第19話 女子校生「通い妻ですね」

「さっきは本当にごめん! まさか五十嵐がシャワー浴びようとしてるとは思わなくて……」


 買い物から帰ってくると、俺は開口一番に五十嵐にお詫びをした。


「頭を上げてください、先生! 黙ってシャワーを借りた私にも非はあります」


 平身低頭な俺に彼女は逆に恐縮していた。


 俺が出た後、五十嵐はLINEでやり取りして改めてシャワーを浴びるのを許可を求めた。その際、また着替えを覗いてしまわないよう、彼女が服を着てから入室すると取り決めた。


 そのため再犯の杞憂もなく、安心して帰宅したわけだ。

 憂慮すべきは初犯をいかに御赦免にして頂くかであったのだが、彼女の怒りは危惧したほどではない。

 それは嬉しいのだが、安堵よりも肩透かしを食らった形だ。


「怒ってないのか?」


「怒ってなんかいません。さっきも言った通り、私にも非がありますので」


「そっか、良かったー」


「責任は二対八くらいなので」


 いや、それ大分俺が悪いよね?

 まぁ、年頃の女の子の下着姿を見てしまった罪は軽くはないだろうから甘んじて受け入れるけどさ。


 にしても、五十嵐さん、先日学校で着替えを見てしまった時とリアクションがかなり違いましたね?

 あの時は「見られても平気ですよ」みたいなクールな感じだったのに、今日は初々しく悲鳴なんか上げちゃって。

 やはり二人きりの空間だから怖さも少しはあったのかな?


「覗きの責任は後々追及するとしまして――」


 あ、制裁はやっぱりあるんですね。


「とりあえずお使い、お疲れ様でした。今からお昼ご飯に炒飯を作ります。先生はリビングで休んでてください」


「食事まで用意してもらって悪いな。何か手伝えることはあるかな?」


「それでは食器の準備をお願いします」


 そこから各々の作業が始まる。


 俺は食器棚から皿やスプーンを取り出して配膳の準備をする。

 結婚生活中は皿も食器も妻の物と合わせて二人分があった。しかし一人暮らしに逆戻りしたため今は当然一人分しかない。そのため用意した食器類は大きさと形状が少しずつ異なり、やや歪な食卓になりそうだ。


 五十嵐は持参したピンクのエプロンを着て台所に立ち、買ってきた食材の調理を開始した。

 若いのに手慣れた手つきで食材を処理する姿は『花嫁修行を終えて嫁いできた新妻』と言うほかない。

 今時『花嫁修行』なんて古臭い言い回しであるが、彼女の楚々としたたたずまいは大和撫子というに相応しい。女性に尽くされて嬉しくない男はいないのだ。


 そんなことを考えるあたり、やはり俺は崩れ去ったあの幸福な生活に未練が残っているのだろう。


 *


「カニ炒飯、できました! お口に合うと良いのですが」


「うわぁ、美味そう! すっごくいい匂い。食べてもいい?」


「もちろんです! 召し上がってください」


 五十嵐は得意げ鼻を鳴らして息巻く。


 今日の昼食は五十嵐特製のカニ炒飯。卵スープ付きなので町中華の定食みたいだ。

 金色の米粒の一つ一つからほんわり香ばしい湯気が立ち上り、食欲をそそる。


「いただきます!」


 早速スプーンで一すくいし、口に運ぶ。


「ど、どうでしょう?」


「う……美味い!」


「本当ですか!?」


「もちろん! 味付け完璧だし、お米もパラパラで食べてて幸せになるよ。家庭用のコンロでこんなパラパラ炒飯作れるもんなんだ。俺も炒飯作ったことあるけど、なぜかいつもベチャベチャになるだよな」


