第10話 『母上、一体何を考えていらっしゃるのですか』(過去編/第一王子視点)
――亡き王妃は今なお、国王の寵愛を独占している。
――国王の隣が未だ空位であることが何よりの証明。
王家存続の為に、数多の妻妾を娶れる国王が王妃一人を忘れずにいるのだ。
そういった意味では母は恵まれていたのかもしれない。
母がそう考えていたかどうかは定かではないが。
母は元々、先代国王の弟に嫁ぐ予定だった。先々代の国王――曾祖父が晩年儲けた子供であったものの、母とは当然年が離れていた。とはいえ、年の差がある婚姻など、貴族階級以上であればさして珍しい話でもなく、関係は良好そのもの。加えて、母が名門の出であり、国王が世継ぎを未だ指名していないことも相まって、次期国王は決まったも同然だと噂されていた。
父が母を見初めるまでは。
父が王位に就いたのは、母を手に入れる為だった。父にとって王位は『手段』であり、母を娶ることが『目的』そのものだった。王位継承権争いに身を投じたのも、あくまで『手段』を得る『過程』に過ぎなかった。母の婚約者もまた、父の『過程』の中で命を落とした。反乱の兆しありと証拠を提示され、無実を主張する中で、獄中で帰らぬ人となった。婚約者の死を聞いた母が何を思ったのかは分からない。ただ、新国王となった父が伴侶に指名した際、母はその手を取った。
そして、母は王妃となったのだ。
◆ ◆ ◆
『王子であれば常に私情を優先せぬよう、務めなさい』
婚儀を終えてから一年と経たずに、王妃は第一王子――私を身籠り、出産した。ひとえに王の寵愛が深い故かと思う者もいれば、眉をひそめる者もいたらしい。王妃は元々、王の叔父に嫁ぐ予定だったのだ。にもかかわらず、喪に服す様子もなく、王と床を共にするなどと。王の手前、表立って何かを言う者はいなかったものの、母の振る舞いは常に見られていたのは間違いない。
当然、母も自身に対する視線に気付いていたであろうが、気にする素振りは見せることなく。
選りすぐりの学者と家庭教師達を招き、母は私に教育を施した。
『次期国王として、恥ずべき行動はせぬように』
周囲が私を評価する度に、鵜呑みにしないよう、母は私に言い含めていた。周囲の称賛は私が『王の子』であるからこそ。甘言に溺れ、堕落すれば、王子としての価値は失うと思えと。
母は特に感情面の抑制を重視した。
その延長線で、母は私の名を呼ぶ機会は殆どなかった。
呼ばれた時は片手で足りる程。
名を呼べば、立場よりも個人としての感情を優先するようになる恐れがあり、その可能性を摘むべく名を呼ばないと言っていた。
母にとって私は『王の子』であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。王妃付きの侍女――後に第二王子の母親になる―――との関係の方がまだしも良好と呼ぶべき有り様だった。
私に教育を施す一方で、母は『王妃』としての務めを果たそうとしていた。しかし、母の腹に私以外の子が宿る気配はなく。母は『王の子』を懐妊することを諦めた。とは言え、王家存続の為に王の子は必要不可欠。故に夫に側室を宛がうことにした。既に家臣は王妃の不妊を理由に、王に再三側室を持つよう上奏していたものの、王は決して首を縦に振ろうとしなかった。
『我が伴侶は王妃だけでよい』
その王妃自ら、王に側室を持つよう進言したのだ。
『王家の為にも、どうか』
跪く王妃に、王は側室を持つと決断した。王の寵愛が王妃に傾き過ぎていると懸念していた家臣達は、寵愛を独占しようとしない王妃を讃えた。
母は夫の側室を選び、夫の寝所に侍らせた。
側室が王の子を宿したとしても、王妃自らが選んだ者達だ。むしろ、王妃の立場をより強固のものにする筈だった。
父が側室に毒を呷らせていなければ。
側室の一人が自ら命を絶ったのが、きっかけだった。王に毒を飲まされ、子を身籠れなくなった我が身を恥じてと遺書に認めて。病死として処理される可能性は潰えていた。亡き側室が生前、家に事の真相を綴った手紙を送っていたからだ。
俄には信じがたいそれを、王は家臣達の前で認めたのである。
『我が王妃に対する変わらぬ愛を示す為だ』
王妃が選んだ側室に毒を盛る。それが王妃の顔に泥を塗る行為だと、父王は理解していないのか。あるいは分かった上での発言か。
自害した側室の父親は、慰謝料と称する数枚の金貨を受け取らず、王宮勤めを辞して家族と共に隣国に渡った。以降、貴族は王に側室を献上しなくなり、側室達には毒味役と護衛が増やされることとなった。監視も兼ねたそれは王妃の采配によるものだった。
王の寵愛を一身に受ける王妃。その王妃の采配は、家臣達に王妃に対する疑念を植え付けた。
――王に側室を持てと進言したのは、王の子を儲ける為だったのか?
