第14話 後ろめたさ

 家に戻ると、すぐに紺の元気な声が響いた。


「おかえりなさい、シューチさん♪ お散歩どうでした?」


 玄関で靴を脱ぎながら、俺は軽く肩をすくめる。


「まぁ、悪くなかったよ。ちょっと変わった奴らに会ったけどな」


 キッチンから顔を出した紺が、エプロン姿のまま手元の作業を止めて首をかしげる。


「変わった人? どんな人ですか? まさか、新しい友達とかできちゃったんですか?」

「友達……とは言えないかな。まぁ、そんな感じの知り合いってとこだ」

「ええっ! シューチさんに新しい知り合いが増えるなんて珍しいですねっ!?」


 紺が嬉しそうに笑いながらカウンター越しに目を輝かせている。

 その様子を見ていると……なんだか俺が友達を作るのが珍事みたいで複雑な気分だ。


「それで、夕ご飯はどうしましょう? やっぱりシューチさんの得意料理を作りますか?」

「得意料理なんてあったか?」

「ほら、この前のオムライス! あれ、すっごく美味しかったですよね♪」

「それは紺がほぼ全部やっただろ。俺は手伝っただけだ」

「えへへ、それでもシューチさんと一緒に作ったっていうのが大事なんですっ♡」


 紺の無邪気な笑顔を見ていると、不思議と俺も顔が緩む。

 けれど、その一方で胸の奥に罪悪感が芽生えていた。


 ——夢羽とのコラボ配信。


 紺にはまだ話していない。

 別に隠すようなことではない。

 だけど、なぜか言い出せないまま時間だけが過ぎている。


 紺の明るい声がその気まずさを薄めてくれるけれど、それでも少しだけ落ち着かない。


「じゃあ、オムライスのリベンジでもするか?」


 軽く話題を振ってみると、紺が勢いよく手を叩いた。


「リベンジ!? やりましょう♪ 私何回戦でもイケちゃいます♡」

「なんか、その言い方エロいな……」

「えっ、本当ですか~?♡ わざとなんです~♡」

「お、おぉ……そうなんだな」


 もしかしたら今後、そういった展開になる可能性はある。

 だから、ちょっと顔が赤くなったのは内緒だ。


「じゃあ、材料あるか確認してみるか……って、冷蔵庫に何入ってるんだ?」

「ん~昨日の残り物と……今日のお楽しみの材料です♪」

「お楽しみ?」


 冷蔵庫を開けると、ケチャップの隣に何やら怪しげな瓶が見えた。

 手書きのラベルには「魔法のエリクサー」と書かれている。


「これ、なんだ?」

「あ、それはダメです! 今日のサプライズですから、まだ見ちゃダメですよ!」


 紺が慌てて冷蔵庫の扉を閉じると、俺の前に立ち塞がった。


「なんで俺の家なのに冷蔵庫の中を確認するのに制限があるんだ?」

「シューチさん、人生には知らないほうが幸せなこともあるんですよ♪」


 にこやかに笑いながら言う紺を見ていると、追及するのも馬鹿らしくなってくる。

 俺は肩をすくめて冷蔵庫の中身を諦めた。


「……ま、いいか。オムライス作るならその怪しい瓶はいらないだろうしな。」

「そうですね! じゃあ、キッチンに立ってください。私がビシバシ鍛えてあげますから♪」


 紺に促されるままキッチンに立つ俺。

 料理なんてただの言い訳で、きっと紺は一緒に何かをする時間そのものを楽しみたいのだろう。


 ——そう思うと、紺に言えない秘密を抱えている自分が情けなくなる。


「……なぁ、紺」

「はい? どうしました?」


 無邪気に振り返る紺の姿を見ていると、言葉が喉元で詰まる。


「いや、なんでもない。それより、さっさと始めよう」

「わかりましたっ♡ 今日は絶対に完璧なオムライスを作りましょうねっ♪」


 紺の明るい声と笑顔が、俺の心の重みを少しだけ軽くしてくれた。

 とはいえ、夢羽とのコラボ配信について、いずれ話す必要があるのだろう——そんな考えが頭をよぎる中、キッチンでの賑やかな時間が始まるのだった。



 ————————————————————



 後日、約束の日がやってきた。


 夢羽とのコラボ配信。

 マンション内のとある空き部屋を借りて、彼女の「魔法少女の世界観」を再現するという趣向だ。

 正直、どんな配信になるのか全く予想がつかない。


「さぁ、シューチさん。準備はいいかしら?」


 夢羽が持ち前の杖、いや日傘を振り回しながら得意げに問いかけてくる。

