットアウト。万が一かかってきても出ないつもりだ。


 でも、あの人だけは例外。職員の中で唯一私に直接繋がっている彼からの連絡をひたすら待ち続けている。


「私のこと……心配してくれないの?」


 だがその人からの着信は一向に来ない。

 連絡先を交換して二週間が経つ。その間、私から連絡したことはあっても向こうから来たことはない。

 先生は生徒と連絡先を交換してはいけない、という決まりを破ったわけだが、自ら連絡を寄越さないことで一線を保っているつもりなのだろう。


「そんな決まり、破っちゃえばいいのに……」


 悪いことをしている自覚はある。

 連絡先交換禁止の掟は生徒に課せられたものではないので私自身が悪いかといえば厳密には違う。破っちゃったのは能登先生。


 ゆえに胸が痛むのだ。

 他人を唆して決まりを破らせるなんて、自分が破るよりよっぽとタチが悪いことくらい理解している。


 人の弱みを握って、それをネタに揺するような真似をするなんて……我ながら最低だ。

 まぁ、おっぱい触られたことに関しては先生の失態と思ってるけど。


「嫌われたのかな……。それとも最初から嫌いだったの?」


 テーブルに広げた雑誌の上に突っ伏す。ペラペラの雑誌がぐちゃっとシワになった。


 嫌われても仕方ないのかな……。


 弱みを握るような真似をして悪いことをさせてきた。

 ワガママ続きで、挙げ句の果てに「結婚しろ」とせがんだ。そのせいでメンヘラ女と思われたのかも。


 無断欠席したのに出欠確認の連絡を寄越さないのがいい証拠だ。

 固定電話に出ないのならスマホにかければいい。先生の胸一つで連絡をつけられる。そうしないのはきっと私に愛想を尽かしたせいだ。

 元のあるべき関係に戻るつもりでも、あの先生なら安否確認くらいはしてくるはず。でもそうしないのはもう私に関わりたくないからかな……。


 そんなネガティブなことを今日一日ずっと考えている。


 いつの間にか窓の外では日が落ち、街明かりが煌めき始めていた。

 ぐうっとお腹がなる。空腹だけど食欲はない。居座ったお詫びにサンドイッチでも頼もうかと罪滅ぼしの念が浮かぶが財布を取り出す気にはならなかった。


 隣の席の女性が荷物をまとめて立ち上がる。見渡すと店内は空席が目立つようになっていた。

 カウンターの向こうではバリスタの綺麗なお姉さんがいそいそと働いている。その合間に格好いいお兄さんの店員と世間話が挟まる。二人ともニコニコと楽しそう……。


「帰ろう……」


 独りぼっちは惨めだ。

 でも家に帰ったところで独りぼっちなのは変わりない。それどころか独りぼっちの女の子と認識さえされなくなる。帰宅すれば本当に一人きりだ。


 誰かから相手にされたい。でも一番会いたい人に会う勇気はないし、友達にこのしょぼくれた顔を見せるのも怖い。だったらいっそ、部屋に閉じこもって惨めな姿を晒さない方がマシか。


 自動ドアを潜ると湿気を孕んだ横殴りの風に身体がふらついた。今日の天気予報では春の嵐メイストームにご注意と言っていた。これから夜中にかけて風はどんどん強まり、にわか雨も降るらしい。

 だというのに私ときたら傘を忘れてしまっていた。

 雨に濡れる前に帰るのが賢明だ。


「あれ、凪音ちゃん?」


 トボトボとバス停に向かう途中、すれ違った男の人から声をかけられる。驚いて振り返るとそこには同い年くらいの男の子が立っていた。


「やっぱり、凪音ちゃんだ!」


「五木くん……?」


 驚いた。声をかけてきたのは先日、学校の近くで待ち伏せしていたニョッキ高の五木くんだ。また彼の学校の友達と思しき男の子と女の子二人も伴っている。

 女の子の方は二人とも明るい色に髪を染めたり、太ももをこれでもかと見せた露出の高い格好をしていて、いかにも遊んでそうな雰囲気だ。愛宕女学院にはまずいないタイプの人達なのでこちらにも驚く。


「こんなところで何してるの? 学校この辺じゃないよね?」


「う、うん。ちょっとこの辺でね……」


 学校をサボったとはいえず、適当にはぐらかす。曖昧な返事だが幸い彼は深く詮索しようとしなかった。


「ヒロポン、この子友達!? めっちゃ可愛いじゃん!」


 友達の男子が興奮を露わに割って入ってきた。顔からつま先まで蛇が這うような視線を向けられ、胸の辺りに鳥肌が立つ。


「おう! 春休みに合コンで知り合ったんだ」


「マジか!? その合コン、俺断ったやつだよな!? 俺も行けばよかったー」


 お友達は頭を抱えて後悔に悶え苦しむ。そんな彼の肩を女の子の片方が叩いた。すると彼は苦笑してペコペコと謝った。なるほど、多分この二人は付き合っているのか。


「そだ、凪音ちゃん。今から暇? 俺らこれから遊びに行くんだけど一緒に行こうよ!」


 そんな夫婦漫才をよそに五木くんは誘いをかけてくる。


「今から? もう八時過ぎるけど」


「そんなに遅い時間でもないしいいじゃん! 先輩の知り合いの店なんだけど、めっちゃ楽しいから来なよ!」


 全然良くないよ。今から遊ぶなら帰りは何時になるのだろう。それにそのお店、高校生が行って大丈夫なお店なのかな?


「私が混ざっても良いの? そっち、二対二ニーニーだから邪魔にならない?」


「平気平気。店に着いたらツレもたくさんいるから退屈しないよ。それとも、凪音ちゃんって門限とか厳しい感じ?」


「いや、別に。遊んでても怒られたりしないかな」


「最高じゃん! 友達とか先輩とか紹介できるから一緒に行こうよ! 楽しもう!」


 どうしようかな……。

 彼の強い引きから社交辞令で誘っているわけじゃないことは明白(そもそもそんな気遣いできないだろうし)。

 でも夜も更ける時間に知らないところに行くのは怖い。しかしながら怖いもの見たさな興味を抱く自分がいる。退屈を忘れられる楽しさがあるのなら、寂寞せきばくとした心を満たしてくれるだろうか。


「じゃあ、行こうかな」


「うしっ! やった!」


 五木くんとお友達がハイタッチして喜ぶ。

 こうして私はよく考えもせず初めての夜遊びに繰り出すことにした。

 連れの女の子達は空気を読めないでしゃばりを見る冷たい視線を送ってきたが、まぁ、大丈夫だろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る