第9話 オムライス
「今日の晩御飯はオムライスにしましょう、一緒に作りましょうねっ♪」
紺の笑顔に促され、俺はいつものように頷いた。
だが、マンションの階段を上がりながら、彼女の表情に妙な悪戯っぽさを感じたのは気のせいだったのだろうか。
「さて、これに着替えてください♡」
突然紺が差し出したのは、ピンク色のフリフリエプロン。
それだけでも十分主張が激しいのに、胸元にはハートの刺繍が入っている。どう見ても俺が着るような代物ではない。
「えっ、ちょっと待て。これは……」
俺が抗議の声を上げると、紺はニコニコと無邪気な笑顔を浮かべた。
「可愛いですよねっ、華やかでお祝いにぴったりじゃないですか♡」
「いやいや、誰が着るんだよこれ……俺か?」
「はい、もちろんシューチさんです♪」
「……」
一瞬言葉を失う俺に、紺は追い打ちをかけるように続けた。
「だって、お料理してる姿が可愛らしい彼氏っていいじゃないですか! ほらほら、着てください♡」
「いや、俺、別に可愛らしさを目指してるわけじゃないんだが……」
それでも、紺の期待に満ちたキラキラした瞳に負けて、俺は渋々フリフリエプロンを手に取った。
そして、予想外のエプロンデビュー。
「どう……似合うか?」
恐る恐る紐を結び終え、紺の前に立つ俺。
羞恥と恥辱に塗れた気持ちで尋ねてみる。
彼女は俺を上から下までじっくり眺めた後、突然吹き出した。
「ぷっ……あはははっ! シューチさん、最高ですねっ♪ すごく似合ってます♡」
「おい、絶対笑いすぎだろ!」
「だって、そんなシューチさん見たことないですもん♪」
頬を赤くして抗議する俺を尻目に、紺はケラケラ笑い続ける。
この瞬間、俺は誓った。次回からはエプロンを事前に準備しておこう、と。
「まぁ、いいか。これで料理が上手くなるならな……」
自分を納得させるように呟き、俺は紺とともにキッチンへと向かった。
いざ、初めての料理教室へ——
「じゃあ、まずは玉ねぎをみじん切りにしてください!」
紺が差し出したまな板に、俺は気合を入れて向き合った。
包丁を握りしめるが、いきなりみじん切りなんてハードルが高くないか?
「おい、いきなりこれかよ」
「えへへ、だって、シューチさんが料理できるところを見たいんです♪」
紺は俺にまな板と包丁を渡し、腕組みをして「さあどうぞ」と促す。
「はいはい……。これで指でも切ったら責任取れよ?」
「もちろんです! 大丈夫、私が絆創膏を貼ってあげますから♡」
「いや、それで責任取ったことにはならないだろ」
俺を見つめる紺のキラキラした目に、少しばかり期待されている気がして悪い気はしない。そんなやり取りをしながら、慎重に玉ねぎを刻み始めたが、思った以上に細かく切るのは難しい。
「これを細かく……なかなか難しいな」
「ですねっ! あ、でも指を切らないように気をつけてくださいね~」
「はいはい……って、見てるだけかよ!」
「シューチさん、それじゃあ粗すぎます! もっと細かく!」
「無茶言うなよ……! 玉ねぎが消えるまで刻めってか?」
「あ、それも面白そうですね♪ でも、泣かないでくださいね?」
「お前な……!」
俺がツッコミを入れる間に、玉ねぎの涙攻撃が俺を襲う。
「うっ……目が……」
「あぁ大変ですね……仕方ありません、私が代わりにしましょう……えいっ♪」
紺が俺の手元から包丁を奪い、器用にサクサクと切っていく。
その様子を見て、俺は感心しつつも若干の敗北感を覚える。
「紺はやっぱり上手いな」
「そうですか? でも、シューチさんには男の人特有の大胆な料理を期待してるんですよ?♪」
「大胆な料理ってなんだよ……」
俺が呆れながらつぶやくと、紺は楽しそうに笑いながらフライパンを用意する。
「次はフライパンでご飯を炒めます! 火加減に注意してくださいね。」
紺の指導の下、俺はなんとか材料を炒め、ご飯をケチャップでしっかり味付けする。
