第30話 女子校生「誘ってください」
その後、俺達は無事に目的地の『アウトレットモール北斉』に到着した。
ここは北斉市近郊では最大規模の商業施設で、地元ワイドショーでは「東京ドーム四個分の広さ!」と大々的に宣伝された人気のスポットである。
オープン当初は相当な来場者があったそうだが、その人気ぶりも落ち着きを見せており、人混みにならない程度の盛況ぶりを呈していた。
「どこか気になる店はあるか?」
案内板を眺めながら五十嵐に希望を尋ねる。
その顔には先ほどラブホテルに乗り付けてしまったことに気を悪くした様子はない。どうやら誤解は免れたらしく、ほっと胸を撫で下ろした。
お店のラインアップだが、ブティック、靴屋、アクセサリーなど目白押し。ランチにはまだ早い時間なので五十嵐の好きなお店に連れて行ってあげよう。
五十嵐は案内板を隅から隅まで見て、パッと顔を華やがせた。
「あ、ここがいい! アウトドアショップですって!」
「意外なチョイス。アウトドア好きなのか?」
「好きってわけじゃありませんが、興味はあります! 行きましょう、先生!」
「お、おい、五十嵐!? そんなに急がなくても――!」
五十嵐は俺の手を握ると、走るのを覚えたばかりの子犬のような足取りで歩道をずんずん進んでいく。ただし引っ張る力はゴールデンレトリバー並み。
細くて少しの力で折れてしまいそうな手はとても温かで柔らかく、そのくせ俺の手を力強く掴んで離さなかった。
*
「わぁ……!」
アウトドアショップに入るなり五十嵐は感嘆の声を漏らした。
専門店というだけあって内装は木目調の山小屋風で、要所に観葉植物や商品が展示されている。
お店の入り口側には組み立てられたテントや椅子、ハンモックが展示されており、カジュアルなウェアを着たマネキンがアウトドアを楽しんでいた。
「なんだかキャンプ場に遊びにきた気分ですね!」
それには俺も同意だ。店内は山小屋を模したインテリアとなっているため、自然とアウトドアに来た気分になる。
二人して浮かれた心持ちで商品棚を適当に見ながら奥に進んでいく。するとテントの展示スペースに行き着いた。
「先生、テントがありますよ! 入ってみましょう!」
ぴょこん、と犬耳と尻尾が生えたと錯覚するほどの唐突さ。俺の返事を待たず、パタパタと尻尾を振りながら展示品のテントに突入した。
『ご自由にお入りください』とお店は許諾しているけど、もう少し落ち着こうね。
テントの入り口から五十嵐の様子を窺う。五十嵐はテントの真ん中で両手をいっぱいに広げて仰向けになり、ぼんやりと天井付近を眺めていた。
「どうだ、テントのご感想は?」
「なんだか……落ち着きます。先生もここにどうぞ」
天井を仰いだままぽんぽんと自分の隣を叩き、横に寝るよう促した。
テントか……。久々に入ってみたいな。
靴を脱いで言われるがまま隣に横になった。
「確かに落ち着く。山鳥のさえずりが聞こる」
「ですねー。風がそよそよしてます……」
さえずりも風の音も、もちろん気のせいなのだが不思議と耳を撫でて心に平穏をもたらす気がするのだ。
アウトドアはやっぱり素晴らしい。
「学生の頃思い出すなぁ」
感慨に浸り、そんな独り言が漏れた。五十嵐が首だけをこちらに向けた。
「学生の頃、キャンプに行ったんですか?」
「あぁ。学科の友達だったり、軽音部の仲間だったりで。山、湖畔、海と色々行ったなぁ。ミニバン借りて交代で運転して。五十嵐は行ったことないのか?」
「いいえ、ありますよ。小学生の頃、学校で募集のあったサマーキャンプに申し込んで。川で鮎を釣って焼いたり、皆でカレーを作ったり。あ、肝試しもしました! 私達が林に入った時、薮から何かが飛び出して、怖くなって泣きながら来た道を戻ったんです」
「あはは、そりゃ怖いな! 何が飛び出してきたんだ?」
「それは分からずじまいです。多分、タヌキとかアライグマだと思います」
