3・ファーストキス

 長身の男はツカツカとやって来ると、ガツリとエステルのクビを釣り上げた。


「うぅ・・・くるしい」


 助けられたと思ったのに、中空に乱暴に吊り上げられてエステルは悲鳴を上げた。


 だが、次の瞬間、その狂暴そうな男は、そっと優しくソフトに傍の裏路地の端の木切れで出来た椅子にエステルを軽く下ろして、自分はそのそばで地面に片膝をついてしゃがみこんで、じっとエステルの瞳を見つめた。


「まあ、無事でよかったな。女がこんなところに来るのはよくない。弱いお前の自業自得だ。少しは反省するんだな」


 厳しいけど優しい言葉だった。ただ扱い方は乱暴でなにかよくわからない不思議な男だ。


 外はうす暗闇の中、街灯の灯がともり始めて、喧噪が辺りを包んでいる。その中で、酔った人間たちのはしゃぎ声が聞こえる。


 今、歳を取った婦人に乱暴に声を掛けようとしていた酔った男を、チラリと見たエステルの目の前のしゃがみこんだ男は、小石を拾って、しゃがみこみながら男の顔面に石を水平に投げつけていた。


「ぎゃっ」


 男が顔面を抑えて、それから怒りの声を上げようとした。


「てめえっ。なにしやがるっ」

「やるか? 私はいつでも食う相手を求めてるが? お前、俺の餌になるか?」

「ひいぃ」


 女を助けたというより、なにか元気のいい餌を探しているような男の態度だ。


 それから男が逃げて行くと、長身の男はふんと鼻をならして、笑ってからベンチに座って驚いてるエステルを観た。


「ここらは治安が悪い。気に食わないヤツが多くて餌が多くて楽しいものだな。安酒は俺は飲まないが、ここらの空気は嫌いではない」


 なにか独特の正義漢を持った男にエルテルには思えた。だが、怖いという感じは少し薄れたように思う。


 それに夕闇からでもはっきりとわかるほど、やたらと見た目のいい男だ。怖いと思っても、ちょっとドキリとする。

 さっきは突然クビを吊り上げられたし、突然愛さなければ殺すといいうし、エステルの気持ちは揺さぶられるばかりだった。


 それから男は、木切れのベンチに座るエステルを黒い深い色の目を、じっと攻撃的に睨むように間近でのぞき込むようにみると、ふっと優し気に笑ったのだ。


 攻撃的な男が、ふいにドキリと優し気に目を緩めて笑ったのだ。

 ふいに睨んでたかのようだった男の目がやわらかくなると、エステルは妙に落ち着かない、妙な気持ちになる。


 男はベンチに座るエステルの前で片膝でしゃがみこみながら諭すように言った。


「女・・・俺は永遠の龍の伴侶を求める男だ。俺は龍だ。龍は番をひとつしか作らなくてな。だが、俺は愛をずっと探し続けている。今、軽く気まぐれなつもりで、お前にちと、愛をささやいている」


 そう言って、男はベンチに座るエステルを手を取って、優し気にその手の甲にキスを落とした。


 龍? この人、今、龍と言った? 私、今、龍に口説かれている? でも、人間に見えるけど、確かにさっきの男たちを倒した動き、人間には見えなかった。


 エステルは不思議とその男が人間の姿であるのに龍と言われたのに納得した。


 そして、龍に口説かれているというなんだか、絵本の話のような今の自分の状況に少し混乱していた。


 美しく乱暴で、紳士のところもあり、だが棒弱無人で、意味のわからないこの男は確かに龍だ。


 攻撃的で少し乱暴なのに実に紳士的にこともやってのけてしまう男だ。ひょっとして優しい人かも知れないとこのとき、エステルはふいに思ってしまった。


 夕闇の裏路地の薄暗いベンチで、片膝をついた長身の美形の男に手のひらにキスをされる。・・・それはなんだか不思議に信じれれない体験に思えた。


 なんだか気持ちがゆさぶられる。自分は確かに危険なところを助けてもらったのだし、命を助けてもらったのだから、その気持ちに応えなきゃならないと、エステルは思ってしまったのだ。


