第4章 凪音ちゃん、嫉妬する

第22話 女子大生「能登先生、好きです……!」

「土曜日勤務……だる……」


 職員室の休憩スペースでパンをかじりながら灰汁あく多めな苦い言葉を漏らす。


 こんな愚痴を学校で溢すのは御法度である。生徒に聞かれれば信用を失うし、他の先生にしても勤務態度を疑われる。

 しかし休憩スペースは俺だけで職員室の人影もまばら。そのため独り言くらいは誰に耳にも入らない。教頭先生に怒られる心配もなしだ。


 本日はゴールデンウィーク前最後の土曜日。

 世間は休日だが教員には有って無いような土曜日。


 平日は授業のために、休日は部活の指導のために出勤する。どちらも重労働なので身体にこたえる。休日は休日らしく昼まで寝たり、美味しいもの食べに出かけたいものだがそれもままならないのは教職の辛いところだ。


 生徒思いな能登先生も愚痴の一つをこぼしたくなるというもの。


「うし、ぼちぼち行くか」


 パンの包み紙をぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に放り込み、自分に喝を入れる。休みが少ないのは辛いが、生徒達も同じスケジュールで動いている。先生の俺がだらけてたら示しがつかないというもの。


 職員室を出ると部の活動場所の音楽室に向かう。

 俺の受け持ちは吹奏楽部(副顧問)と軽音部。大学生の頃、軽音サークルのロックバンドでギターを弾いていた経験があるため音楽系の部活の顧問をすることになったのだ。

 といっても俺自身は管楽器の経験はないため、吹奏楽部では未経験者に楽譜の読み方など音楽理論の初歩をレクチャーしたり、最低限合奏できるまでの指導する役目に留まっている。

 ちなみに軽音部の方は「うちら楽しく音鳴らしたいだけなんで」みたいなゆるいスタンスの仲良しクラブなので時々見にいくくらいであまり手はかからない。


 職員室から音楽室のある校舎まで向かう途中、通りかかった中庭でスズメのさえずりに似た楽しそうな話し声が聞こえた。

 中庭の東屋に女子生徒が固まっておしゃべりをしている。


「ダンス部の子達か」


 そう判断した理由は二つ。

 一つは彼女達が制服でも体操服でもないラフな練習着姿だからだ。上はTシャツやタンクトップとの重ね着、ボトムスはハーフパンツやレギンスなど統一感がない。色もバラバラだ。

 そして二つ目は……その中に五十嵐凪音がいるからだ。五十嵐はダンス部所属なのだ。


 その五十嵐が俺の姿に気づき、こっちに手を振った。


「能登先生! こっちこっちー」


 そんなに力一杯振ったら腕がスポッと抜けちゃうよ?

 あと、先生のこと犬みたいに呼んだら来ると思ってるのかな? まぁ、行くけどさ。


 ダンス部の面々がフランクな視線を向け、思い思いの挨拶で迎えてくれる。友達が合流したみたいな気安さは感心しないが……嫌いじゃない! なぜなら皆女の子だから! しかも皆可愛い!


 だがその中の一人はすくっと立ち上がり、顔が分かるくらいの距離になるとキャップを脱いでペコリとお辞儀をした。

 律儀さに意表をつかれるが、もっと驚いたのはアッシュカラーの頭髪だ。愛宕女学院は自由な校風と定評があるも、髪染めは禁止である。


 外部の人……コーチかな?


「能登先生、こんにちは。センセイに会いたかったですよ?」


「あはは、凪音〜。その言い方なんかワルいなぁ〜」


「凪音は能登っちのことどうしたいの?」


 五十嵐は純真無垢な笑顔と裏腹な挨拶をぶちかましてきた。先日のことといい、ちょっと度が過ぎるなぁ……。先生の心臓にスペアないんだよ?


 それをキャハハ、と黄色い笑い声を上げて囃し立てるダンス部員達。ダンス部は五十嵐に負けず劣らずなお茶目で元気な愛宕生の巣窟である。まともに絡むと昼に食べたメロンパンのカロリーを一瞬で持っていかれるので適当にスルー。


「皆お疲れ様。今から練習?」


「そそ。今日はゲストコーチがいるの」


 部員の一人がコーチ――例のアッシュグレーの髪をした女性に目配せをする。やっぱり外部の人だった。


「ねぇねぇ、能登っち。この人誰だか分かる?」


 部員から試すような口調で質問をされ、一瞬どきりとする。俺と目が合ったコーチさんも気をつけをして緊張の色を浮かべた。


 俺の知ってる人なのか? 有名人、いやOGか?