――王妃は王が側室に毒を飲ませると、分かっていたのではないか?
――側室と称した『人質』を集め、家臣達に対する牽制が目的だったのではないか?
側室の周囲が『監視』で固められた結果、側室達は家との連絡が制限されると同時に、娘を側室に差し出した家は、王に従わざるを得なくなった。
そして、家臣達の行き場のない感情は、王ではなく王妃に向けられた。
――王妃はやはり王の寵愛を独占するつもりだったのではないか?
――側室達に毒を飲ませたのも、王妃の指示によるものだったのではないか?
父は噂の出所を探るどころか、母にしきりに聞いていた。
『そなたが辛ければ、王位を王子に譲り、離宮で共に暮らさないか?』
父にとって母こそ全て。齢十にも届かない王子の王位継承が、どれだけ国に混乱をもたらすかなど、どうでもよかったのだろう。
ある意味、暗君や暴君よりも酷い王であった。
『いいえ、陛下。陛下は私のことは気にされずに、王の務めを果たしてくださいませ』
母は夫の誘いに決して頷かず、王妃としての模範解答を口にしていた。王妃とは斯くあらんと言う理想像を持っていたのか。そこから外れた言動や行動をするような人ではなかった。
側室に毒を飲ませていたのは、あくまで父の独断だった。
ただ、母もまた独断で、王の側室を選んだ。選ばれたのは、王妃付きの侍女の一人だった。
母の命令に従った侍女は、後に国王の子を身籠った。私の異母弟である第二王子が生まれた。
『私はそなたを妻に迎えただけだ。王妃の務めなど気にしなくてともよかったのだ』
第二王子を王妃の養子に迎え、母子共々離宮に追いやった日。私は初めて、国王夫妻が言い争っている姿を目にした。
『貴方は私から王妃の務めすら奪うおつもりですか?』
静かな母ばかり見てきたせいか、母が父を詰る姿に驚いたことをよく覚えている。
以来、公務以外で二人が一緒にいる場面を殆ど見かけなくなった。時折、父王が母を訪ねてきたとしても、儀礼的な言葉を交わすのみ。
『婚約者の名を呼ぼうなどと思わぬように』
やがて、母は私に婚約者を据えた。顔合わせは無論、婚約者としての場を設ける為の茶会や手紙のやりとりも順調だった。亀裂が走ったのは、小さなきっかけだった。
『殿下、また会う機会がありましたら、私の名を呼んでくださいませんか?』
手紙に記された、流麗な筆跡。そこに綴られている望みの意図が分からなかった。名を呼ばれる機会自体、私にはないに等しく。彼女の望みが何故それなのか。分からないまでも、婚約者を好ましく思っていたのは本当だ。
彼女が望むのならば、叶えてもいいと思った。
けれども、母は彼女の名を呼ぶことすら禁じようとしたのだ。
『何故ですか、母上』
流石に母に詰め寄った。
『婚約者と交流を深めることの何が問題だと言うのですか』
『相手の名を呼べば、個人としての私情が入る恐れがあります』
『私的な場で呼ぶだけです、公的な場では弁えるつもりです』
『王族に「私的な場」などありません。一挙手一投足、常に周囲の目があると考えなさい』
『でしたら、尚のこと。婚約者との仲にあらぬ疑いを持たれては差し障りがあります』
『あったとしても毅然とした態度で臨めばよいのです』
『その状況を生み出さぬよう、務めるのも大事ではありませんか!』
思えば、母に反抗したのはあれが初めてだった。王子として、次期国王としての立ち居振る舞いは心掛けているつもりだ。けれども、今回ばかりは母の過干渉に我慢できなかった。
『最近の母上は矛盾が過ぎます。仲が深めよと言いながら、亀裂が走ったとしても構わないと仰っている』
公務を怠る様子はないけれど、私と接する時の母の言動は目に見えて冷たくなっていった。今更母の愛情を求めようとは思わないけれど。
『母上、一体何を考えていらっしゃるのですか』
『······貴方は、』
母は私を見た。
『貴方は陛下と同じ轍を踏むつもりですか』
冷ややかな瞳の中に、王子が映り込んでいる。
『······母上は、』
母と目が合う機会もまた、決して多くなかった。私と接する際は、常に目を背けている人だった。だからこそ、唐突に気が付いた。
母上は、
『私に父上を重ねていらっしゃるのですね』
母の顔に罅が入った。
『······失礼致します』
儀礼的な言葉を口にして、母から背中を向けたのだ。
そうして、数日後。
母は私達の目の前で死んだのだ。
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