第2話 引っ越し
翌日、俺は焼津先輩が社長を務めるVision Codeの新しい事務所で仕事をしていた。
俺が今取り組んでいたのは、紺が撮影したばかりの新しい動画の編集である。
編集ルームの一角で、紺は自身の映像をじっと見つめながら、細かな要望を俺に伝えていた。
「そのシーン、もう少しズームインしてもらえると、表情がはっきりして良いと思うんですよね~」
俺は彼女の指示に従いながら、ふと不満を漏らす。
「これ、めんどくせえな……」
そう言いつつ、俺は彼女の笑顔に癒されていた。
まだ作業は続くが、彼女との協力作業は意外と楽しいものだ。
不平を言いつつも俺は紺のために最善を尽くしていた。
「頑張ってくださいっ、終わったらちゅーしてあげますから♡」
「おっしゃ頑張るぞ」
……まぁ、紺からのご褒美につられていることは間違いないが。
紺の隣に座り、俺はビデオクリップを調整し、時折紺と目を交わし合わせた。
「こうか?」と俺が聞くと、紺は嬉しそうに頷いた。
「はい、それで完璧です!」
「はぁ~ようやく終わった……」
2,3時間、画面との格闘の末に動画が仕上がった。
紺は微笑みながら俺の肩をポンと叩いた。
「お疲れさまでした! 本当に感謝しています」
作業を終えた俺は、ほっと一息つく。
そして、紺からの「ご褒美」を心待ちにしていた。
「おう、感謝されるとなんだかんだでやる気出るな……で、ご褒美は?」
「あっ」
だが、視線を感じて辺りを見渡すと、事務所には他のスタッフもちらほら。
周囲は気付いていないようだが、紺は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「えっと、ここはちょっと……後で、ですね」
「お、おう……」
そりゃそうだよな。
俺は少し肩を落とすが、内心では紺のそんな照れくささも新鮮で愉快だった。
「まったく、こういうことでもなければ本当にやってられねえよな……」
「どうかしたんですか?」
俺の様子に気付いた紺が尋ねてくる。
言わなくてもいいかとも思ったが、これはいずれ俺たち二人の問題にもなってきそうだと思ったので、俺は紺に話そうと思った。
「紺、ちょっと聞いて欲しいんだけどさ……」
紺は俺の顔をじっと見つめ、何か重要な話であることを察して真剣な表情をした。
「何ですか?」
俺は一呼吸置いてから言葉を続けた。
「実は、伊豆が前の配信で俺のことをちょっと……」
紺は俺の言葉を静かに聞き、頷きながら俺の話に耳を傾けた。
俺の心境を理解しようとする彼女の姿勢に、俺は少し心を落ち着かせることができた。
「俺、伊豆に連絡してさ、なんで俺の顔にモザイクかけなかったのかって問い詰めたんだ」
「ど、どうだったんですか?」
俺は苦笑いを浮かべながら答えた。
「あいつな、笑いながら『わざとだよ』って言うんだ」
「えぇっ!?」
紺は少し驚いた様子で、で目を丸くする。
少しは同情してくれるかと思ったが、彼女は予想外の返事をしてきた。
「でも私、シューチさんが有名人になってくれて嬉しいです♡」
「なんでだよ」
「だって有名になればなるほど面倒なことが降りかかってくるじゃないですか、これを有名税って言います。今どんな気持ちですか?♪」
「不愉快な気持ちだよ!?」
だけど、紺はすぐに「冗談ですよ~♪」と言って切り返す。
「それは……ちょっとひどいですね。シューチさんが迷惑しているのに」
「だろ? だからさ、ちょっと環境変えた方がいいかなって……引っ越しを考えてるんだ」
紺はその提案に少し驚いたが、すぐに俺の決断を支持してくれる。
「それも一つの解決策ですね。でも、お金の面は大丈夫ですか?」
「うーん、それがな……金がないんだよな」
それを好機と捉えたか、紺はすぐさまこう告げた。
「じ、じゃあ私の部屋で一緒に住みましょう!!」
「え?」
……ごめん、内心すごくドキッとした。
女の子と一緒に暮らす……なんてロマンがある生活だろうか。
だけど、大人としての矜持・常識ってものがあるじゃないか?
結婚したなら分かるが、付き合って数日で同棲だなんて。
「そ、その提案は嬉しいが……」
と、いつもの態度で断ろうとしてしまう。
そして、紺はいつものようにグイグイときてくれる、そう思ったのだが——
「あ……確かにそうですよね、配信でいつもうるさいですし、夜中にバンバン作業しちゃってますし」
「いや、そんなことは……」
おや……? いつものように来てくれないのはなんでだ?汗
お、おーい?
「シューチさんが寝れなかったら完全に私のせいですし」
「だ、大丈夫だって、前の仕事で寝る時間を削ってまで働いてたし、余裕だぞ……?」
気持ち悪いオッサンみたいになってしまってる気がして、言葉にも力が入らない。
俺はこんなにもグイグイ行けるタイプじゃないのに、紺のために頑張っている。
「あ、それは良かったです! でも、やっぱり私がうるさくて……あの、ご迷惑かけちゃうかもしれないですし……」
紺の声がふるえている。いつもの元気な彼女からは考えられない様子だ。
俺はなんだか胸が締め付けられるような気持ちになった。
彼女がこんなにも不安に思っているなんて。
「紺、大丈夫だぞ。お前がうるさいなんて思ったことないし、それに夜中いくらでも作業してくれ、バンバンどころかガンガンしてくれていい」
「シューチさん……!」
だから、俺は言葉を紡いだ。
俺は紺がいてくれるだけで、それだけで俺は嬉しいんだ。
だから心配するなと、そう言いたかったのだが
「そ、そうですよね……私ったら何を心配していたんでしょう……」
すぐに紺は理解を示してくれた。
良かった、恥ずかしい言葉を職場で言わなくて済んだと思ったら——
「そうです! 私たち付き合ったんですから“夜中にいくらでもバンバンしても”いいですよね!?」
「……は?」
ちょっと興奮気味の紺に聞き返してしまう。
「だって同じ部屋に住む男女の部屋が静かなわけないじゃないですか!? え、えへへっ……寝る時間を惜しんでナニをするんでしょうね……?♡」
「おいコラ」
紺の首根っこを掴んで制止させる。
付き合って早々、恋人にこんなことをするとは思わなかった。
「はっ……今私ナニを……?」
「ナニっていうのやめろ、今ヤバイこと口走ってた自覚あるか?」
我に返った紺は、申し訳なさそうな顔をする。
「ご、ごめんなさい……私つい……」
「まぁ、反省してるならいいけど、ここ職場だから妙な事を口走るのはやめてくれよ……俺の立場がなくなってしまう……」
年下に手を出して、さらにこれかと風評被害を食らうのはゴメンだからな。
だけど、紺は言うのだ。
「で、でも……シューチさんと一緒に暮らすってことを考えたら、私すごくうれしくて……」
「……!」
真っ直ぐに伝えてくれた気持ちが温かくて、とてもじんわりと胸にくる。
不器用ながらも、紺は俺とどうしたいかを伝えてくれているのだ。
だからなんでも許せてしまう。
「俺も本当は紺と一緒に住みたいと思ってる、もし条件が合う家が見つかったらその時は一緒に住ませてほしいんだ」
「し、シューチさん……」
紺がうっとりとした眼差しを向けてくるのが眩しい。
だけど、ついついその瞳に吸い込まれてしまいそうになるのだ。
「話は聞かせてもらったよ」
と、そこで来訪者が現れたのだ。
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