戦勝会


「「では皆様、よろしいですか!!」」

「「おーー!!」」


 ここは光越ミツコシ一階の屋台街、その一角に設けられたバーベキュー会場だ。

 

 自分の席から腰を浮き上がらせた俺は、火の入った鉄板の熱気に包まれながら、冷えたビールが注がれたジョッキを手にした仲間たちと一緒に高々と掲げる。


 そして「乾杯かんぱーい!」の掛け声に合わせて、ジョッキを打ち合わせた。


 ガチンと重いガラスの音がして、クリーミーな泡がジョッキからこぼれ落ちる。

 黄金色の雫は熱気を上げる鉄板の上に落ち、ジュッと音を立てて、肉の脂が焼ける力強い匂いに、繊細なホップの香りを混ぜた。


 俺はそのままジョッキに口をつけると、キンキンに冷えたビールを喉に流し込む。卓を囲んでいる皆も、一様に天井を見上げて喉を鳴らしていた。


「くっ……はーーー!!」


 息をつくと同時に、俺は長机にジョッキをドンッと叩きつけるように置く。

 そして、口についた泡を手の甲で拭おうとしたところで、表面が焦げ落ちて、下地の繊維がむき出しになったグローブに気づいた。


(――っと、危なッ!!!)


 グローブの手の甲は、金属質で荒縄のような繊維がむき出しになっている。

 危うく、自分の唇をすり下ろすところだったわ。


「ツルハシさん、どうぞ」

「ん、あんがと」


 隣りにいたラレースは俺の百面相に気づいたのだろう。

 彼女から紙ナプキンを受け取って、俺は泡をお上品にぬぐった。


 ダンジョンから出てきた俺たちは、そのまま「最高のパーティ会場」とやらに直行したので、防護服や甲冑を付けたままだ。


 そう、あのやから感のある探索者は、100%本生搾りの善意で俺たちを探していた。この「戦勝会」の主賓としてここに連れてくるために。


 費用は全部向こう持ち、これまでのダンジョンの開拓のお礼、そして第十層到達のお祝いとして、この場を用意してくれたのだ。


 悪意とかなーんも無し。酒には毒なんて入ってないし、肉も腐ってない。

 ほんっとにマジで良い人だった。人は見かけによらないな―。


 俺はもう一度スーツの表面を注意深く確かめるように見つめた。


 赤竜のブレスの熱を受けた防護服は表面が溶解して、所々、下地が出てしまっている。もし、まともにブレスを浴びていたら、どうなっていたことか。

 スーツ自体は上等だが、補修部品もないし……このまま廃棄かな。


 隣に座るラレースを見るが、同じく火炎を浴びたはずなのに、彼女の甲冑は焦げ一つ無い。これがスキルの差って……コトォ!?


 彼女が身に着けているほんのり緑色がかった銀色の甲冑の素材は精霊銀ミスリル


 この金属は、耐火性能が高いことは高いが、ずば抜けて高いわけじゃない。抜きん出て秀でた特性もないが、弱点もない。特徴がないのが特徴。それが精霊銀だ。


 精霊銀の性能は、純度や加工の程度にもよるだろうが、本来なら、ドラゴンのブレスをまともに受けて耐えられるもんじゃない。


 これがスキル、腕前の差ですかぁ……。


「何か?」

「おっと、殿下もおひげが生えてますよ」

「――……私としたことが」


 彼女もナプキンを使って、形の良い口の周りについた白いひげを拭う。

 ちょっと頬が赤いのは、酒精のせいだけじゃないだろう。


 うーん。酒の席で皮肉な言い回しは控えよう。無粋にも程があった。

 