 ラーメン屋や中華屋では高火力のコンロと中華鍋を使うが、一般家庭ではそうはいかない。火力が低いためプロのパラパラ炒飯は再現が難しい。

 だが五十嵐の作った炒飯はパラパラで、米の一粒一粒が口の中で踊ってるみたいだ。


「火加減と材料の入れる順番次第でパラパラにできるんです」


「なるほど。材料もよく工夫してるな。カニカマでカニ炒飯だなんて自分じゃ考えつかないよ。五十嵐は頭が柔らかいんだな」


「あ、ありがとうございます。私って一人暮らしなんで毎日料理してるんですけど、同じメニューでも材料とか調味料を変えたりしてバリエーションを増やしてるんです」


 五十嵐は頬を朱色に染めて誇らしげに語った。モジモジ謙遜しているが、その年齢で一人暮らしして、毎日自炊してるのは大したものだと先生は思うよ。


「五十嵐はいいお嫁さんになれるよ」


「ほ、本当ですか……? 能登先生にそう言ってもらえると……嬉しいです」


 俺の本心からの感想を、五十嵐はニコニコ笑って受け止めてくれた。

 今時『料理ができる=良き妻になれる』というのも古臭い考えかもしれない。だが男心はいつだって女性に家庭的なぬくもりを求めてしまうものなのだ。


「ねぇねぇ、先生! もっと褒めてください!」


「も、もっと?」


「ご飯に限らなくてもいいですから! 今日はお掃除もお洗濯もしたんですから。ほら、私って褒められて伸びるタイプじゃないですか?」


「自分で言うかね、普通?」


「私のこと、子供の頃から見てるから知ってるでしょ?」


 今も子供ですけどね。


 それはさておき、まさしくこの子は褒められて伸びるタイプというのは間違ってない。というのも彼女には実績がある。

 五十嵐は中学数学についてこられない時期があったが、補習授業中に褒めてやったところ苦手を見事克服したのだ。その甲斐あって今となっては数学は得意科目となっている。教科担任としては嬉しい限りだ。


 しかしいざ褒めようとすると言葉が出てこないものだ。あまりわざとらしいのも鼻につく年頃だし難しい。


「……アイロンがけ」


「アイロン?」


「うん。先生、アイロンがけ苦手でついサボっちゃうし、やっても変なシワがついたりして上手くできないんだ。でも五十嵐は上手でびっくりしたよ」


「えへへ。アイロンがけは制服にまめにしているので得意なんです」


「なるほど。どうりで五十嵐は綺麗なわけだ」


「綺麗……ですか?」


「あぁ、五十嵐の制服姿、先生は好きだぞ」


 しわ一つない正装というのは見ていて清々しいものがある。俺もスーツを着て仕事をしている立場だから彼女の着こなしには学ぶべきものがあると常々思っていた。もっとも、スカートが短いのは考えものだが。


 五十嵐も大学三年生になればスーツを着るようになる。その時、今の言葉を思い出して身嗜みを意識してくれれば教師冥利に尽きるというものだ。


 身嗜みを誉められたのがよほど嬉しかったのか、五十嵐はぽうっと鬼灯みたいに頬を赤くして押し黙った。


「私も……好きです。先生の、ピシッとしたスーツ姿……」


「本当か? ありがとう。五十嵐のおかげでシャツもスーツも下ろしたてみたいに綺麗になって、すごく気分が良いよ。月曜日に来ていくのが楽しみだ。本当にありがとう」


「い、いえ……。お役に立てて何よりです」


「これで美墨先生に疑われずに済みそうだ」


「美墨先生に、ですか?」


 首を傾げる五十嵐に俺はざっくり美墨先生との会話を話した。

 スーツに皺が入っていること、奥さんと喧嘩中と勘ぐられて誤魔化したこと。


「嘘をつき続けるのは楽じゃないよ……。スーツの皺にまで気が回らないし」


 元々嘘が下手な性分なので尚更だ。


「ふーん。それじゃあ、スーツのアイロンがけも私がしないといけませんね?」


 五十嵐が艶然と微笑む。まるで冷蔵庫の中に好物のプリンを見つけたワガママなお嬢様のごとく、さも当然のようにことを決めてしまった。


「それは、『来週も来る』って話の続きか?」


「はい。来週もお掃除とお洗濯をして、アイロンがけもしてあげますね?」


 先ほどは有耶無耶になってしまったが、彼女の中で来週の予定はとっくに決まっているらしい。

 再び家に招いて家事をさせるのは気が咎めるが、嫌いなアイロンがけを代行してもらえる特典の魅力には抗いがたい。


「うふふ、日曜日限定の奥様って感じ。こういうの、通い妻っていうんですよね、センセイ?」


 どこでそんな言葉覚えたんだ!?

 先生は教えた覚えありませんよ!?

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