第11話 共用スペースにて

 あれから数日後。

 休日の朝、俺はソファでだらけながらスマホを眺めていた。

 引っ越しやら仕事やらでバタバタしていた数日間の疲れを取るには、この休息が必要不可欠なのだ。


「シューチさ~ん、今日って本当にゴロゴロするだけなんですか?」


 キッチンでお茶を入れながら、紺が俺に聞いてくる。

 なんて家庭的な姿なんだろうと思いながら答える。


「ああ、せっかくの休日だしな。久しぶりに何も考えずに過ごしたいんだよ」

「そうなんですか~。じゃあ、私はシューチさんを観察しながらゴロゴロしよっと♪」


 彼女が明るく笑いながら言うのを聞きつつ、俺は「どんな休日の過ごし方だよ……」と呆れながらも、同じ部屋にいる心地よさを感じていた。


 そんな平和な時間を過ごしていたが、ちょっとだけ息抜きに外に出ることにした。

 なんでかって?


 ……悲しいことに、紺が家で動画の編集をすると言い出したからだ。

 俺は「少し散歩してくる」と告げて玄関を出た。





 マンションの共用スペースに出ると、そこにはゴスロリ服を身にまとった女性が佇んでいた。

 そう、以前出会った厚木夢羽だ。

 何をしているのだろうか。


「おや……これは偶然ねぇ。お元気そうじゃない?」


 俺の視線に気付かれてしまった。

 怪しい雰囲気を纏った口調でそう言われ、俺は思わず立ち止まる。

 夢羽の手には相変わらず例の杖のようなもの、いや、ただの傘が握られていた。


「えっと、夢羽さん……だっけ?」

「そう、厚木夢羽よ。マンションの守護者として、今日も異界の侵入を防いでいるの」


 彼女は傘をくるりと回しながら、妙に得意げな表情を浮かべている。

 俺は「またこのテンションかー」と心の中で呟きながら、彼女の話を聞くことにした。


「今日もご苦労なことだな。なんでいつもそんな事をする必要があるんだ?」

「いつもじゃないわ、今日ばかりは特別なのよ?」

「特別? なにかあったのか?」


 俺が尋ねると、夢羽はわざとらしくため息をついて話し始めた。


「昨日の夜、私の結界が破られたのよ……」

「結界って、またその話か?」


 俺が呆れた声を出すと、夢羽は「そうよ!」と力強く頷く。


「結界を張らないから、こんな災難が起きるのよ。シューチさんも気をつけた方がいいわよ!」

「いや、それって具体的には何があったのか?」


 すると彼女は小声でこう囁いてきた。


「……チェーンキーを掛け忘れただけなんだけどね」

「なるほど、それは確かに管理不足だったな」


 つまり、二重で施錠しなかったことにより、管理人が家に入ってきたのだろう。

 俺たち以外の部屋に侵入するんだなと、少し妙な安心感が芽生える。


 そして、設定を忘れていたせいか、夢羽は慌てて杖を掲げながら言い返す。


「でも、それも闇の力が不足していたせいよ! だから、あなたも注意して!」


 俺は再び深いため息をつく。

 しかし、このやり取りに微妙に慣れてきた自分がいることが少し怖い。


「おや……この黒の鼓動に共鳴した迷い子が来たようね?」

「迷い子?」


 そんな会話をしていると、廊下の奥から元気な声が聞こえてきた。


「あ、夢羽さんだおはよ~って、あれ?」


 振り向くと、そこには茶髪のポニーテールが揺れる明るい女子が駆け寄ってきた。

 彼女はカジュアルな服装で、何とも人懐っこい笑顔を浮かべている。


「こんにちは、珍しいですね夢羽さんが誰かといるのって」

「確かに友達少なそうな見た目と言動だもんな」

「闇の業火に抱かれたいの?」


 ちょっとした悪口を言ってみたところ、その子はクスリと笑った。


「初めまして! 私、このマンションの住人で茅ヶ崎碧っていいます! あなたは?」


 彼女は碧というらしい。

 元気よく自己紹介をすると、俺も挨拶と自己紹介をした。


「俺は菊川周知、最近ここに引っ越してきたんだ。よろしくな」

「ん、周知さん……? それにどっかで見たことあるような」


 ギクリと反応してしまった。

 いやまさか、この子まで俺を知ってるとは言わないよな?


 そして、俺に視線を固定した瞬間、碧の顔が驚きの表情に変わった。


「えっ!? もしかして、あの有名なシューチさん!?」

「げっ……有名って、俺?」


 思わず自分の胸を指差して確認する。

 碧は「すごい!」と感激したように声を上げ、俺に詰め寄ってきた。


「本当に本人だ! 私、あのシューチさんのファンなんです! 動画毎日見てます!」

「え……毎日?」


 そんな毎回見るようなモノだっただろうか。

 突然のことに困惑する俺をよそに、碧は矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。


「VTuberとの絡み、どうして始めたんですか?」

「え、いや、それは……」

「紺ちゃんとの関係って本当に付き合ってるんですか?」

「えっ、それは……その……」


 たくさんの質問攻めにどう答えればいいか分からず、俺は一歩後ずさる。

 その時、隣で聞いていた夢羽が口を挟んだ。


「ふふ、質問攻めは良くないわよ。シューチさんには休息が必要なのよ」

「そうですね! すみません、つい……」


 碧が申し訳なさそうに頭を下げると、夢羽がニヤリと笑った。


「それにしても、シューチさん、人気者なのねぇ。ここに住む人たち、みんなあなたを知ってるんじゃないかしら?」

「……勘弁してくれよ」


 俺はため息をつきながら答えた。


「まぁまぁ、みんな仲良くしましょう!」


 碧が明るい声で提案すると、夢羽も杖を掲げて応じる。


「そうね、このマンションの結界を守るためにも、団結力は大事よ」

「結界って、まだ言ってるのかよ……」


 俺が呆れながらツッコむと、二人は笑顔を浮かべていた。


「えぇ、一人では成せないことも、仲間と一緒なら乗り越えられるわ!」

「なんか少年漫画みたいなノリになってるぞ?」

「そういうものだからいいんですよシューチさん♪」


 そして、碧が提案する。


「皆さん今日はお暇ですか? せっかくなので団結を深めたいと思います!」

「えっ?」



 …………


 ……



 席に着いた俺は、ため息をつきながら天井を見上げる。

 紺の他に、こんな濃いキャラクターたちが揃ったマンションでの生活。

 これからの展開を想像するだけで、俺の頭は早くも疲れを感じていた。


「イベント、多すぎやしないか……?」


 ぼやきながらそう呟くと、二人が楽しそうに笑う。


「ふふ、たまにはこういう息抜きも悪くないわね」

「シューチさんなにたべますー?」


 その笑顔に少し癒されながらも、俺は次の波乱に備えるしかなかった。

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