 さて、ビールは自分で買うほど好きじゃないが、タダ酒なら話は別だ。俺はそこに白い霜がおりたピッチャーから、黄金色に輝くビールを空になったジョッキに注ぐ。


「いきなり二杯目いくの~?」

「タダ酒ならいくらでも飲んでやるぞ!」


 ジンさんの遠回しな静止を振り切って、俺はぐいっと二杯目をいった。


「うむ! 良い飲みっぷりですな!」

「おう、あれ、レオ、ナナは?」

「時間が時間ですし、もうお休みに、それに――」

「っと、そうか……そうだったな」


 今頃の彼女は、ダンジョンから帰ってきた両親と過ごしているのだろう。

 酒の入った俺たちの相手をしている場合じゃなかったな。


「本当にありがとうございます。このお礼は、また改めて」


「いいよ。悪い言い方をするつもりはないけど……ついでだったし」


「ダンジョンの深層への突入を、ついで――?」

「お、おう? 怒った?」


「いえ!! その逆でございます!! このレオ、我が命に変えましても、受けたご恩を返しますぞ!!」


「えぇい、暑苦しい!! よるな! あっちいけ!!」


 そんな事をしていると、俺たちの席に待ち望んだ「それ」がやって来た。


「ヒャッホー! お待たせだぜぇー! ワイバーンの肉だぜぇー!」

「ウヒョーッ!」


 白いエプロンとコック帽を身に着けても、まだ若干やから感が残るにーちゃんが、白い皿にワイバーンの塊肉を積み上げて、俺たちのところに持ってきた。


 今、鉄板の上で焼けている牛カルビも、決して悪いものではない。だが、亜竜ワイバーンの肉は話が別だ。ダンジョンの亜竜、ワイバーンやウィルムと呼ばれる飛竜の肉は舌の上で解ける繊細な繊維質と、品の良い脂の味で人気が高い高級食材なのだ。


 A5和牛のサーロインやリブロースも、これに比べれば霞んでしまう。

 飛竜の肉とは、そういった逸品いっぴんなのだ。


<ジュオォォォォゥッ!!>


 鉄板の上に落とされた塊肉が豪快な音を立てる。


「美味しそうですね~」

「マーベラス! 実にマーベラス!」

「ツルハシさん、少し大げさでは?」

「わからんか。俺にはこれが壮大な叙事詩に聞こえるんだ」

「はぁ……」


「ダンジョンは基本的にドロップがケチい。トラックみたいな大きさの猛牛を倒しても、ドロップするのはサーロイン一枚。それが普通だ」


「この量の塊肉を手に入れるまでに、どれだけ苦労があったと思うッ!? 鉄板の上で今奏でられているこの音楽は、それに対する労働の賛美歌なんだッ!!」


「ウルハシのことはほっといて頂こうか~」

「え、何そのウルハシって」

「うるさいツルハシだから、ウルハシだよ~」

「クッ!!」


 しかし、ジンさんの言い分はもっともだ。

 いつまでも、肉の伝道師をしていられない。


 俺だって肉食べたいもん。


「お、それもう焼けたんじゃない~? 取っちゃいなよ、一応今日の主役だし~」

「オヒョー!!!」

「やっぱウルハシじゃん~」


 焼けたワイバーンの塊肉にナイフを当てると、まるでバターに刃を入れたかのように、するりと刃先が皿までに落ちる。おぉ……。


 肉汁が落ちると、濃厚な肉の香りが俺の鼻先に広がる。

 あらヤダ!うっとりしちゃうわ!


 仲間たちも、俺が取り分けた肉を見て、ごくり、と喉を鳴らす。

 フフフ、主賓しゅひんの権限で一番槍は頂いたぞ!!


 俺は脇目も振らず、湯気を上げる肉にかぶりつく。


(――!!!!!)


 目が覚めるとはこのことだ。

 なんだこれは、なんなのだ!!!


 理が変わる。常識が変わる。そんな味だ。


 口の中に入れた肉は、俺の歯が当たる前に脂肪がほろりと溶ける。脂を包み込んでいた肉の繊維が解け、脂のまろやかさと肉の味が渾然となり、舌から俺の脳へと、膨大な「ウマイよ」情報が伝達されてくる。


 あまりの情報量の多さに、俺の旨味を感じる司令部は完全なパニック状態だ。

 電話がけたたましく鳴り響き、FAXからは白い紙が洪水のように溢れ出す。


 それは何を隠そう、翼を広げ、勇ましく天空から直上降下してくるワイバーンのせいだ。


 奴の狙いは俺の脳髄だ。足に掴んだ、ホカホカと湯気を上げる塊肉を落とし、俺の理性を完全に破壊しようとしているのだ。


(いかん、避けろ!!!)


 司令官はそう叫ぶが、手遅れだった。

 塊肉は司令部に直撃。俺の脳髄を完全に破壊した。そして――


「ンマーイ!!!!」


 完全に語彙ごい力が崩壊した。


 これまでに食べた肉料理でも、いや、そんな食べたこと無いけど……

 最高峰に位置するものだと言える。


 こんなものを食べてしまったら逆に不幸かもしれない。

 なんせ、これ以上のものはもう無いのだから。


 きっと勝利の高揚も調味料になっているのだろう。

 だが、それにしたって旨すぎるだろう!!


「おっしゃ! 今日はもう、朝まで行くぞ―!!」

「「おーーー!!!」」


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