第27話 女子校生「お泊まり、したいです」

「先生も寂しいんですか?」


 かちゃかちゃと食器同士が触れ合う子気味の良い音がキッチンに響く。

 俺が流し台で洗い物をする間、五十嵐は所在なさげに隣に立ち、そんな問いを投げかけた。


「別に。もう慣れたよ」


 嘘だ。本当はがらんとした無人の部屋に帰ってくるたびに離婚した事実を突きつけられている気がしている。


「寂しさには、どうやったら慣れますか?」


「やけに難しいことを聞くな、君は」


 哲学の問題か。

 そんなのこっちが聞きたいよ。


 俺の場合は寂しいどころの話じゃない。

 部屋に帰るたび、幸せな気持ちをむしり取られている痛みに毎日苛まれている。


「そう言うのは時間が解決してくれるものだ。新しい出会いとか、友達との交流とか、趣味に打ち込んだりとか、寂しさを忘れさせてくれる何かが訪れるものだ」


「寂しさを埋めてくれる何か、ですか」


「そうそう。氷室もサークル活動やらしてればすぐに忘れられるさ。そんでそのうち前より良い男とくっつくだろ」


「冴菜さんのことはどうでもいいんです! いや、よくないか……冴菜さん、絶対先生のこと……」


 五十嵐は急に大きな声を出したかと思えば一転してボソボソと独り言を言った。


「え、何? 水の音でよく聞こえないんだが?」


「なんでもありません。私が気にしているのは先生が寂しくないのかってことです!」


 誤魔化すように捲し立てられる。氷室がどうとか言ってた気がするが、それよりも俺が心配されている方が気になる。


 生徒に心配されるとは、教師失格だ。笑える。


「五十嵐、心配してくれるのは嬉しいけど先生は平気だよ。毎日君達の顔見て、土曜日も部活の指導ができる。本当はダメなんだけど、家でも五十嵐の顔を見られるから寂しさなんて感じる暇はないよ」


 今のは俺の本心だ。

 俺の場合は朝から晩まで仕事漬けなせいで日中孤独をは忘れられてる。授業の準備や生徒達との交流――人との関わりのおかげで孤独の底に至らずに済んでいるところはある。


 ぽうっと五十嵐の顔が鬼灯みたいに薄く染まる。

 ちょっと今のセリフはクサかったかな……。


「でも、夜になると独りぼっちじゃありませんか。その時はさすがに寂しいでしょう?」


 図星だ。皿を洗う手が一瞬止まった。

 確かに夜、眠りに落ちる寸前に底知れない寂しさに襲われることはある。そんな寂しさの魔物から逃げるように朝になるのを望んで眠りにつくのだ。


「ふふぅん、図星ですね」


 五十嵐は露骨に得意な笑顔を浮かべて勝ち誇った。なんだか嫌な予感がする。


「先生が寂しくないように今夜はお泊まりしますね!」


「ダメ」


「即答!?」


「当たり前だろ。未成年が親の許可なしに外泊だなんて。しかも男の家に」


 もはや教師と生徒云々うんぬんの問題ではない。絶対に認められない。

 が、五十嵐は不服らしい。むぅ、と唇を尖らせて抗議した。


「明日もここに来て家事するつもりですから、往復の手間省けて良いじゃないですか?」


「効率の問題じゃないんだ。未成年を、しかも女の子を家に泊めるって言うのはアウトなの」


「世間体?」


「未成年者略取。牢屋にぶち込まれちゃうからダメなの」


 五十嵐はこてんと小首を傾げている。そういえば君、公民の成績やばかったね。


「とにかく、部屋に泊まるなんてダメ。ご両親が心配するから今日は家に帰りなさい」


「あの親が私の心配なんかするはずないですよ。それにどうせ家に帰ったって誰も待ってないんだし……」


 五十嵐は不服を吐いて荒い歩調でリビングに戻った。

 ぼふっ、っと柔らかな衝撃音が微かに聞こえる。チラと様子を窺うとベッドにうつ伏せになっていた。不貞寝のつもりか?


