第8話 『何故お前は死なぬのだ?』(過去編/第一王子視点)
『――失礼致します、国王陛下』
不意に声が陰鬱な部屋を開けた。
振り返れば、女が立っていた。
『ご挨拶申し上げます、王太子殿下』
この上なく丁寧でありながら、声は乾き切っていた。部屋の惨状を目の当たりにしてなお、動じる気配は微塵もない。
『何用だ』
『ご命令に従い、妃殿下のお部屋に』
端的に用件を伝え、女は王を見る。
『······』
父王は手元にあった鍵を放り投げ、女の足元に転がった。
『感謝致します、国王陛下』
女はその場に屈み込み、鍵を拾い上げた。
『下がれ。王子もだ』
『――失礼致します、父上』
そのまま踵を返そうとすれば、
『何故お前は死なぬのだ?』
振り返れば、父王は女を見ていた。
『早く死ねばよいものを』
『――愚問にございます、国王陛下』
慎ましやかに礼を取る。
『わたくしが自ら死なぬのは、』
この上なく礼儀を弁えた姿勢でありながら、
『亡き妃殿下と、第二王子殿下の為にございます』
王に対する敬意は欠片もなかった。
『失礼致します、国王陛下』
こちらに先に出るよう無言で促した後。静かに扉を閉じた。
『先程は申し訳ございませんでした』
王との会話を中断させたことを謝罪しているのだろう。
『いえ、』
静かに頭を振り、女が握る鍵に目をやった。
『明朝まで妃殿下のお部屋にいるよう命じられました』
視線に気付いたらしく、女は淡々と答えた。
『王太子殿下にとっては、わたくしがあの御方の部屋に入るなど不快と思われるでしょうが』
『――いえ』
強いて言えば、父王に対する呆れの方が強かった。
『父上はまだそのようなことをしているのですね』
『わたくしを自害に追い込みたいのでしょう』
王太子殿下とはまた違う意味合いで。
呟きにも似た声だった。
『恨まれて当然かと』
女は強く鍵を握り締める。
『わたくしが妃殿下のお命を奪ったも同然ですから』
女はかつて王妃に仕えていた侍女であり、父王の寝所に侍っていた側室の一人であり、第二王子の母親でもある。
加えて、王妃に毒を盛り、王妃の死を招いた罪人でもあった。
王が女を恨むのも当然だった。
本来であれば、母子共々処刑されるのが道理。
しかし、王妃は『病死』とされ手厚く葬られた。王が事を公にしなかったせいだ。
王妃が何故死んだのか。知っているのは父王と私、そしてこの女のみだった。異母弟ですら、母親が何をしたのか知らないと言う徹底ぶりだった。それ程までに、父王は王妃の死の真相を暴かれるのを恐れていた。
王位が揺らぐことは恐れもないくせに。
『王太子殿下』
不意に女が私を呼んだ。
『よろしければ、わたくしが妃殿下のお部屋に参るまでの間、ご一緒に歩きませんか?』
女がこんな提案するのは珍しい。
何か話があるのだろう。
『ええ、私でよければ』
短く答えると、女は静かに礼を述べた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
『王太子殿下はわたくしが側室になった経緯をご存じでしょうか?』
夜更けに出歩く者などまずいない。
そんな中で、不意に女が聞いてきた。
『母上に命じられた為と聞き及んでいます』
『はい、わたくしのような者が王の寝所に侍るなど本来あり得ぬことでした』
貴族階級以上に属する者は使用人を『対等』とは見なさない。王族であれば尚更その傾向が強く、『使用人が王の妾になる』などあり得ぬことだった。
そもそも、この女は王妃の嫁入り道具として、母の実家が選んだ侍女の一人に過ぎなかった。
けれど、王が側室に毒を飲ませていたことで、王妃は侍女に『王の子を身籠れ』と命令せざるを得なくなった。貴族達が娘を側室に差し出さなくなったからだ。国王夫妻には王子が一人いるのみ。
万が一に備え、王家の血を残さなければならない。最悪、母体が貴族階級でなくても構わなかった。その為王妃は侍女の一人に命じたのだ。
――『王の御子を身籠りなさい。手筈は全てこちらで整えます』
幼少期、侍女に命令を下す母の姿を見た。
――『ご命令、確かに承りました』
その侍女こそが、第二王子の母親だった。
『母上の命令を拒む気はなかったのですか?』
女が王の寝所に召される際は、王妃が杯の中身を別のものにすり替えさせていた。それを悟られることなく、懐妊する必要があった。
王の目を欺いた上で、子を身籠れなどと。
一介の侍女には酷な命令だっただろう。
『いいえ』
静かに女は首を振る。
『わたくしは妃殿下付きの侍女。主人の命令に従わぬのなら、暇を頂く他ありません』
何よりと、女は続けて言った。
『わたくしのような者に大役を任される程、お悩みになれていた姿を存じ上げておりました』
模範的な、忠義の厚い臣下の姿だった。
『ですが、母上は貴方が大役を成したとしたところで労いの言葉すらなかった』
第二王子を生んだ後、女は嫌疑を掛けられた。毒を飲んだ上で、女が懐妊できる筈もないと。その子供は王家の一員とは認められないと。赤子の目が王家特有の色であり、王妃が夫を取り成し全てを打ち明けた結果、赤子は王の子であると認知された。