 黒目がちな綺麗な瞳とシャープな顎のラインは緊張してても美貌を保っている。

 五十嵐以上に、可愛いよりも綺麗目成分多めな美女。アッシュグレーのショートヘアーは新鮮だがその顔は記憶に深く刻まれていた。


「……氷室だよな?」


「は、はい! 氷室ひむろ冴菜さなです! 覚えててくれたんですね」


「当たり前だろ。忘れるわけないじゃないか」


 コーチさんこと氷室冴菜は雪解けのようにほろほろと緊張をほぐして笑った。その笑顔を見て俺は胸が熱くなる。


 氷室冴菜は二年前に愛宕を卒業した女子生徒だ。教科担任ではなかったが、吹奏楽部所属だったことと共通テストの指導をした縁がある。合格の報告もわざわざしに来てくれたため、担任学年を卒業させた経験のない俺にとっては例外的に「卒業させた」と思える生徒なのだ。


「と言っても最初は誰だか分かんなかったけどな。なんだ、その頭? 短くして、色も染めて」


「変ですか?」


「大丈夫、似合ってるよ。大人になったな」


 頭髪を冷やかされて恐縮した氷室だったが、褒められると紅潮した顔で髪を撫でた。


「生徒会長も務めた真面目なあの氷室が髪を染めるなんて……。もう俺の知ってる氷室じゃないんだな……先生、悲しいなぁ……」


「大学生になったんだからいいじゃありませんか!?」


 よよよ、とわざとらしい泣き真似をする俺に氷室はヤカンみたいな顔で反論した。まぁ、大学行ったんだから髪くらい染めるよな。俺も青髪とかしてたし。


「先生もお元気そうで何よりです。今日は部活の指導ですか?」


「そう、新入部員の指導だよ。氷室はこの子達にレッスンを?」


「はい、大学ではダンスサークルに入ったんです。大会に出て、メディアに取り上げられたりもしたんですよ?」


 それはすごいな! 氷室の得意げな顔がキラキラ輝いて見える!


「それじゃあ、皆みっちり指導してもらわないとな。あんまり無理難題ふっかけちゃダメだぞ?」


 はーい、と間延びした返事の合唱。ほんと、幼稚園児みたいだね、君ら。


「それじゃあな、氷室。この子達のことよろしく」


「え、もう行っちゃうんですか?」


 氷室は、突然餌を取り上げられた忠犬のような戸惑い顔を浮かべた。


「うん。音楽室で皆を待たせてるし」


 それじゃあ、と氷室に軽く手を振って踵を返す。が、


「ま、待って!」


 二の腕を掴まれて引き止められてしまった。細い腕の割に存外力が強く、俺の身体の重心はふらりと安定を失った。


「ひ、氷室? どうした?」


 彼女らしからぬ行動に俺は困惑した。俺の知る氷室は、目上の人間の腕を掴んで強引に動きを制するようなことはしない。短慮で衝動的な行動を起こす少女では決してなかった。


 振り返って努めて穏やかな表情で、彼女と真正面から対峙する。氷室は溶けかかった氷みたいな顔を俯かせて逡巡していた。そんな俺達を教え子達が不安そうに見守る。

 やがて一呼吸置いた氷室は顔を上げ、俺の目をまっすぐに見つめる。


 そして――


「能登先生、好きです……! 私と付き合ってください!」


 と俺に告白をしてきたのだ。


「え……」


「「えぇぇぇ!?」」


 ダンス部員達の驚愕の叫びが中庭に響き渡る。


 氷室は凛々しい顔を一転、真っ赤に紅潮させモジモジ俯いた。


 俺はというと教え子からの愛の告白に真っ白になっていた。

 あの真面目で、少し不器用なところのあった少女がこんな乙女な顔をして恥じらう姿が目新しくて、鮮烈なインパクトを受けたというのも理由であった。


 奇妙な沈黙が辺りに漂う。が、やがて教え子の一人がそれを破った。


「いやいやいや! ダメでしょ!? 能登っち結婚してるんだよ!? 付き合えるわけないじゃん! 能登っちもなんで断らないの!?」


 その場にいた全員が我に返る。


 そうだった。俺はバツイチだけど学校では既婚者で通してるんだった。それを忘れて真剣に考えちゃった。しかも元教え子相手なのに。


「能登先生……ご結婚、されたんですか?」


「うん。実は氷室が卒業した後に入籍を……」


 オロオロ震える氷室に事実を伝える。この子の受験指導をしている頃には婚約済みだったが、私事のため伝えていなかった。ポカンと呆けた顔から、他人から伝え聞いてもいないみたいだ。


「ウソ……ウソ……私……私……」


 全てを聞き届けると氷室はか細い声を絞り出し、かと思うとその場に膝をついて泣き崩れてしまった。

 わんわんと天まで届くほど慟哭し、滂沱のごとく流れる涙に、俺と五十嵐と教え子達はただただ困惑するしかなかった。

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