第5話 物件確定?
後日、また事務所を訪れた俺たちは普通に仕事をしていた。
焼津社長は普段忙しくしており、事務所にやってきたら必ず会えるというワケではないが、珍しく今日鉢合わせることができた。
「シューチくん、紺ちゃん」
焼津社長の落ち着いた声が、事務所の静けさの中で柔らかく響く。
俺たちはその声に振り返り、何とも言えない表情で顔を見合わせる。目の前には、エレガントにスーツを着こなした焼津先輩が立っていた。
その姿には相変わらず威圧感はないが、彼女が発する空気はどこか畏敬の念を抱かせる。
「あ、先輩……今日いるなんて珍しいですね」
「そりゃあ二人の感想を聞きたくて、それでどうだった?」
ワクワクとした表情で視線をこちらに向ける社長。
だけど、少し期待を裏切るようで申し訳ない気持ちがあった。
「あの……すごく素敵な部屋なんですけど、ちょっと豪華すぎるっていうか……」
先に口を開いたのは紺だった。
彼女は申し訳なさそうに小さく肩をすくめる。
「豪華すぎる……? びっくりした、二人の生活にはちょうど良いと思ったんだけど」
焼津社長は意外そうに眉をひそめ、俺たちの意図を計りかねている様子だった。
「いや社長、確かにすごくいい部屋なんですけど、なんかこう……落ち着かないっていうか、わかります?」
俺が言葉を選びながら説明すると、紺はすぐに同意するように頷いた。
「ですよねっ! なんかこう、毎日がピリピリしちゃいそうなんですよ。『絶対に傷つけちゃダメ』って気を張り詰めるっていうか……アンチコメントにイラついた時に壁を殴れないといいますか……」
「お前、家でそんなに暴れるつもりなのか……?」
俺のツッコミに紺は「そんなことないですっ!」と慌てて手を振る。
普段からそんなことしていたらちょっと引いてしまうが、彼女だから許してしまうんだろうなと自問自答する俺。
それを見た焼津社長は、少しだけ呆れたように肩をすくめた。
「ふふ、ふたりともまだまだ庶民派のままなんだね」
社長が苦笑いを浮かべると、俺たちはホッとした。
「そういう生活に慣れちゃってますからね……俺たちには勿体ない部屋なので、別の人に紹介してあげてください、スミマセン」
「まぁ、そんなことだろうとも思ってたから気にしないでいいよ」
せっかくの好意を無駄にした気がしたが、社長が理解してくれたことで肩の荷が下りたような軽さが感じられたからだ。
「じゃあ、次はもう少し身の丈に合った物件を探してみましょうか?」
「えっ、他にもあるんですか?」
「あるよ。私を誰だと思ってるの?」
ありがたいことに、すぐに焼津社長が提案してくれる。
というか、この人なんでも出来るな……。
VTuber事務所だけじゃなくて不動産屋も掛け持ちしているんじゃなかろうか。
そして、紺の顔がぱっと明るくなった。
「はい! その方が気楽に暮らせる気がしますっ!」
その元気な返事に、焼津社長も小さく笑みを浮かべる。
しかし、すぐに少しだけ表情を曇らせた。
「ただ……」
「ただ?」
俺と紺が同時に首をかしげると、焼津社長は少し困ったように手元のタブレットを操作し始めた。
「紹介できる物件となると、条件を絞らなきゃいけないかもしれないのよ。VTuberの活動に適した物件って、結構限られているから」
「まぁ、そうですよね……」
紺が返事をすると、焼津社長は淡々と頷いた。
「防音設備が整っていること、近隣の目が気にならないこと、それでいてアクセスが良い場所……そんな条件をすべて満たす物件は簡単に見つからないの。もちろん、家賃を抑えるとなるとさらにね」
「そ、そうですよね……」
俺は思わずため息をついた。現実はなかなか甘くない。
「まぁ、別にないことはないの。けどね……」
「けど?」
俺は聞き返す。