ただ、それだけだった。王は第二王子を王妃の養子に定めた上で王族としての教育を施す一方、母子共々、離宮に追いやった。
第二王子には王位継承権、母親には側室の肩書きが与えられたものの、どちらも形ばかりのものに過ぎなかった。王妃は庇護下に置こうともしなかった。
『労いなど······。わたくしは妃殿下のご命令に従ったまでのこと。妃殿下のご心労が少しでも和らげばよいと』
女の手は変わらず鍵を強く握り締めている。
『されど、妃殿下のご負担を減らすなど、わたくしには到底できぬことでした』
乾いた声にもはや感情は乗らない。
『ですから、妃殿下はわたくしに毒を盛るよう命じられたのでしょう』
女の足音が止んだ。
いつの間にか王妃の部屋に着いていた。
『王太子殿下』
女はその場に跪く。
『折り入ってお願いがございます』
『願い?』
『はい』
『······何でしょうか』
『王太子殿下が王位を継がれる際、第二王子殿下を政敵として排除しなければならない時は、』
女は願いを口にした。
『わたくしの首も落としてくださいませ』
『······何を言っておられるのですか』
女を見下ろしながら、私は問う。
『言葉そのままの意味でございます』
『仮に処刑台に登るとしても、罪状は?』
王妃は『病死』したのだ。
裁くべき罪など、この女にはない。
『どのような罪だろうと甘んじて受け入れます』
『貴方は私に捏造をしろと?』
『仰って頂ければ、手を汚すことも厭いません』
未遂で済ませますのでと言い切った。
実際、王妃の命令に従順だった女だ。こちらが命じれば、処刑台に立たせるだけの罪状を『未遂』で終わらせるだろう。確かな証拠を残した状態で。
『······貴方の立場からすれば、第二王子の助命を嘆願するのが自然でしょうに』
『······情がないわけではありません』
女は静かにそう言った。
『ですが、』
頭を垂れたままだと、女の表情は見えず。
乾いた声からも感情は窺い知れない。
『わたくしが御子を授かったばかりに、妃殿下は未練を失くされてしまった』
その言葉だけが女の全てを物語っていた。
『元より妃殿下のお側に仕えただけで僥倖と言うもの。これ以上の望みなど持ち合わせておりません』
『············』
『ですから、殿下。どうか――』
跪く女に何と言えばいいのか。
『私は、』
答えを決めないまま、何かを言いかけた時。
窓に映る己の姿と目が合った。
『······一つ、お聞きしても?』
気付かれないように窓から目を背け、私は言った。
『何でしょうか』
『貴方が私に命令を乞うのは、母上に似ているからですか』
一瞬、女の体が強張った。それだけで十分だった。
『先程の答えですが、』
淡々とした声は酷く冷たく思えた。
『私は貴方の要望に答える気はありません』
『······理由をお聞かせ願えますか』
乾いた声に静かに動揺が広がっていく。
『貴方が私の『義母上』だからです』
女は無言のまま、先を促す。
私も構わず理由を口にする。
『貴方は既に王妃付きの侍女ではなく、王の側室と言う身分を与えられている。加えて庶子とはいえ、第二王子の母でもある』
王家にとって、王の子を残すと言う行いは非常に有益なものであり、価値ある功績でもある。
現国王が王族をほぼ根絶やしにした状況ならば、尚更。
『私が王位に就いた際、即座に貴方達母子を貶めれば、』
私の治世は父王以上の混乱をもたらすことに繋がってしまう。
『父上が残すであろう負債を、私の代で出来うる限り清算しなければならない』
『······』
『······ですから、「義母上」のご要望に応えることはできません』
『······いいえ』
女はようやく声を発した。
『わたくしこそ、王太子殿下を悩ませてしまい、申し訳ございません。平にご容赦を』
『······いえ』
答えようがなかった。
そして私が女に立ち上がるように促すと、
『それではわたくしはこれで』
女は鍵を開け、王妃の部屋に入っていく。
見送らないまま後を去ろうとすると、
『王太子殿下』
振り返ると、女がまだ佇んでいた。
どこか痛ましげに、こちらを見ている。
『国王陛下のみならず、わたくしの咎まで背負わせてしまったこと、誠に申し訳ございません』
謝意を示すように、女は一礼する。
『王太子殿下が王位に就いた暁には、微力ながら第二王子殿下と共にその治世を支えて行きたく存じます』
『······ありがとうございます』
その言葉が果たして届いたかどうか。
今度こそ女は王妃の部屋に入って行った。
扉が閉じる音がやけに響いた気がした。
『············』
窓に映る顔がまたこちらを見た。
誰も見ていないからと、思わず顔を歪ませた。
窓から顔を背け、自身の手を見た。
――明日は彼女との茶会だったか。
手袋を新調した上で、気付かれないよう誤魔化さなければならない。察したとしても、聡い彼女は何も聞いてはこないが。
余計な気がかりを与えたくはなかった。
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