香ばしい匂いがキッチンに広がり、少しずつ自信が湧いてくる。
「どうだ、これでいいか?」
「すごいです! シューチさん、本当に料理初心者なんですか?」
「今さら何言ってんだよ。これが俺の普通だぞ」
俺の照れ隠しに紺がクスリと笑う。
その笑顔に、なんだか少しだけ誇らしい気持ちになる。
「じゃあ次は鶏肉を炒めましょう! フライパンを温めて……そうそう、いい感じです♪」
紺が的確な指示を出す。
俺はその通りに動きながら、少しずつ手応えを感じてきた。
「これ、意外と楽しいな」
「でしょう! 料理って楽しいですよね♪」
徐々に完成に近づいていく過程が面白いなと少しだけ思うようになる。
そして、紺が卵を持ってきた。
「さぁ、いよいよ卵ですよ!」
次に俺が向き合ったのは、調理の最大の難関である卵だった。
溶き卵をフライパンに流し込むと、均一に広げてふんわり焼き上げる……はずが、妙に焦げ付きそうな気配がする。
「おい、これどうやって巻くんだ?」
「シューチさんのセンスです♡」
「またセンスか……!」
俺は四苦八苦しながら卵でご飯を包み込もうとするが、どうしても形が崩れてしまう。
それでも何とか形を整えようと悪戦苦闘する俺を見て、紺は応援してくれるどころか、笑いをこらえているようだった。
「そんなに笑うなら手伝えよ!」
「だって、シューチさんが頑張る姿がすごく可愛いんですもん♪」
「可愛いって、俺はお前の彼氏だぞ!」
思わず口を滑らせた俺の言葉に、紺は一瞬驚いたように目を見開き、それから顔を赤くして笑った。
「あ……そうですよね、えへへ♡」
イチイチこうやって照れてくれる所が、彼氏の俺としては誇らしく感じてしまう。
そして——試行錯誤の末に完成したオムライスは、少々歪だったが、どこか愛着の湧く仕上がりだった。
「完成~♡ シューチさんお疲れ様ですー♪」
「まぁ、多少紺に手伝って貰ったけどな」
「そんなことないですっ、これはシューチさんが頑張ったおかげですっ!」
俺を全肯定してくれるなんて、なんて嬉しいことを言ってくれる彼女なのだろう。
「じゃあ最後の仕上げですねっ♡」
「ん?」
紺はケチャップを手に取り、オムライスに模様を施すではないか。
見ていて微笑ましいな……そう思っていると、何やら文字を書いていた。
「す……き……っと♡」
「っ!?」
なんと、紺はオムライスに「大好き♡」と書いているではないか。
思わず俺は呟く。
「……ずっと冷蔵庫に保管してていいか?」
「なんでですかっ、食べてくださいよ!?」
紺は意外そうに驚く。
いや、だって勿体なくて食べれねえだろ普通……。
だけど、紺は強引に俺をテーブルに座らせてオムライスを食べさせた。
「さて、いただきます~♡」
「いただきます」
紺が一口食べる。
美味しいだろうか……と懸念するも、彼女は満面の笑みを浮かべる。
「美味しいです! シューチさん、本当に頑張りましたねっ!」
俺は安堵するが、少しだけ強がった。
「そりゃあな。俺が作ったんだから当然だろ」
「次はもっと練習して、ハートを描けるようにしてくださいね♡」
「……次があるのかよ。」
紺の明るい声と笑顔に、俺は自然と笑みがこぼれる。
この新居での生活も、こうして一つ一つを紡ぎながら、少しずつ形になっていくのだろう。
「まぁ、これが俺たちの第一歩ってやつだな。」
「はい! これからも一緒にたくさん作りましょうね!」
小さなキッチンでの大きな戦いは終わる。
先ほどまで懸念していた、マンションの不安要素など忘れるほどに楽しかった。
「これで何もなければいいが……まぁ、そんなことはないか」
この時の俺はとても油断をしていた。
背後のドアから、何者かが忍び寄っていたのだから。
「ふふ……楽しそうだねぇ~……」
「え?」
まさか、このタイミングで“ヤツ”が現れるとは思いもよらなかったのだ。
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