「五十嵐〜?」


「ぐーぐー」


 下手な狸寝入りだな。

 洗い物をやめ、ベッドの脇に立つ。


 今の五十嵐はブレザーを脱いでブラウスとスカートだけ。ブラウスの表面にピンクのブラ紐が浮き出している。スカートは短いので太ももがあらわになっており、なかなか目のやり場に困る光景だ。

 あまり変な目を向けないよう、五十嵐には背を向けて腰の近くに座った。


「泊まる」という五十嵐の言葉がどこまで本気だったかは未知数だ。もしかしたらただの戯言だったのかもしれない。

 だがこの子の生活ぶりからして、少なからず寂しい気持ちを抱いていたのは確かだ。高校生にして親と離れて一人暮らしなのは立派だが、寂しさや不安を感じないはずはない。

 それを配慮せず正論で押し返そうとしたのは我ながら悪手だった。

 こんなんだからモテないのだと反省である。


「五十嵐が一人暮らしで寂しい気持ちは分かる。一緒にいて、眠るまでお話ししてあげたいよ。それでもこればかりはダメなんだ。分かるね?」


 普段学校では出さないそよ風のような声。

 最愛の人と寝物語するように穏やかな気持ちを誘った。


 五十嵐は一瞬肩をすくませるように身動みじろぎし、枕に顔を埋めたままチラリと俺の顔を見遣った。とろんと目尻の緩んだ視線が向けられるが、また顔を埋めてだんまりを決め込む。


 弱ったなぁ……。


「五十嵐、機嫌直してくれよ」


「むす〜」


「分かりやすくむくれてるなぁ。そんなんじゃ可愛い顔が台無しだぞ?」


「ゴマ擦ってもダメですよー。今夜は一歩も動きません! 氷室さんに電話しないか監視します」


 まだ続いてたのか、その話。俺ってそんなに信用ない?


「それじゃあこうするのはどうだ? 明日、どこか好きなところ連れてってやるから、今日は大人しく帰る」


「本当!?」


 ガバッと勢いよく起き上がり、正座して俺に向き合った。起き上がる時、スカートが派手に捲れてピンクのパンツが「ごきげんよう」と挨拶をした。

 ほんと、君って分かりやすいね。


「じゃあね、じゃあね、ドライブに行きたい!」


「ドライブ? 映画とかスイーツのお店とかじゃなくて?」


「うん、車でどこかに連れてって!」


 鼻の頭がごっつんしそうになるまで身を乗り出した五十嵐。爛々と輝く瞳が間近でこちらを覗き込むのでドクドクと心臓が鼓動を早める。


 まぁ、ドライブなら人混みのない遠方に行けるので知ってる人に見られる心配はなさそうだ。


「分かった。それじゃあ明日はレンタカーでドライブだ」


「やったぁ! 先生大好き!」


「こ、こら五十嵐、抱きつくな!」


 五十嵐の柔らかい身体に抱きつかれ、座った姿勢を保てずベッドに押し倒される。健康的な少女の心地の良い身体が布団代わりになり、一瞬で昇天しそうになる。

 衝動的に抱きしめてしまいたくなるが、そこは理性を総動員して彼女を引き離したのだった。


 *


 かくして明日は家事はせず朝からドライブに出かけることになった。

 俺は五十嵐を駅まで送り、その後ネットからレンタカーを申し込んだり、行き先を決めたりなど動き出した。


 月曜から土曜まで六連勤。休む暇もないとはまさにこのことで、その上ドライブに出かけるハメになるとは思わなんだ。軽々しく出かける約束などするものではない。


「うーん、どんな車借りようかなー。待てよ、五十嵐はどこに連れていったら喜ぶかなー」


 しかし考えとは裏腹に、PCのディスプレイに反射した俺の顔はにわかに顔を綻ばせ、年甲斐もなくはしゃいでいたのだった。



†――――――――――――――――――――†

 強力なライバルの出現した第四章、いかがでしたか?


 しがらみなく能登先生に接近できる氷室冴菜さんが凪音に影響を与えたのはお分かりいただけたことでしょう。凪音ちゃんはうかうかしていられませんね(笑)


 次回第五章はドライブデートのエピソードです。

 グイグイいく凪音ちゃんと相変わらずドジだけど優しい能登先生の関係がますます発展していきます。

 二人はだんだん教師と教え子ではいられなくなっていくのでしょうか……。


 物語も佳境な第五章をお楽しみください!

†――――――――――――――――――――†

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