第11話 『やはり貴方は陛下の御子なのですね』(過去編/第一王子視点)
母は身勝手な人だった。
父王が盲目的に執着し、第二王子の母親が忠実に仕える。そんな魅力がある人には見えなかった。もしかしたら、父に見初められるまでは違っていたのかもしれないが。
私にとっては『王妃』でしかない人だった。それすら放棄したのだから、どうしようもない。
母が『王妃』を放棄した日、紅茶の香りに顔をしかめたのを覚えている。
『いかがされましたか?』
注がれた紅茶から視線を外せば、第二王子の母親と目が合った。恭しくも、こちらを案じる声音だった。
『いや、なんでもない』
『左様でございますか』
『王子』
呼ばれると同時に、第二王子の母親は首を垂れて数歩下がり、佇んでいる。その姿は王の側室と言うよりも、主人に忠実に仕える侍女に相応しい立ち居振舞いだった。
『「目下の者」と無闇に言葉を交わしてはなりません。侮られる要因を自ら生み出すも同然の行いですから』
こちらを見ることなく、母は紅茶を口にする。
『······』
そのような話をする為に、私を茶会に招いたのだろうか。香りのよい紅茶を見つめながら、母の心中を測りかねていた。
薔薇園に囲まれている中に、身内のみを招いた茶会に出席するよう、王妃に命じられた。
ーー『私に父上を重ねていらっしゃるのですね』
母に否定的な態度をした数日後のことだった。
『王子』
顔を上げたものの、母と目は合わなかった。
『飲まないのですか』
視線は、空になったカップに注がれたまま。
『······後で頂きます』
『そうですか』
それきり、会話が途切れた。
『······母上』
『何ですか』
静かな声だった。
『何故私を茶会に招かれたのですか』
『貴方だけではありません』
感情を削り落せば、母のような声になるのだろう。
『国王陛下もまもなく来られるかと』
『······父上も呼ばれたのですか?』
『ええ』
母らしからぬことだった。何より、
『ですが、父上は今、政務をしていらっしゃる頃かと』
『来られますよ』
母の声は不思議とよく響く。
『あの方が私以外を優先するところなど見たことがありませんから』
それは、夫に対する皮肉だった。
『······そうですか』
ならば、第二王子は何故呼ばないのかと聞くまでもない。第二王子の母親に給仕をさせている時点で、態度で示しているも同然だった。
『時に、』
母は言った。
『貴方はまだ、かの令嬢の名を呼ぼうと考えているのですか?』
ーーわざわざ茶会に招いたのは、その為か。
『彼女が望むのならば、今すぐにでも』
『私情を優先すると言うのですか』
『お言葉ですが、母上。母上もまた私情を優先しているではありませんか』
その時の母がどんな顔をしていたか。
今でもはっきりと覚えている。
『名を呼ぶことが、私情を優先することとは限らないかと』
『······そうですか』
不意に母と目が合った。
『やはり貴方は陛下の御子なのですね』
削り取れていない感情が、声に現れている。
『ーーお言葉ですが、母上。私は母上の子でもあります』
『知っています。そんなことは』
母はこちらを見返した。
『ですから、私は、』
母は一体、何を言おうとしたのだろうか。
『「 」』
名を呼ぶ声が、母の言葉を遮った。
呼ばれた名は母のものであり、その名を呼べる特権を持つ相手は一人しかいない。
『······陛下』
立ち上がることなく、母は夫の姿を目に留めた。
『来て下さったのですね』
『そなたの誘いを断るわけがなかろう』
穏やかな声音は、母に対する愛情に満ちている。他の者など、視界にすら映っていないことだろう。
『それで、話とは?』
夫の言葉に、母は静かに答えた。
『お別れを言いに』
私は思わず母を見た。
『······また、その話か』
一転して、苛立ちを露にした父が、母を見下ろしている。
『言った筈だ。そなたを手放す気はないと』
『ええ、存じ上げています』
母は頷いた。
『私を手に入れる為ならば、貴方は手段を選ばなかった』
『······』
『貴方の手を取った時点で、王妃の座を降りられないのは明白』
『ならば、』
『ですから、陛下』
母は穏やかに微笑んだ。
『私も手段を選ばず、貴方の元を去ろうかと』
そこで母は一度、咳き込んだ。口元を覆った手の平に付いたそれを、母は満足そうに見つめた。
『丁度よい時間帯ですね』
血だと理解するのに、数秒時間を要した。
気付いた時には、母は父の腕に抱かれていた。
『 』
『 』
悲鳴じみた声が、父のものであり。こちらを怒鳴りつける声もまた、父のものだった。
何故気付かなかったと言っているのだと分かっていながら、私は何も答えられずにいた。
死にゆく母の穏やかな顔を呆然と見ることしかできなくて。
『 』
第二王子の母親は跪き、王妃の紅茶に毒を盛ったのだと明かした。父は激情に任せて、衛兵を呼ぼうとして、
『呼んでどうなさるおつもりで?』
何故か母の声ははっきりと聞こえた。
『この者は私の命令に従ったまでのこと。王妃の命令に逆らう者がいるとでも?』
『 』
『この者を捕縛して、虚偽を言えと命じたことで無駄なこと』
母はかつての侍女を見た。
『この者は私の命令にしか従いません』
捕縛された場合、母の死の原因を嘘偽りなく言えと予め言い含めていたのだろう。そうなれば、父は『王妃に自害された国王』だと内外に知られてしまう。父王の治世に一体どれ程の影響を及ぼすか。
しかし、父にとってそんなものはどうでもよかった。
『ですから、陛下。私の死は「病死」と言う形で、』
『それ程までに、』
苦痛に耐え切れないとばかりに、父の声が震えていた。
『私の「妻」でいるのが嫌だったのか······?』
すがり付くような声だった。
『ーー陛下』
母は何を思ったのか。穏やかな微笑みを浮かべたまま、父に言った。
『貴方に名を呼ばれる度に、苦痛で仕方がありませんでした』
それが夫に対する答えだった。
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