第36話 女子校生「夢なんて……」

「な、な、な……」


 五十嵐凪音の卒業後の進路。

『せんせいのおよめさん♡』

 わぁ、可愛らしいなぁ。お嫁さんだなんて、全部ひらがなだなんて、ハートマークがついて、愛くるしいなぁ。


 ……ってなるかぁぁぁぁぁぁ!!!!


 ふざけているとしか思えない内容に俺は絶句を禁じ得なかった。


 こんなふざけた提出物は未だかつてみたことがない。

 お嫁さんってなんだ、お嫁さんって。しかもハートがついてるし。

 これ、先生に見せるプリントだよ? 舐めてるのかな?


「書き直し!!」


 バサッと音を立てて用紙を突き返す。その際、思わず大きな声を出してしまったのは俺の逆鱗に触れたためだ。

 さすがの能登先生もこれにはご立腹である。


「先生ひどい! 一番なりたいものは何かって聞くから書いたのに」


「何がなりたいものだ! 真面目にやりなさい!」


「大真面目です。あと、それボールペンだから消せないです」


 うわ、マジだ! ゲルインクのボールペンでしっかり書いてやがる。


「月曜日に職員室に新しいの取りに来なさい」


「受取拒否です」


「それはこっちのセリフだ!」


 学年主任の先生になんて報告すればいいんだよ?


 *


「うちの五十嵐が俺の嫁になりたいと言ってます〜」


「まぁ、そうなの? でも能登先生は既婚者ですよね?」


「実は先日離婚しまして。なので五十嵐と再婚しますね!」


「それはそれは、お幸せに〜」


 *


 て、なるかぁぁぁぁぁ!!!


 生徒と私的関係があるだけでもマズいのに「卒業してすぐに結婚します。もう婚約しました(てへっ)」なんて完全に事案だっつーの!

 ガッツリ尋問されて諭旨解雇、いや、五十嵐との関係を断つためどっかの田舎にある学校に左遷ということもありえる。もちろん拒めば免許剥奪の脅しをかけてくるかもしれない。


 どういうつもりで書いたのか真意は掴めないが、受理できるはずない。が、五十嵐は覆すつもりはないらしい。

 だとしても、なんとか翻意させないと。


「い、五十嵐は結婚したいのか?」


「はい! お嫁さんになって旦那様に毎日ご飯作ってあげて、一緒に寝て、楽しく過ごしたいです! 旦那様を支えて、子供を産んで育てて、幸せな家庭を築きます!」


 わぁお、ピュアだなぁ……。でも今はそのピュアさが手に余る。


 燦々と輝く太陽のような満面の笑みに冗談や放漫さの色はない。


 結婚相談所で婚活していた頃、「働くのが嫌なので専業主婦になります」という利己的な動機でお見合いを申し込んできた女性に何度もお目にかかった。

 しかしこの子の場合は盲目的になまでに幸せを夢見ている。

 ゆえに説教をする隙を見つけられない。ちょっとでもらくしたい素振りを見せれば喝を入れるつもりだったのに。


「まぁ、結婚は良いと思うよ。先生は奥さんに不倫されて離婚しちゃったけど、結婚自体は悪いとは思ってないし」


「それじゃあ再婚するつもりがあるんですね!?」


「話の腰を折らない。続けるけど、五十嵐が結婚したいと思う気持ちは分かる。ウェディングドレスに憧れたり、温かな家庭を気付きたいというのは皆が持つ願望だから。でも、そんなに急いで結婚することないと思うぞ? 五十嵐はまだ若い。今はまだ、勉強や自己研鑽を経て大人になる準備をする時期だ。まずは大学へ行って、勉強をして、サークル活動に打ち込んで、いろんな人と話をして、それから社会にはばたいて夢や目標を追いかけるのが良いと思うぞ。君にはその権利がある」


 俺は至極真っ当なことを言ったつもりだった。

 結婚は人生のターニングポイントになりうるイベントだ。生活が、いや、人生そのものの考え方が変わるし、変わらないといけない。


 どういう意味か?


 俺の経験上、結婚して配偶者になるというのはパートナーと人生を互いに肩代わりすることだと言ってよい。

 そうなると必然、五十嵐の行動には制限がかかる。高卒で結婚して家庭に入れば、その後夢を見つけても易々と追いかけられない。いわんや子供ができれば尚更だ。


 一時いっときの憧れでそんな重大な決断をしてほしくない。

 過去に抱いた悔しさも相まって一方的に翻意を促すような説教をしてしまった。


 対して、捲し立てられた五十嵐は苦々しげに唇を噛んで反論した。


「私の一番の願いは結婚して奥さんになることなんです。どうしていけないんですか?」


「結婚願望を否定してるんじゃない。今は『いつか結婚したい』くらいで十分なんだ。五十嵐は。他にもっと目を向けてみなさい」


 夢を叶えるチケットは、もっと大きな夢と引き換えなさい。


 その考えを俺は正しいと思っていた。


 だが、少なくとも彼女には言うべきではなかった。


 五十嵐の顔は冷たい失意に支配され、しかし瞳だけは静かな怒りを湛えていた。


†――――――†

【長崎】女子生徒にキスなどした30代教諭、知人女性の体触った40代教諭 男性教諭2人を懲戒処分 県教委

https://news.yahoo.co.jp/articles/abb1e5e5eb1a11a4b12edb52f89d60db45302b9f


能登「ガクブル((((;゚Д゚))))」

凪音「あはは! ……大変ですね?」

†――――――†

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る