第35話 女子校生「私のなりたいもの!」
「ふふ、良かったぁ……」
うっとり破顔した五十嵐は俺の隣に座り、用意していた自分の分の紅茶に口をつけた。
ソファーのクッションがたわむのと少し乱れた呼吸が彼女の存在感を主張し、俺に意識させた。心臓がこれ以上ないくらい早い鼓動を刻む一方、俺の身体は緊張でカチコチに強張ってしまった。
二人の間に妙な沈黙が漂う。
何か話さないと。
初めてデートをした時のような拙い焦りがチリチリ胸を焦がす。
だが本心から見惚れたのがダダ漏れの感想を言ってしまった気恥ずかしさから話題を見つけられない。
五十嵐はきっとあれが本心だと勘付いている。
恥ずかしい。
教師が生徒に思慕しているような発言をしてしまい、横顔さえ見られないくらい恥ずかしい。いっそ今すぐ消えてしまいたい。
何か逃げ道になるものはないか。俺は目玉だけ動かして視線を彷徨わせた。その末にテーブルのあるものが目に入る。
「そ、そうだ。進路調査票!」
「えっ?」
唐突な話題の転換についていけない五十嵐が素っ頓狂な声を上げた。
「進路調査票、まだ出してないな。金曜日が提出期限だったぞ」
「あー……」
俺が締め切り破りを指摘すると五十嵐は分かりやすく目を泳がせる。目につくところに置いていることからいい加減に放置しているわけでないことは察せられる。だが配布してから十分日が経っているにも関わらず肝心の進路は真っ白だ。
俺はわざと説教くさい口調を使った。恥ずかしさを誤魔化すように、あるいは自分と彼女に立場の違いを相手に、あるいは己に分からせるように……。
「明日の朝イチで持ってきなさい」
「そんな殺生な! 急すぎます!」
「急なもんか。配布したのは始業式の日だぞ? それまで三週間以上あったのに白紙とはどういう了見だ?」
用紙を摘んでヒラヒラと見せつける。反論の余地のない五十嵐は「ぐぬぬ」と歯噛みし、やがて不貞腐れて視線を逸らした。体操座りをして膝で口元を隠し、分かりやすくいじけてしまった。
「だって私、夢とか無いですもん。進路とか言われてもすぐには書けません」
「うーん。夢とかはっきりしたものじゃなくても良いんだぞ? 進学なら面白いと思った学校の勉強の延長だったり、ニュースを見て目に留まった関心ごととかあるだろ? そういう興味に紐づく将来を考えてみたらどうだ?」
いきなり夢を語れと言われても難しいだろう。それなら今何に興味があるかを考えておおよその進路を見つけておいて損はない。今の時期の進路調査票は「卒業後の進路を今から考えましょう」くらいの、生徒達に発破をかけるくらいの意味で配られている。
就職か進学か。進学なら何を学ぶか。高校二年生なら学科くらいの粒度で見当をつけておくべきだ。
俺は身になる助言をしたつもりだが五十嵐の機嫌は斜めなままだ。
「私、勉強好きじゃありませんし、ニュースも見ませんもん」
そうだったねー。君、成績下がり気味で、特に公民の成績やばかったねー。
女子生徒に人気な社会学科や国際関係学科を書かせて提出させようという作戦は無理っぽいな。
というかこの子、去年はなんて書いたんだっけ?
「すぐに目標を見つけるのは難しいだろうけどさ、今一番なりたいものとか無いのか?」
進路相談が人生相談になっている。
夢を叶える助言をするのも教師の仕事だと思っているが、夢の見つけ方まで指南する日が来るとはな。
本当に手のかかる子だ。
「なりたいもの……なりたいもの……。ダンサー? ユーチューバー?」
不安だなぁ。いや、この子のルックスならハネる可能性あるけど……。
「あ、そうだ!」
と、五十嵐は突然飛び上がり、かと思えば足元のラグにペタンと座り込んでテーブルと向き合った。それから転がっていたペンを握るとウキウキ声を漏らしながら用紙に書き込み始めた。
「できた! 私のなりたいもの!」
満面の笑みで勢いよく差し出した用紙を俺は呆気に取られて受け取る。
一体何を書いたのだ? モデル? 女優? もしかしてアイドル?
目標が見つかったのは喜ばしいが、一抹の不安を禁じ得ない。
覚悟を決めて俺は記入欄に目を落とす。そしてそこに書かれていた進路を読んで絶句した。
『せんせいのおよめさん♡』
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