五十嵐はうつ伏せで肘を突く姿勢に体勢を変え、興奮気味に思い出を語った。
調理の話といい肝試しの話といい、ウキウキした表情からよほど楽しかったのだと察せられる。
「最後の夜は皆で花火をして、引率の先生が持ってきてたギターの伴奏に合わせて歌を歌ったんです。楽しかったなぁ……」
しかし思い出話が佳境に近づくにつれ、明るい表情は陽が沈んでいくように暗く物悲しげになっていった。
やがて語り終えると腕で口元を隠し、視線を明後日の方角に逸らしてしまった。
ネタ切れ、か……。
「おばあさんとは旅行に出かけたりしなかったのか?」
「おばあちゃんとはあまり遠出は……。アウトドアって人じゃありませんでしたし、車の免許持ってなかったというのもあるので……」
気を遣って会話を掘り下げてみるがあまり広がらない。
それもそのはずか。この子の家庭環境を考えれば旅行やアクティビティの思い出に乏しいことは想像できる。今のは失敗だったな。
「それじゃあ五十嵐も車の免許取って、あちこち行ってみるといいよ。キャンプにしろ旅行にしろ、大学生になれば自由がグッと広がる。五十嵐は友達が多いんだから誰かを誘ってみるといいさ」
思い出が少なければ作ればいい。幸いこの子にはそれができるのだから。
「ふふ、それもそうですね。でも……私、先生とキャンプに行ってみたいです」
物憂げな表情をほわっと緩めた五十嵐は出し抜けにそんな希望を口にした。
意表を突かれて俺は押し黙る。横たわった二人の顔の距離は数十センチしかない。俺は五十嵐の体温が直に伝わっている錯覚に陥り、胸が突然きゅっと苦しくなった。
「先生と行ってどうするんだよ。友達と行った方が楽しいだろ?」
「そうですね。ひまわりと要と、ダンス部の人達と行くのも絶対楽しいです。でも、先生と行くキャンプも違う楽しさがあるはずです。思い出は『どこで何をするか』よりも『誰と』の方が重要じゃありませんか?」
「確かにそうだけど……」
人生の教訓と表現しても過言ではないことをわずか十七歳の子は語った。
彼女の言うことは全く正しい。俺の場合、数学科の友達とキャンプしたし、軽音部の仲間とも行った。どちらもバーベキューしながら酒を飲んだのに全く別物な記憶として脳に刻まれている。
五十嵐とキャンプ、か……。
自分より一回りも年下の、しかも女の子と泊まりで遠出するなんて考えたことなかった。正直、話題に困るだろうからあんまり楽しめない気がする。
だがこの子ならそんな心配は不思議となかった。昔から知ってて幾分か気安い。それ以上に五十嵐とはずっと会話していられるし、なんでも話せてしまう気がする。
キャンプに限らず、温泉やバカンスも楽しそうだ……。
などと、つい調子に乗った想像をしてしまう。
「センセイ。夏休み、どこか連れてって……」
身体を引きずって吐息がかかる距離までにじりよる。いつもの甘酸っぱい柑橘の匂いに混ざり、ミントの匂いのするため息が俺の鼻にかかった。
ドクドクと心臓のBPMが上がっていく。
この子と二人きりで夏の思い出を作る。
青春を連想させる甘美な謳い文句と、やはり付きまとう背徳感。
そんなのいけないと分かっていてもすぐには拒絶できないほど、心惹かれるものがあった。
「だ、ダメに決まってるだろ。友達と行きなさい」
「えへへ、そう言われると思った」
五十嵐はさほど気にした風もなく、起き上がってテントの外に出た。
やはりイエスとは言えない。さすがに外泊なんて教師と教え子の一線を超えてしまっている。
それは頂けない。
「でもね、センセイ、誘ってくれるの待ってるからね」
テントの入り口から五十嵐を見上げる。彼女は白磁を剥き出しにしたにんまり笑顔で俺を艶然と見下ろした。
そういう顔をされるから、俺は「彼氏と行きなさい」とも言えないのだった。
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