いつも表情の変わらない社長が少しだけぎこちない表情を見せるので、珍しいと思った。
「えっと、うーん……いや、なんでもないかな」
「絶対何かあるでしょ!?」
紺がピシッと指を差し、追及するような視線を焼津社長に向ける。俺もそれに同調する形でじっと見つめると、さすがの社長も観念したのか、軽くため息をついた。
「……正直に言うわね。一件だけ、条件にぴったり合う物件があるの」
「じゃあそれでいいじゃないですか!」
紺が勢いよく声を上げる。
「ただ……」
また「ただ」だよ。俺は内心ツッコミを入れつつ、社長の続きの言葉を待つ。
「その物件、ちょっとだけ、いや、かなり個性的というか……」
「個性的って、どういうことですか?」
俺が慎重に聞くと、焼津社長は少し言いにくそうに口を開いた。
「実はその物件、元々……お化けが出るって噂があってね」
「お化けぇ!?」
紺が飛び上がるような勢いで俺に抱き着いた、ちょっと嬉しい。
それを見た社長は苦笑いを浮かべながら続けた。
「まぁ、ただの例えよ。私は何度か見に行ったけど、特に怪しい感じはしなかったし、防音設備も完璧だし、アクセスも抜群。ただ、前の入居者があまり長く住まなかったのは事実なのよね」
「そ、それ怪しいじゃないですか!」
紺は顔を青ざめながら俺に強くしがみついてきた。
「いやいや、お前VTuberだろ? 撮れ高として十分じゃないか?」
「それはあくまでキャラですよぉ! リアルは無理ですって!?」
泣きそうになっている紺に、社長は言う。
「まぁまぁ、あくまでお化けは例えだから」
その含んだ言い方がとても気になる。
「例えってことは、問題は別にあるってことですよね?」
「……まだ他にも探す余地はあるよ?」
焼津社長が困り顔で言うが、どこか諦め半分のようにも見える。
その物件がよほど条件に合っているのだろう。
「紺、お化けは出ないがまた別に問題点があるようだが、どうする?」
社長の言いたいことをまとめて、尋ねてみる。
「出ないですか?」
「あぁ、大丈夫だ。もし出たとしても俺が守ってやるから」
「……本当ですか?」
ぎゅっと俺の袖を握ってくる。
あーもっとからかってイジめたくなってくる、だけどこれ以上やったら可哀想だしな……。そう思って、俺は紺に向き合った。
「当然だ、それにまだ住むわけじゃないしとりあえず見に行こうぜ」
「……あっ」
そう言うと、焼津社長が青ざめた表情で言った。
「ごめん、確定ボタン押しちゃった」
「は?」
ごめんどういうこと?汗
「いや、ここしかないだろうなぁ……って手続してたら間違って入居するボタンを押しちゃった」
「手続きってどういう?」
「すぐに手続きが終わるように君たちの個人情報を入力して、保留にしようと思ってたの。だけど疲れてたのかな……間違ってその確定ボタンを押しちゃったの」
「いや俺たち条件や契約とか全く見てないんですが!?」
俺は驚愕の声を上げた。
「待て待て、なんでそんな時限爆弾なるものを社長が持ってるんだよ」
社長は小学生のようにあれこれと言い訳を並べる。
「だって私だもの……」
「いやどういう理屈だよ!?」
「タブレットに君たちが知られていないような情報をたくさん入れてるし、弱みだってたくさん握ってるの……」
今ちょっと恐ろしいことを聞いた気がする。
紺と目を合わせて「文句を言ってあんまり敵に回さない方がいいかもな」というサインを送った。
「わ、分かりました……とりあえず物件を見に行かせてもらっていいですか?」
「うん、きっと喜ぶだろうから……期待してて?」
「不安しかない……」
こうして、無理矢理俺たちの住む部屋が決まったらしいのであった。
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