第24話 女子大生「先生と繋がっちゃった」
別れたことを漏らした時、存外穏やかな気持ちだった。
当然と言えば当然だ。この瞬間、俺の胸には恥を晒すことへの恐れなど無かった。
この子の心の傷に寄り添いたい。
俺がそう思ったのは氷室に教師として何かしてあげたいとの情が残っているためであった。
いや、それは欺瞞かもしれない。ただ元妻に刻まれた心の傷が疼いたため、つい弱音を溢したに過ぎなかったのか。
同じ傷を抱えたこの子なら……と、何かを期待していたのだろう。
「先生にもそんな経験があるんですか?」
泣くのをやめた氷室が問う。
「うん、実は先生な――」
「へー、先生にそんな経験があったんですねー。知りませんでしたー(棒)」
情に絆されて真実を打ち明けようとしたその時、五十嵐が感情のこもらない声で割って入った。
それで我に返る。
俺は今、何を言おうとした?
まさか妻とは離婚しましたと告白しようとしたのか?
あぶねぇ!! うっかり教え子に痴態を晒すところだった!
「実は、なんですか、先生? 先生にも失恋の経験があるんですか?」
途中で切られた俺の話の続きを氷室は興味深げに促す。
「えぇっと……そう! 失恋の経験があるんだ! 今の奥さんの前に付き合っていた人と大喧嘩して別れたんだ! その時に身も心もげっそりで、『もう恋なんかするもんか!』って思ったんだよ!」
引っ込みがつかなくなり、咄嗟に作り話で誤魔化した。
あぁ、また嘘を重ねてしまった。
元奥さんとしか付き合ったことないのに。
元奥さんと付き合うまで童貞だったのに。
「そうだったんだ……。先生も大変だったんですね。それでも新しい恋をして、ご結婚までされたのはどうしてですか?」
控え目な表情だが目は興味津々だと輝いて語っている。きっと俺の強さを模倣したいのだ。
対して俺は言葉を詰まらせる。
ごめん、彼女に振られたというのは嘘なんだ。
妻とは結婚相談所を通じてお見合いして結婚しました。
結婚相談所に入ったのはモテなさすぎてお金で出会いを買うしかなかったからなんです。
それが真実なんだ……。真実なんだけど、それは言えない……。
毒を食らわば皿まで。嘘をついたなら貫き通す。
この子が明るい未来に踏み出すためにも嘘を方便にせねば……。
だが都合の良い作り話がそう思い浮かぶはずもなく、俺はわたわたみっともなく視線を彷徨わせた。
まずい、あまり沈黙を作ると氷室が不審がる。どうしよう……。
「そ、れ、は! 傷ついた先生の心を奥さんが癒してくれたからですよ! 奥さんとはお友達の紹介で知り合ったそうですよ。ね、先生?」
そんな俺を見かねてか、しゅばーんと五十嵐が氷室との間に割って入って代弁した。
ウキウキした明るい声は恋バナに夢中になっている女子そのもの。その際、一瞬だけこちらに目配せをしてこっそりウィンクをしてくれた。助け舟のつもりか。
「そうなんですか、先生?」
「……そ、そうなんだ! 俺も『恋なんかするもんか』って感じだったけど、知り合いに紹介された女性と会ってみたらすぐ好きになって、で付き合ううちに愛情が芽生えてプロポーズしたんだ、うん」
俺は乗っかることにした。
まぁ、知り合い(相談員さん)の仲介で知り合い、好きになって結婚したというのは嘘ではない。うん、嘘じゃない!
