第51話 料理教室

 家路を辿りながら、その日の出来事を思い返していた。

 夕暮れの街は俺の気持ちと同じように柔らかな色に包まれていた。紺との関係が何となく落ち着いてきたことが嬉しく、少しだけ胸が軽く感じられる。


 紺の家に到着した。

 せっかく事務所公認のカップルになった記念にと言って、家に迎えてくれたのだ。

 ちょっと照れくさいけれど、紺との時間はとても大事にしたい。


 これはいつも通りの流れだろうと思っていた。


「シューチさん、今日から料理教室を始めますよ♪」


 彼女の表情は明るく、手には料理本を持っていた。

 にっこりと微笑みながら、俺は言った。


「嫌だ」

「えぇっ!? どうして急に?」

「急なのはそっちだろう、ていうか突然どうした」


 何となく言わんとすることは分かる。

 紺はしばらく考えるように黙った後、真摯な表情で答えた。


「実は、シューチさんの料理がちょっとまずくて」

「……」


 俺の中でショックだった。

 分かっていたが改めて言われると悲しい。


「どうして、前作った時は美味しいって食べてくれたじゃないか」

「確かに美味しかったですが……あれは感情補正が入ってたんです、普段から出されたら私困っちゃいます!」


 俺は紺の言葉に、内心で少し苦笑いを浮かべながらも、彼女の真剣な眼差しには逆らえなかった。彼女の誠実さが、この申し出の背後にあることを感じていた。


「それでこの料理教室なのか……」


 俺の料理は確かに評判がよくない。

 過去に何度か試みたが、大抵は火の通りが悪かったり、味が均一でなかったりと問題が多かった。友人も失ったこともある。


「でもそれだけじゃないんです。一緒に料理をする時間が、私たちの新しいコミュニケーションになると思って。一緒に美味しいものを食べたいんです。それに、二人で料理するのって楽しそうじゃないですか?」


 俺はその言葉に少し驚きつつも、嬉しさを感じてしまう。

 紺がそれを改善しようと提案してくれたことが、俺たちの新たな一歩のように感じられた。


「なるほどな、それは良い考えだ」


 俺は半ば諦め、半ば興味を持って尋ねた。


「それで今回は何を作るんだ?」

「今日は基本的なことから始めますので、ペペロンチーノですっ♪」


 紺はわくわくした様子でキッチンへと向かい、俺を引っ張っていった。


「では、今日は基本的なことから始めましょうね!」


 キッチンは、彼女の愛情と努力が感じられる空間だった。

 整然と並べられた調味料、きれいに手入れされた鍋やフライパンが、今から始まる料理の冒険に期待を膨らませる。


「まずは基本のペペロンチーノからです。シンプルですが、火の通し方やオイルの量で味が大きく変わりますから」


 キッチンに立ち、俺たちはまず基本的な切り方から始めた。

 紺は根気強く、優しく指導してくれる。俺は少しずつだが、紺の手順に従って料理のコツを掴んでいった。


「いいですよシューチさん♪ この切り方で野菜が均等に火を通すことができるんです♡」

 と紺は教えながら、俺に野菜を切らせた。

 最初はぎこちなかったが、徐々に自信を持って包丁を握るようになる。


「慣れていけばこうです!」


 だが、彼女が材料を手際よく準備する様子は、まるでプロの料理人のようだった。

 ニンニクをみじん切りにし、オリーブオイルを温めながら、彼女は手順を丁寧に説明してくれる。


「オリーブオイルは熱しすぎないこと、ニンニクは焦がさないこと。これが美味しさの秘訣です」


 俺は、彼女の説明に真剣に耳を傾ける。

 料理への熱意はこんなものではない。


「パスタはいいですよ~生活に困ってた時はよく塩をかけて食べてましたがとてもコスパが良くてですね、業務用のパスタはお店によってはお米より安いんです。5kgパスタで何日生活したものか……!」

「事務所移籍できて良かったな」


 リアルタイムな話題でツッコミを入れる。


 また、料理のプロセスを通じて、俺たちの間には笑いが絶えなかった。

 紺は時折、俺の失敗をからかい、俺もそれに応じて軽口を叩く。それはまるでダンスのように、リズミカルで楽しい時間だった。


 ペペロンチーノが完成すると、俺たちは作った料理をテーブルに並べた。


「じゃあ食べましょうか♪」

「あ、あぁ……」


 フォークを手に取りながら、緊張した面持ちで紺の反応を見守った。

 紺は先に一口を口に運ぶ。

 彼女の顔を窺いながら、俺も同じくフォークでパスタを巻いて食べ始めた。


「どうですか? シューチさんの作ったペペロンチーノは?」


 紺の目は期待に輝いていたが、少し心配そうにも見えた。


 俺は一口噛むと、その味に少し驚いた。

 普段、自分で作ったときとは明らかに違う。

 オリーブオイルの香りが心地よく、ニンニクの風味が絶妙に効いていた。辛さもちょうどよく、パスタの茹で加減も完璧だった。


「これは……うまい!」


 俺は素直に感動し、紺の料理スキルに改めて敬服した。

 紺は安堵の笑みを浮かべながら、ほっとした様子で言う。


「良かったです! シューチさんに美味しいと言ってもらえて嬉しいです♪」


 ほとんど紺が作ってくれたようなものだけどなと苦笑する。

 また、紺はこうも言う。


「作るのも簡単ですよね、自分でも試してみてくださいね♪」

「そ、それは……」


 簡単に言ってくれやがって。


「だめ、ですか……?」


 だけど、紺は作ってほしそうな眼差しを向けるので折れてしまう。


「わ、わかったよ……気が向いた時に頑張ってみるよ」

「やったぁ♡ シューチさん好きですっ♡」

「あはは」


 食べ終わり、紺は尋ねてきた。


「私には料理しかシューチさんを満足させることができないけど……ねえ、シューチさん。これからも一緒に料理しましょう? それで、次は私がシューチさんの作った料理を食べたいな」


 紺が言ったので俺は言う。


「教えてもらったけど正直、料理にはまだ自信がないんだ。だからもっと教えてくれないか、俺も上手になるから……!」

「もちろんですっ♡」


 二人で指切りをする。


「それに……紺が病気で寝込んだら俺が代わりに作らないとだからな」

「えっ、それって病める時も、健やかなる時も——のやつですか!?」

「随分と話が早いな……?」


 すると、紺はきょとんとして


「え、イヤなんですか?」


 そんなことを言われたら答えるしかなくなる。


「嫌じゃない、むしろ……一緒にいてくれ」

「~~っ!?♡」


 その夜、二人が作ったのはシンプルながらも愛情たっぷりのペペロンチーノ。

 俺にはまだ自信がない。

 だが料理をする際には、今後も紺がそばで支えてくれることを心の底から感謝していた。


「シューチさんっ、好きです~~っ♡」

「わっ、は、恥ずかしいだろ……!」

「えへへ~♡」


 この小さなキッチンで共に過ごした時間が、俺たちの絆をさらに深めていくのだった。

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