第33話 女子校生「親、いませんから……」

 ブティックを出た後は靴やアクセサリーのお店を見て回った。五十嵐はバイト代を注ぎ込む勢いで奮発し、次々に買い物をしていく。

 そうなると必然荷物が増えるわけだが、それを誰が持ったのかは言うまでもない。


 買い物をひとしきり終えるとフードコートでアイスを食べて休憩し、帰路に着くことと相なった。


 *


 夕暮れの帰り道。アウトレットモールを出て田園風景のもと来た道を辿り、北斉市の方角へ車を走らせる。俺達の前後には同じように家路に着くファミリーカーが列を成していた。


 五十嵐は助手席で窓枠に肘をつき、ぼんやり景色を眺め、かと思えば俯いてつま先の辺りを睨めたりを繰り返していた。


「疲れたなら寝てていいぞ?」


 一応気を遣ってみる。世間では助手席でうたた寝するのはマナー違反という風潮がある。ハンドルを握るドライバーに失礼だからだそうだ。そのために眠気と戦っているなら彼女らしい気遣いだ。

 しかし今は復路で元来た道を帰るだけ。午前のように変な道に入らないようカーナビも設定済みのためアシストも不要だ。眠たいなら気にせず眠ればいい。


「いえ、特に眠いわけでは」


「そうか? 眠そうな顔してたけど」


「眠たいんじゃありません。ただ……」


「ただ?」


 五十嵐は話している途中で言葉を切り、窓の外に再び視線を向けた。きっとその瞳には燃えるような夕焼けが反射してきらめいているのだろう。横顔を見られないのが悔やまれる。


「今日が終わってほしくないなって、思っちゃって……」


 やがて五十嵐は胸中を漏らした。プリウスの静かな駆動音にさえ掻き消されそうな、弱々しい声だった。


「私、こんなふうに車で遠出して遊んだ経験がないんです。ひまわりとか要とか、学校の友達と遊ぶのは楽しいけど、今日みたいなことはしたことがなくって、この先もきっと来ない……。夕日と一緒に幸せが沈んで二度と昇ってこないなら、いっそ夜なんて来なければいいのに……」


 寂寞とした感情を綴る五十嵐。いつも明朗に気持ちを語るこの子にしては珍しくセンチメンタルで詩的な語り口調である。

 そんなふうに気持ちを表現する彼女の精神年齢の高さに驚嘆すると同時に、複雑な心境の存在に心配を掻き立てらる。


 いつも学校で友達や部活仲間と賑やかに過ごしているのに、なぜそんな寂しそうな顔をするのか分からない。


 一人暮らしで孤独を感じることがままあるだろう。だがそれも登校して友達と顔を合わせれば解消されるはず。それなのに月曜日が来てほしくないという感情は矛盾していないだろうか。


 俺は五十嵐のことをつぶさに見守っているつもりだった。だが所詮見ていたのは上っ面で、心の奥底は何も見えていないのか。


「なぁ、五十嵐」


 妙な沈黙が訪れ、居た堪れず考えなしに口を開く。


 しかし俺が返事を考えあぐねている間に五十嵐は眠りに落ちてしまっていた。シートにもたれた首がだらりと傾き、完全に脱力しているのが見て取れる。

 授業中に睡魔と戦い船を漕ぐ顔を見たことは何度もあるが、こうして隙だらけに眠る顔を見るのは初めてだ。その寝顔に一筋の雫がツーッと駆け降りる。


 *


「五十嵐、家に着いたぞ。五十嵐」


 助手席で眠る少女の肩をそっと揺する。細い腕がくっついた薄い肩は土産屋のガラス細工のようにわずかな力で壊れてしまうのではと危惧され、触れるのが躊躇われる。しかし名前を呼んだところで起きる気配はないので、できるだけ優しく揺すった。


