第21話 女子校生「マーキング♡」
え? 五十嵐と同じ匂いがする、だって?
春日の一声で恍惚としていた俺の脳は暗転した。
「あー、やっぱりそうだ! 嗅いだことあるな、て思ったけど、凪音とおんなじだ。どうして能登先生から凪音の匂いがするの?」
春日が大層不思議そうな声で尋ねてきた。純粋無垢な上目遣いがこれほど恐ろしく感じたことはない。
ダラダラ、と背中に嫌な汗が流れる。探られて痛い腹にジャブを喰らって俺は固まった。
五十嵐の匂いがつく理由は一つしかない。昨日この子がネクタイを手入れしたせいだ。あの時も柑橘のミストを振っていたと思われるため、それが付着したのだ。
「能登先生のネクタイに五十嵐さんの香水が……? これはつまり……」
美墨先生は推理小説のトリックが解ける寸前のもどかしそうな顔をして唸っている。
これは……まずい。
匂いで浮気がバレるのはよくある話だ。だがまさか生徒との関係が匂いでバレるとは思わなんだ。
動かぬ証拠を発見された、俺は首に縄がかかるのを自覚した。
今度こそさよなら、俺の教員生活。予備校で雇ってもらえると嬉しいな……。
心の中で辞表をしたためたその瞬間、真相が明かされる。ただし、発言したのは美墨先生ではなかった。
「つまり、私と先生の奥さんは趣味が似てるってことですよね?」
からっと明朗に述べたのは五十嵐だった。
「私も同じこと思った! その匂い好きだから今のミスト切れたらそれにしようと思ってたの! 凪音、どこのメーカー?」
「後で見せてあげるね」
にわかにガールズトークが始まり、緊張の糸が緩む。
美墨先生の様子をこっそり窺うと別段訝しんでいる様子はない。どうやら先生も五十嵐と同じことを考えていたらしい。
まぁ、普通はそうか。奥さんのいる男性が教え子の女の子に手を出すなんて考えまい。……考えないよね?
とにかく俺の不安は取り越し苦労に終わった。
「それにしても、先生のネクタイに匂いを吹きつけるなんて、面白いことしますね、奥さん」
不意に五十嵐が思い出したように言う。他の女の気配ではなく妻によるものとの念押しのつもりか。
「あはは、確かに! 能登っちに他の女が寄ってこないようマーキングしてるつもりかな? 奥さん、可愛いことするね!」
「確かに女性が多い職場ですからね。奥様も不安になってしまうのでしょうね」
「ですねー。でも、そうやって『私の!』って主張されると、逆に手を出したくなっちゃうなー……えいっ!」
五十嵐はイタズラ小娘の顔で呟くと不意に俺の身体に抱きついてきた。女性特有の柔らかい身体に包み込まれ、ドクドクとにわかに心拍が上昇する。
例の柑橘系のミストの香りがふぁと漂う。
「おぉー、凪音大胆〜! やっぱり凪音は略奪愛の女なのね……。でもね、能登っちが欲しいのは凪音だけじゃないのよ!? ギュー!」
一人芝居を打っていた春日が反対側から抱きついてくる。右と左の脇腹に柔らかい物体がむぎゅっと押しつけられ、鼓動がいっそう早まっていく。
「こ、こら、五十嵐さん、春日さん! 公衆の面前で悪ふざけが過ぎますよ!?」
「美墨ちゃんも混ざる?」
「混ざりません!!」
顔を真っ赤にして口を窄める美墨先生だが暖簾に腕押し。マーキングする猫のように髪の毛をスーツに擦りつけるのを二人はやめようとしなかった。
というか美墨先生を巻き込むのはやめなさい! あの大きなおっぱい押しつけられたら、先生鼻血出して死んじゃうでしょ?
やがて悪ふざけに満足した二人はあっさり俺から離れ、ぺちゃくちゃとお喋りしながら校舎に向かっていった。
「朝から遊ばれたなぁ……」
「あの子達の元気にはついていけませんね。それはそうと、能登先生は生徒に甘すぎです」
「え、そうですか? 春日ことはキチンと叱ったじゃありませんか」
「いいえ、甘いです! 特に五十嵐さんには甘々です!」
甘々、て。別の意味に聞こえるけど言わないでおこう。
しかし美墨先生の言うことは図星だ。俺は五十嵐には甘いかもしれない。
あの子は元々俺を慕ってくれている節があるのでつい目をかけたり、甘やかしてしまう自覚がある。
加えてこのところは秘密を知られたり、弱みを握られたりで少しの負い目がある。
だからあの子に強くは出られない。
現に今も怖気づいてしまった。
春日も美墨先生も気づいていないが、五十嵐は去った後、チラリと振り返って意味深なしたり顔で笑いかけた。
それが全てを物語る。
ネクタイに匂いをつけたのは五十嵐で、それを指摘したのはわざとだ、と。
俺の命運は自らの
危ない思いをさせられ、だがその後には美味しい思いをさせてくれる。
鞭の恐怖はスリルと表裏一体。飴の甘さは病みつきにさせる。
俺は少しずつ、五十嵐にダメにされているのかもしれない。
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先生と教え子が急接近しする第二章、お楽しみ頂けましたか?
教師の威厳と節度のため、必死に理性を保つ能登先生と、それをお構いなしにグイグイくる凪音ちゃんのやり取りに悶えていただけたかと思います。
次回からは第三章です。
第三章では凪音ちゃんに強力なライバルが出現して大ピンチ(?)になります!
次回以降もお楽しみに!
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