 狭い部屋で危ないな……と思いつつも聞いた。


「いや、そもそも俺、何をすればいいんだ?」

「もちろん、私のサイドキックとして、配信に華を添えてくれるのよ!」

「サイドキックって……えっと、脇役ってことだな?」


 夢羽はそんな俺のぼやきを全く気にせず、舞台装置らしきものを整え始めた。

 彼女が用意したのは黒い布で覆われた簡易セットに、怪しげな小道具の数々——水晶玉、カラフルなポーション風ボトル、そして何故か折りたたみチェア。


「これが私の魔法のアトリエよ。いいでしょ?」

「いや、ただの趣味全開の部屋にしか見えないが……」


 俺が呆れた声を上げると、夢羽は杖を掲げて声を張り上げた。


「この空間に闇の力を呼び込み、視聴者に魔法の魅力を伝えるの! シューチさん、貴方の役目は簡単よ。私と一緒に魔法の儀式を演じること!」

「儀式って……」


 不安しかない言葉だが、ここまで来た以上、逃げるわけにもいかない。


「分かったよ。とりあえず言う通りにするけど、視聴者に俺が変な奴だと思われたら責任取れよ?」

「任せて! 視聴者は絶対に楽しんでくれるわ!」


 夢羽の自信満々な笑顔に、俺は渋々頷いた。



 —————————————————



 そして——配信が開始される。

 画面が切り替わると、マジカル・ユメハのアバターが現れた。


 暗紫色を基調としたドレスに、フリルやリボンが絶妙なバランスであしらわれ、夜空の星を散りばめたようなデザインが目を引く。

 肩には小さな黒い羽があしらわれ、彼女のテーマである「闇の力」を強調していた。頭には大きな三日月型の髪飾りが煌めき、紫がかった瞳がこちらを覗き込む。



「こんにちは。魔法少女、マジカル・ユメハのアトリエへようこそ」



 第一声とともに、彼女はキャラを爆発させた。

 甘い声とともに、彼女のアバターが軽くお辞儀をする。その動作一つ一つが計算され尽くしており、まるで本物の魔法少女がそこにいるかのようだった。


 背景はダークファンタジーの世界観を意識したアトリエのような部屋。

 キャンドルが揺れる光を放ち、壁には奇妙な文様が描かれた本や、怪しげなポーションが並んでいる棚が映っている。

 画面の四隅には、彼女を囲むように闇色のバラが配置され、全体的にミステリアスな雰囲気が漂っていた。


(こうしていると、画面の中にいるのか現実世界にいるのか分からなくなるな……)


 軽く画面酔いのような感覚を覚えていると、夢羽は言った。


「今日は特別なゲストを迎えて、皆さんに闇の力の真髄をお見せするわ」


 夢羽の声が少し低くなると、視聴者のコメントが一斉に流れ始める。


『ユメハちゃん、かわいい!』

『今日の配信、めっちゃ気合入ってる!』

『どんな闇の力が見られるのか楽しみ!』


「まずはご挨拶をしましょうね。シューチさん、こちらへどうぞ♪」


 彼女の誘導で、俺のアイコンが画面に登場する。

 普通の服装をした男性アバターだが、夢羽の豪華な装いと並ぶと、その地味さが際立っていた。


「えーっと……こんにちは、シューチです。今日はユメハさんに巻き込まれて……」


 ドスッ、と重たい肘打ちが飛んできた。

 ……変なことを言うなということだろう。


「……いや、ゲストとして呼ばれてきました」


 俺がぎこちなく挨拶すると、夢羽がすかさずフォローを入れる。


「シューチさんは、この闇のアトリエに招待された特別なお客様なの。視聴者の皆さん、彼を優しく迎えてあげてね」


 コメント欄が再び沸き立つ。


『シューチさん、初めて見る!』

『アバターが用意されてていいねw』

『ユメハちゃんとのコラボ楽しみ!』

『なんか緊張してる?w』


「さあ、それでは闇の儀式を始めましょうか♪」


 夢羽が不敵な笑みを浮かべながら、杖を振りかざす。

 画面上にエフェクトとして黒い霧が立ち込め、視聴者の期待感がさらに高まっていく。


「今日はどんな“闇の力”が生まれるのか……皆さん、最後まで楽しんでいってね♡」


 その可愛さと怪しさが絶妙に混ざり合ったパフォーマンスに、俺はただ圧倒されながらも、少しだけこの配信の魅力に引き込まれそうになっていた。


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