第31話 女子校生「お洋服、ベトベトです……」
アウトドアショップを後にし、他の店舗を冷やかして回った俺達はランチを摂ることにした。
ちょうどお昼時だったせいでフードコートは満席で、残念なことに座席を確保することができなかった。
そのため俺達はハンバーガーをテイクアウトし、表のベンチに腰掛けて食べることにした。すっきり晴れたピクニック日和なため、お日様の下でランチするにはもってこいだ。
「ご馳走になってしまってすみません。自分で出すつもりだったんですが……」
「お昼代くらい気にしなくていいよ」
包み紙の上から遠慮がちにハンバーガーを撫でる五十嵐は柳眉をハの字にして恐縮した。
ランチ代は二人分をまとめて俺が払った。五十嵐は「自分の分は自分で」と遠慮したが、俺が半ば強引に支払いを済ませた。
五十嵐はアルバイトもしているし親からの仕送りもあるのでランチ代が財布の痛手になることはあるまい。しかし行き先を提案した手前もあるので見栄を張ったのだ。
うっかりとんでもないところに迷い込んだ雪辱の意味もある。
「さぁ、食べようか」
「はい、いただきます。先生のハンバーガー、分厚いですね。私じゃ食べられないですよお」
五十嵐は俺の手に収まりきらない大きなハンバーガーに目を見張った。
パテが三枚、トマトとキャベツをこれでもかと挟んだそのメニューの名は『ギガバーガー』。口を目一杯開けても入らないのではと慄くほど大きなこのハンバーガーは以前地元ワイドショーで紹介されていた。それを思い出して心惹かれて注文したのだ。
「俺もさすがにお腹いっぱいになるだろうなぁ。でも五十嵐はイケるんじゃないか? 若いし、まだまだ成長期なんだから食べないと」
成長が止まって老けるだけのアラサーとは違う。この子にはまだ伸び代があるのだから。
そんな説教とも軽口とも取れる会話を挟みつつ、昼食を摂る。五十嵐は上品に少しずつ食べ、俺はパンの間から具がこぼれ落ちるのに悪戦苦闘しながら食べた。
「先生、パテが落っこちちゃう!?」
「た、食べずらいぞ……」
美味さと食べやすさの間に相関は無い。
「ママ、アイス買ったよー! わっ!?」
食べながら模擬試験を受けるよう五十嵐に勧めていたその時だ。どこからともなく幼児の甲高い声が響いたかと思えば、一転悲鳴が聞こえた。何事かと視線を向けると歩道の向こうで駆け足の男の子が派手に転ぶところを目撃した。
そして視界の端、上空にバニラソフトが打ち上げられている。
f(x) = -ax^2 + bx + c (a, b, cは定数)
放物線の軌道を描いたソフトクリームは降下軌道に入る。
弾道予測に問題ない。問題だったのは俺に反射神経が備わってなかったこと。
「あ」
「きゃ!?」
気づいた時にはもう遅い。ソフトクリームは五十嵐の膝に落下していた。
「五十嵐!? 大丈夫か?」
「は、はい。ソフトクリームが落ちてきただけなので」
五十嵐は苦笑いしながらハンカチでアイスを拭き取り始めた。あらかた拭き終えると立ち上がり、落とし主の少年の元に駆け寄り、手を貸して立ち上がらせたのだった。
「ぼくのアイス……」
男の子は呆然とスカートについた汚れの辺りを
「すみません、うちの子の不注意で。お怪我はありませんか?」
「お気になさらず。スカートが汚れただけで、他は無事ですよ」
平身低頭の母親に五十嵐はかえって恐縮していた。
「ほら、あんたも謝んなさい」
「…………アイス」
男の子は母親に叱られているが、アイスが台無しになったのがよほどショックなのだろう。半べそで五十嵐の膝をじっと見つめて棒立ちになっていた。
まぁ、せっかく買ってもらったアイスが食べられなくなったらそんな反応するよね。
「坊や、ちょっと待ってて」
五十嵐に目配せする。すると五十嵐は一瞬で得心し、こくんと頷いた。俺はそのままお店の方へと向かう。
「ほら、新しいアイスだよ。食べながら走ると危ないから、座って食べような」
「わぁ、ありがとう!」
俺は買ってきたバニラソフトを少年に差し出す。男の子は一瞬受け取るか躊躇ったが、俺が笑って手に持たせると満面の笑みを浮かべてお礼を言ってくれた。
「すみません、お洋服を汚してしまったのに新しいアイスまで。お洋服のお代、払わせてください。弁償します」
「平気ですよ。洗えば落ちますし、元々古着屋で買ったものなので」
母親の方はすっかり恐縮して財布を取り出すが五十嵐に固辞されてオロオロしていた。引っ込みがつかずお金を渡そうとするが、五十嵐は決して受け取ろうとしないので押し問答になってしまった。
収拾がつかないので俺が
「この子の代えの服は私が買い与えるので、どうかしまって下さい」
と割って入り収めたのだった。
*
「五十嵐、優しいな。服を汚されても全然怒らなかった。そういう優しいところは五十嵐の長所だよ」
服を汚されて冷静でいられる女性は世の中少ないと思う。だが五十嵐は怒るどころか転んだ少年の方を余程心配していたくらいだ。なかなかできることじゃない。
「先生こそあの子に代わりのアイスを上げるなんて優しいですね。あの子、すっごく喜んでましたし」
「せっかくの日曜日だからな。いい思い出作って帰ってほしいだろ?」
「ふふ、そうですね。…………先生は良いお父さんになれますね」
「うん? 何か言ったか?」
「いいえ、何も言ってませんよ」
彼女は吐息の漏れるような微笑みを溢して去っていく家族の背中を見送った。
男の子は父親に手を握られて歩き、やがてベンチに座ってソフトクリームを舐め始めた。母親は大層疲れたしかめ面で何かを言いたげだが、それを父親の方が苦笑して
どこにでもある、ありふれた家族。
そんな他人の幸せを見つめる五十嵐の瞳は、すごく寂しそうだった。
「五十嵐、洋服買いに行こうか」
「え?」
ピクリと小さな肩が飛び跳ねた。
「いいんですか?」
「うん。さっき、買ってやるって言ったしな。男に二言はないよ」
「やったぁ! 先生ありがとう!」
本日二度目、犬耳と犬尻尾を生やして大はしゃぎする。
うん、君はやっぱり元気と笑顔が似合うよ。
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