「それはどういう?」


「愛のはじまりは・・・偶然というのもあるのだろう。ちと俺はお前をたわむれで愛したくなった」


「たわむれって」


 たまむれの愛と言われて絶句するエステルに片膝をついて長身の男が少しクビを傾げて笑った。やたらとドキリとする。


 愛は永遠の誓いだとエステルは思っていた。純粋に愛し合って、純粋に惹かれ合って、お互い同士心から労わりあって、愛しあい続ける。そんな愛にたわむれなんて・・・。そんなのありうるわけないとエステルは思っていた。


 今酔いどれの平民の酔った男が女の人に声を掛けているのがちらりと見えた。あんな風なのは平民の愛で、自分はたまむれの愛なんて絶対いやだ。


 ただ、同時に思ったんだ。リシュエルとのその永遠の誓いは守られたろうか? 自分は純粋に永遠の愛を誓っていたつもりだけど、それは簡単に裏切られてしまった。だとしたら、永遠の愛なんて移ろいやすくて、信じていいものじゃないかも知れない。


 ワリキリ。


 ワリキリが大切なのかも知れない。


 ただ、人間のたまむれの愛と龍のたまむれの愛は違う。それはおとぎ話で読んだことがある。龍は番を愛し続け、番が裏切ると殺して食って自分も死ぬ。


 そして、二人で愛しあい続けた龍は一緒に二匹で死ぬという。なにか壮絶な愛。


 人間は軽く愛をかわして死ぬことしかできない。ただ、龍の愛はなんだかすごい。


 ふとしゃがみこんでいる長身の男を見上げると、その男はなんだかすごく見た目がよくて、やたらと美しい男だ。攻撃的に見えて少し怖いけど、頼りになって、やたらとかっこいい。それに体つきの筋肉がすごくきれいだ。細い体なのに、すっきりとついた筋肉質の体で、それが黒い竜骨服とあって、黒い瞳とあわさって、やたらとすべてがドキリとした魅力に見える。


 騙されちゃダメだと、エステルの中で、危険を呼びかける声がした。けれど、その声は、目の前の攻撃的な男の、魅力的な顔立ちや、体つきの前に弱弱しく消えて行く。


 しかも、その攻撃的で美しい男が優し気に自分に微笑んでいる。


「たわむれでも愛情深く愛すぞ。ただ、契りは愛がなされるまではできぬが、どうだ? 俺と愛を育めるかためしてみぬか?」


 エステルは龍に言われた言葉を聞いて心が揺れた。なんだか、今、自分を変えてしまわなければ、ずっと自分は変われないような気がした。愛を裏切られた自分がここで変わらなきゃ。本当に愛に辿りつけなくて、自分が終わってしまう気がした。


 自分は今日まで愛する男がいたけど、裏切られた。だとしたら、龍と愛し合って、永遠の契りを結ぶのも楽しいかも知れない。龍は番しか愛せない性質を持つっていうし、それならば、永遠の愛を掴みたい自分にはピッタリの相手かも知れない。


 ワリキリ。


 さっぱりとしたワリキリが大事なのかも知れない。


 裏切られた男がいるなら、すぐに自分で自分を変えるようにしなきゃ。リシュエルにひどい裏切られ方をしたけど、このまま泣いていていいの?


 目の前の男は、なんだか爬虫類のように見えるけど、やたらときれいだ。肌がすべすべとして、すごくきれい。リシュエルより明らかにきれいな男だし、なにか不思議と愛せそうな気がしてくるのだ。


 男が黒い禍々しいが美しい一遍の黒真珠のような色の深い瞳で言った。


「俺を愛せ。女・・・」



 リシュエルは「はい」と応えていた。


 そこで男はやさしく笑った。だが、気まぐれな竜の愛の狂愛をこのときエステルは知らなかった。龍は愛するときに激しく愛する。とことんまでの人間とは違った激しい狂愛の愛し方をするのだ。


「では、誓いのキスを」


 ちゅっ


「俺は羅生王だ。お前の名前はなんという?」


「エステル」


「よろしく。エステル。俺と永遠の愛を育たむために生きよう」


「ただ、強引なキスはダメですからね。羅生王」


「キスを制限されるのは辛いかも知れぬな。俺はお前を真剣に愛そうと思うのでな」


 なんだか危険な愛の予感がするエステルだった。だけど、ドキドキした。

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