「そうなんですね。先生はすごいです。失恋の悲しみを乗り越えて、ご結婚までされて」
「ひ、氷室もきっと乗り越えられるよ。今は別れたばかりで辛いだろうけど、良い人との出会いが君に力を与えてくれるはずだ」
「良い人との出会い、か……。そんな人が現れるといいんですけどね」
「キャンパスにはいくらでも男はいるだろ。きっとその中にぴったり相性の良い奴がいるさ」
「運命に期待します」
氷室はコロコロと微笑んで呑気なことを言う。
昔はバカがつくほど真面目で融通の効かないところがあった。そんな性格ゆえに将来が心配だったが、随分と柔らかくなったものだ。
もしかすると失恋が彼女を大人にしたのかもしれないな。
「今日ここに来たのは、事情を知らない後輩達と身体を動かせば沈んだ気持ちをスッキリさせられると思ったからなんです。大学の友達だと気を遣われちゃうので。でも先生に会って話したらつっかえてた物が取れて、胸がポカポカして、『先生ならこんな私を受け入れてくれる』って思って、それであんなことを……」
「それで俺に告白を?」
こっくん、と氷室は唇を噛みながら頷いた。
「本当にごめんなさい。先生のご家庭のことなんか知りもせず……。しかも、自分の不安を解消したいから告白だなんて……。相手の気持ちを考えられない私に、誰かとお付き合いする資格なんてありませんよね……」
「そんなに悪びれることないぞ。氷室みたいな可愛い女子から話しかけられて嫌な男はいないよ。実際、告白は驚いたけど全然嫌じゃなかったし」
「そんな……可愛いだなんて……」
氷室はぽうっと頬を染めてはにかんだ。良かった元気が出たようだ。
それを見て俺は嬉しくなる。……嬉しくなるのだが、なぜだろう、じとっと五十嵐から鋭い視線を感じていた。
「先生がその運命の相手だったら良かったのにな……」
「え!?」
意表をつかれたのはなぜか五十嵐だった。くすぐったいセリフに俺も十分驚いたが、五十嵐が素っ頓狂な声を上げるので意識が散ってしまう。
「そんなに驚くことかな、凪音ちゃん?」
「驚きますよ。だって能登先生ですよ?」
「いーがーらーしぃー? それはどう言う意味かなぁ?」
すっごく失礼なこと考えてるよね?
「あはは、そうだった! 能登先生だったね」
あれれぇ〜〜おかしいぞ〜〜?
能登先生、すごく良いこと言ったはずなのになんでそんなに評価低いんだろう?
俺の価値が高いのは結婚相談所の検索システムの中だけの話なのかなぁ?
年収とか職業とか、社会的ステータスはこの子達には評価されないということか……。
まぁ、良いけどさ!
再婚相手は社会人の人にするからさ!!
また相談所行くからさ!!!
悔しくなんてないけどさ!!!!
「冗談ですよ、先生。そんなに落ち込まないでください。能登先生は素敵な男性だと思いますけど、私にとってはやっぱり偉大な恩師って感じがして、恋のお相手だなんて滅相もないです」
「そ、そうだよな。うむうむ、先生と教え子だもんな!」
「そういうことです! それに、私が横恋慕したら奥さんに悪いですもの。能登先生にはお世話になったのにろくに恩返しもできないので、せめて幸せをお祈りしないと」
氷室は胸の前で手のひらを組み、本当にお祈りするような仕草をしながら真っ直ぐにこちらを見つめた。
偉大な恩師、か。
くぅぅ! 嬉しいこと言ってくれるじゃないか!
学校なんて所詮人生の通過点と思っている生徒は大勢いる。だから教員というのは過去の人物にされがちだ。それゆえ卒業しても尊敬の念を抱かれると自分の指導が間違ってなかったと採点された気がしてとても嬉しいのだ。
「そうだ、能登先生。よろしければ連絡先を教えていただけませんか? 実は大学で教職課程を取っているんです。お邪魔にならない範囲でアドバイスをもらえればと」
「もちろん、いいぞ」
「ええぇ!?」
五十嵐が素っ頓狂な声を上げた。さっきから何なの、君?
そんな五十嵐をよそに、スマホを取り出してLINEの友達追加をする。すると友達リストに氷室が表示された。
まさかOGと繋がる日が来るとは。
うーむ、なんだかくすぐったいなぁ。
「うふふ、能登先生と繋がっちゃった。どんなメッセージ送ろうかなぁ?」
「ははは、気軽に絡んでくれていいぞ?」
「本当ですか!? やったぁ! パフェの写真とか送りますね」
「冴菜さん、能登先生は妻帯者ということをお忘れなく」
「じ、冗談よ、凪音ちゃん。そんな怖い顔しないで!?」
「五十嵐、そんな目くじら立てることないだろ。氷室は変なイタズラするような子じゃないぞ、誰かさんと違ってな」
「ふんだ! OGと連絡先交換してデレデレしてる先生のお説教なんか聞きたくありません。早く音楽室に行ったらどうです? 皆、先生の到着を待ってるんじゃありませんか?」
「やば、忘れてた! それじゃあ氷室、俺はこの辺で。ダンスと恋もいいけど、勉強もしっかりな!」
ぺこりとお辞儀をして見送ってくれた氷室。その横で五十嵐がなぜかほっぺたを膨らませて俺を睨んでいた。
それは白百合とも黒百合とも違う、言うなれば赤いシクラメン。
なぜ五十嵐が氷室との連絡先交換にそれほど目くじらを立てるのか。この時は知るよしも無かった。
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