第37話 女子校生「お嫁さんはダメですか?」
「どうして……そんなこと言うんですか?」
弱火で水を沸かすように、じんわりと、しかし確実に五十嵐の感情が煮えたぎっていくのが見て取れる。
五十嵐の端正な顔は裏切りを突きつけられた落胆と悲哀に歪んでいく。
いつも輝いている、磨き上げた琥珀のような瞳からはハラリと涙を流すと同時に抑えようのない怒りが浮かんでいた。
「どうして能登先生まで、私の夢を否定するんですか?」
悔しさをたっぷり含んだ涙がとめどなく溢れ出し、小さな肩をワナワナと震わせる。
俺はようやく気づいたのだった。
自らが良かれと思ってした説教は五十嵐の夢を蔑ろにする失言だったということを。
それを今更悟ったところでもう遅い。俺の一方的な考えは、彼女を傷つけた。
「高校生にもなってお嫁さんになりたいって夢はおかしいですか!? ひまわりも要も社会で活躍する夢がある。でも私はお嫁さん。それって悪いことなんですか!?」
「小学校の卒業文集に同じことを書きました。そしたら担任の先生はすごく困った顔して能登先生と同じことを言いました。『凪音ちゃんは何にだってなれるの。他に夢はないの?』って言われて……私、泣いちゃいました。どうしてお嫁さんはダメなんですか? 教師や警察官は世の中の役に立つけど、お嫁さんは社会の役に立たないからですか?」
ぽろぽろと流れる涙と共に悲痛な過去が漏れ出す。
その先生は俺には分かる。きっと悪気があったわけではないはずだ。
小学生は鯉が龍になるような
だがそれは教師の、もっと言えば大人の
子供に過度な期待を一方的に押し付け、当人の希望を蔑ろにする横暴である。
誰にだって夢を抱く権利があるはずなのに……。
それなのに俺は、結婚して自らの幸福を追求するという彼女の当然の権利を軽んじてしまった。
「結局文集にはお嫁さんって書きました。でも今度はそれを見たお母さんからすごく呆れられました。『家にいて社会の役に立ってないなら産まれてないのと同じだ。せっかく産んでやったんだから世の中の役に立ちなさい』って……」
「そんなことを……」
俺は背筋がゾッとする寒気に
五十嵐が小学校の先生から受けた傷を癒してやれるのは母親だけであったはず。にも関わらず五十嵐夫人のしたことはそれとは真逆ではないか。
親というのは子供の夢を応援するものじゃないのか? 特に幼い時分の傷つきやすい心をそっと包んであげるのが母親のあるべき姿なはずだ。
俺の母親も大概厳しいかったが、人情味はたっぷり含んだ人だった。そんな対照性も相まって五十嵐夫人が冷徹に思えて恐ろしく、またこの子が可哀想だった。
「まぁ、母のリアクションは想像できましたけどね。そういう人ですし。せっかく高いお金かけて受験勉強させて私立の学校に通わせるのに勤めに出ないんじゃお金を捨ててるようなものですし、申し訳なさはあります。でも、私にはそれ以外の夢とか幸せな未来像は描けません」
五十嵐は新品の服の袖でゴシゴシと目元を拭いた。目の下の辺りが赤く腫れていた。
もういい、やめてくれ。
それ以上は何も語らないでくれ。
君の言葉は俺を、そして他ならぬ君自身を傷つける。
俺は言葉できない悲鳴を上げてしまった。
本当はこの子の傷だらけの心を受け止めないといけないのに、俺の方が耐えきれなかった。
だがそんなことはお構いなしに五十嵐は自らの過去を
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凪音ちゃんの過去編、もう少しだけ続きます。
そんなに長くないのでお付き合いください!
本日は2話公開予定です!
凪音ちゃんの生い立ちが語られる次話は本日19時頃に公開します!
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