「うん……。ここ、どこ?」


「五十嵐の家の前だ。荷物を下ろすから降りな」


 俺がシートベルトを外す間、彼女は寝ぼけ眼で窓の外を観察した。そして、


「ウソ、私、寝ちゃってました!?」


 と青い顔で分かりやすく狼狽した。


「ぐっすり寝てたぞ」


「そんなぁ……起こしてくださいよぉ……」


「助手席で寝てようが俺は気にしないよ」


「私が良くないんです! せっかくのドライブなのに寝ちゃうなんて損した気分です……」


 五十嵐は眉尻を下げたしょんぼり顔で助手席の窓から家の塀を睨み付けた。


 なるほど、初めてのドライブだから帰り道もじっくり堪能したかったといったところか。

 それは悪いことをした。疲れただろうから気を利かせて眠らせたのが裏目に出てしまった。


 俺は苦笑しつつ運転席を出てトランクの荷物を取り出した。一方の五十嵐は未だに助手席に座って両手を組んでいじけている。そんな彼女にかける言葉の持ち合わせがないのが心苦しい。


 振り返った彼女と窓越しに目が合う。五十嵐はすぐに逸らして手元に目を落とすが、やがて観念してシートベルトを外し、中から出てきたのだった。


「玄関まで運ぶよ」


 両手の紙袋を掲げて申し出る。気の利いた言葉を贈れないお詫びにこれくらいの力仕事はせねば。


 五十嵐家は市の中心部から南に逸れた人気の住宅エリアにある。ご近所は大きくて綺麗な一軒家が建ち並ぶが、中でも一回り近く大きく見える邸宅が彼女の自宅である。


 五十嵐は門扉を潜って敷地に招き入れると玄関まで先導してくれた。アプローチから見える前庭は雑草が刈り取られてよく手入れされているが、鉢やプランターのたぐいは無く殺風景だ。


 玄関扉の中に入った五十嵐に紙袋を差し出す。彼女は沈黙したままおずおずと受け取り、袋を手に提げたまま佇んだ。


「それじゃあ、俺はこれで」


 両者の間に奇妙な沈黙が生まれる。

 五十嵐は「ありがとう」とも「今日は楽しかった」とも言わず俺のヘソの辺りを眉間に皺のよった顔でじっと見つめたままだ。

 そんな彼女を放ってはおけなかった。だが、それ以上踏み込んではならないと理性が訴えていた。この敷居を跨いだ途端、引き返せないところにいよいよ踏み入り、二度と後戻りできないという、漠然とした危機感が霞のように頭に立ち込めているのだ。


「それじゃあ、帰るね。また明日学校でな」


 くるりと踵を返す。


 そう、これでいい。これ以上は立ち入ってはいけない。俺は教師で、この子は生徒。休日に人目を忍んで会うだけでもタブーなのだから、これ以上の接触はいよいよマズい。


 くいっ――。


 シャツの袖が、スズメがついばむくらいの力で引っ張られる。その力に俺はどうしても抗えず足を止めた。


 振り返ると五十嵐がこちらを見上げて微笑んでいた。茜の差す美しい微笑みであった。


「先生、せっかくですからうちに上がってください」


 唐突な提案。その実、そう言われると予想していたので存外驚きはなかった。だがいざ言われると用意していた返答を見失い、声を上手く出せなくなっていた。


「いや、でも――」


「親、いないので遠慮なさらず。一人じゃ飲みきれないくらい紅茶があるんです。一杯だけでもどうぞ」


 五十嵐は俺の返事など待たず玄関の奥に消えてしまう。

 そんなもっともらしい理由を並べられても誘いを受けてはいけない。


 分かっている。


 だが分かっていてもあの美しくも悲しげな笑顔を放っておくことはできず、俺は深みにはまっていくのだった。


†―――――――――――――――――――――†

 凪音ちゃんとのデート回、いかがでしたか?

 甘い雰囲気かと思いきや終わりにかけてちょっとセンチメンタルに……。


 次章では凪音のより心の奥深くを覗くお話が展開されます。

 凪音がなぜ能登先生を誘惑するのか、そして先生とどうなりたいのかが語られます!

 それに対する能登先生の返事とは……

†―――――――――――――――――――――†

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