第3章 先生のおうちで……

第16話 女子校生「ご奉仕させてください」

 断らないとダメだ。


 俺と五十嵐はあくまで教師と生徒。


 生徒と親しくても、それは学校の中での話に留めなければならない。


 プライベートで会って、公的な関係以上になってはいけないのだ。


 ピンポーン――


「先生。おはようございます。お邪魔しますね」


「あ、はい。どうぞ……」


 迎えた日曜日、俺は理性とは裏腹に無抵抗で五十嵐を部屋に上げてしまった。


 断ろうとしたよ? 

 でもさ、なんて言うんだろうね……断れなかったんだ、先生。


 あの後の五十嵐はいつものニコニコ笑顔と意味深な微笑みを交差させて何考えてるのか全く分からなかった。


 胸を触って、悲鳴を上げられないよう口を塞いでしまった手前だ。前者は事故だが後者は故意なので非はこちらにある。

 その穴埋めとして来訪を飲んだ弱みがあるから俺も怖気付いて断れなかったんだ。


「お邪魔しまーす。あ、ちょっと綺麗になってる。掃除してくれたんですね」


 五十嵐は部屋を見渡しながらベージュのキャスケットを脱いだ。


 今日の五十嵐の服装は襟付きの黒いミニワンピにクリーム色のパーカーを合わせている。

 柄やフリルのないシンプルなデザインであるが、着ている本人の容姿が優れているので地味さを微塵も感じさせない。ラッピングが花束を引き立てるように、五十嵐の清楚な華やかさをさりげなく際立たせているのだ。


「まぁ……お客さん来るわけだしそれくらいな」


 先日訪れた時には脱ぎ散らかし食べ散らかしの汚い部屋だったが、さすがに今日は片付けている。


「えっと……五十嵐、さん? お紅茶でも淹れます? 一応お茶菓子もありまして……」


「いえ、どうかお気遣いなく。今日はおもてなしされにきたわけじゃありませんから」


 五十嵐は慇懃に断ると部屋を隅々まで観察して回った。

 窓のサッシ、テレビボードの上と中、部屋の隅のエレキギター。本棚についっと指を這わせ、付着したホコリをジッと見つめる。まるで掃除の具合を採点する意地悪な姑みたいに。


「あの……五十嵐。俺の部屋なんて汚いし、面白くもないから外に行かないか? 近くに美味しいお蕎麦屋さんがあるから、散歩とお茶でもしてその後ランチにでもご馳走するよ」


「ご飯もご馳走になる気はありませんよ?」


 マジで何しにきたの!?


 部屋に入っても五十嵐はいつも通り楚々とした所作で変わりがない。あくまで教え子の五十嵐凪音だ。


 しかしそれが恐怖だった。

 今日は五十嵐へのお詫びの日になるはずだ。だからどんな要求をされるのかと昨夜からビクビクしている。


 それなのにゆするでも脅すでもなく、いつもの清楚な少女でいられると刑を言い渡される前の犯罪者みたいで生きた心地がしない。まさに蛇の生殺しだ。


「それじゃあ、まずはお掃除から始めますね?」


「はい……?」


 それが、五十嵐が自ら発した第一声だった。


 聞き間違いか? 現金でも単位でもなく、お掃除とこの子は言った?


「洋服やゴミは片付けたみたいですけど、部屋の隅には埃が溜まってるみたいですし、掃除する余地はありそうです。先生、掃除機と雑巾、貸してください!」


「え、掃除? 部屋の掃除手伝ってくれるの?」


「いえ、私がお掃除します。先生は座って休むなりお勉強なりご随意にどうぞ」


「なんで!?」


 俺が身を削るどころかギブを受けるなんて……。

 おかしい。こんなに美味しい話があるはずない。

 狐につつまれた気分だ。


「五十嵐、俺は……その……君の嫌がることをしてしまった。怖い思いをさせたと思う。それなのにどうしてそんな親切をしてくれるんだ?」


 美味しい話には裏がある。

 子供じゃないからそれくらい弁えている。

 彼女が素直で良い子と分かっていても警戒してしまった。


 だがやはりと言うべきか、五十嵐はどこまでも五十嵐だ。純真で曇りのない笑顔で言い切った。


「そんなの決まってるじゃありませんか。私、先生に恩返しがしたいんです!」


「お、恩返し?」


「はい! 中学入学から高校二年生に進級するまで、先生は私を指導してくださいました。なので今日までの恩をこの機会にお返ししたいんです!」


「お、お返しだなんて。俺は先生なんだから当然のことをしてるんだ。恩を返せなんて思ってないよ」


「ふふ、そう言うと思ってました。だから水に流す代わりにお願いしたんです。そうでもしないと断るでしょう?」


 五十嵐は得意げな顔でウィンクをして深謀遠慮を語った。


 確かに。普通なら「お気持ちだけで」とか「その分勉強頑張れ」とかやんわりした言葉で固辞する。俺がしてやったことは教師として当然の仕事に過ぎない。それに美墨先生の言う通り、生徒との私的交流はトラブルのもとだから。


「だから先生、私の胸を触った罰として、今日は大人しく恩返しされてください! さもないと私、怒っちゃいますよ?」


「ううん、でも生徒を家政婦みたいに扱うのはちょっと……」


「あること無いこと、美墨先生に言いつけちゃおっかなぁ?」


「それは勘弁して!?」


 せっかく疑いを晴らしたのに。


「うふふ。ウソですよ? そんなに思い詰めないでください。確かに胸を触られちゃったのはびっくりしましたけど、全然怒ってませんよ?」


「そうなのか?」


「はい。先生は男の人ですが、私に乱暴するだなんて最初から思ってません。私は先生を信じてますから!」


 ふおぉぉぉ!?

 眩しい!

 五十嵐の笑顔が、背中から差す後光が眩しくて直視できない!?

 これほどまでに信頼を寄せてくれる生徒を疑ってしまった自分が恥ずかしい。穴があったらホールインワンしたい。


「そう言うわけですから、今日一日、私が奥さんの代わりに家事でをして恩返しをします。ご奉仕します! 異論は認めません!」


「そっかぁ……それじゃあ、お願いしようかな」


「はい、お願いしてください!」


 五十嵐はにっこり笑いながら、細腕で力こぶ作る仕草をしてみせた。

 有無を言わせぬ無邪気な強引さのせいか、華奢なくせに力強く見えたのだった。


 でも『奥さんの代わり』はちょっと言い過ぎじゃないかな?

 まぁ、先生嬉しいけどさ。

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