第49話 そのあと

「シューチくん」


 焼津先輩が俺を”そう”呼んだ。


「え?」


 いつもなら苗字で呼んでいたのに、急にどうしたのかと。

 だけど、何も無かったかのように先輩は微笑んで。


「これからは色々と教えてくれると嬉しいな、菊川くん」


 と、呼び方を戻してそういうのだ。


「それはいいですけど、俺なんかで力になれますかね?」

「なれるよ、だって私VTuberなんてそこまで興味なかったから」

「ぶっ!?」


 こんな場で何を言うのかと思った。

 先輩は仮にも、立ち上げ事務所の代表に当たるよな?


「詳しくないならどうしてこんなことを始めたんですか……?」


 副業とか事業に興味のあるのは分かるが、流石に分野は選ぶだろうとは思うのだが。

 想像がつかず尋ねてしまう。


「知り合いだった清水さんから話を受けて、伸び代のある分野に出資するのもいいかなって思ったのもそうなんだけど……やっぱり、菊川くんがハマってるものだから」


 そこでカバンから取り出されるいくつもの資料の数々。

 というか、俺の知っているそれとは全く違うモノだが、すごく勉強したことが伝わる。


「流行りとかについていけない私だから、こういう形からでしか入れなくて。あ、もちろん配信とかは観てるよ?一応」


 一応という声が少しだけ弱かったが、俺の顔をジッと見て言った。


「昔から大人しい菊川くんを見てて少し心配だったの。力になってあげたかったの、だけど何かのきっかけて立ち直る姿を見てたらなんだろうなって調べていった形がこれなのね。今も全然わからないけど、推しを追いかけるってことはすごく楽しいんだなって分かったよ」


 ずっと俺を見ていてくれたんだな。


「だから私も手を付けてみようかなって思ったらこういう形になっちゃったの、腐れ縁の菊川くんとはずっと関わっていたかったから」

「先輩は俺のために……」

「そんなんじゃないよ、ただ興味の幅を広げる良い機会かなって思ったくらい」


 前のこともあるし、紺のいる前では素直に言わないのだろう。


「だから――紺ちゃんの事を大事にしてあげてね」

「そんなの当たり前じゃないですか、だって俺の恋人なんですから」


 そう伝えると、先輩はクスッと笑って


「そうだね、菊川くん彼女のこと本当に好きだもんね」

「はい……そりゃもう……」


 画面上だけでなく、リアルでも触れたいほどに大好きだ。

 それを分かってくれているからこその言葉……もしかすると、先輩はこれから仕事相手として接するから、さっきは最後に名前で呼んでくれたのかもしれない。

 そんな負けヒロインにしてしまった先輩に、やはり言わなくてはいけない。


「先輩、別に呼び方なんて気にしませんよ」

 

 その言葉に面を食らったのか、呆気にとられる先輩。


「先輩が良ければですけど……前と同じように話しましょうよ」」


 そして落ち着きを取り戻し


「うん、ありがとうシューチくん。名前で呼びたいから呼ばせてもらうね」


 浮気じゃないけれど、先輩とはまだまだ長い付き合いになりそうだから、俺は好きに呼んでほしい……そう思ったのだ。


「じゃあ話は済んだから、私はもう行くね」


 そうして先輩は、この場を後にする。


「こんなことなら、もっと早く名前で呼べばよかったね」


 と、何か聞こえてきたのだが、その流れで俺たちも解散となった。



 ――――――――――――――――――――――――



「はーあ、なんかどっと疲れがきた」

「大変でしたね♪」


 ため息をつきながらいうと、紺はにっこりと笑いながら応じる。


「代表に呼び出されて、社会的に殺されるかと思ったぞ」

「なんでシューチさんが? 危機感を覚えるのは私の方じゃないですか」


 彼女の言葉に軽い戸惑いが混じっているので、少し笑ってしまう。


「分かってるなら少しくらい焦れよ」

「だって清水さんが私たちに嫌な事を押し付けることってあんまりありませんし、むしろ私たちの活動のために色々としてくれましたよ」


 紺の声には感謝の気持ちがにじみ出ていて、深い恩義があるのだなと思え


「えぇ、最初に面接をしてもらった時から本当に……」


 また、その声は少し寂しげに響く。

 その瞬間、俺はふと彼女の手を握った。

「え、シューチさん?」


 紺が驚きながら見上げる。


「心配するなよ、事務所を離れたからって縁が切れるわけじゃないし……俺と先輩みたいになんだかんだ人の付き合いって切らない限り続くもんだよ」


 それに苦笑いを浮かべながら紺は言った。


「やっぱり優しいですねシューチさんは」

「そんなこと……」


 つい言葉に詰まりながらも、その言葉を否定はしなかった。

 それを良いことに、紺は俺の手をしっかり握り返してくる。


「ちゃんとつなげていません、こうですよっ!」


 彼女は微笑みながら手の位置を修正した。


「あ、あぁ……」


 その温もりに心を許していると、紺はからかうように言う。


「ほんと慣れてないですよねぇ~?」

「うるさいな、女関係には縁がなかったんだよ」

「らしいですね~ふふっ? じゃあ私がいーっぱい関係作らせてあげますから♡」


 彼女の声にはいたずらっぽい愛らしさがこもっていた。


「ほどほどに頼むよ」

「なんでほどほどなんですか」


 むすっとする紺。


「や、最初から飛ばしすぎたら冷めやすいって言うじゃないか」

「私は最初から全力で来てますけど」

「どこからそのエネルギーが来てるんだよ」

「シューチさんだって――」


 少し止まって

 紺は俺を見つめながら、もう一度言葉を紡ぐ。


「シューチさんだって、私のことをずっと推してくれてたじゃないですか」


 中だるみすることなく、飽きることもなく。

 確かによくもまぁ何年間も同じヤツを推し続けたと思う。


「だって嫌だろ、ファンが他のヤツを推し始めただなんて知ったら」

「バレるわけないのにー」

「伝わるんだよ、よくわからないけど……そう思うんだよな」

「そういうところが好きです」


 また俺は反応に困ってしまう。

 だけど、紺はそれを楽しそうに眺めて


「これからもよろしくお願いしますね♪」

「あ、あぁ! こちらこそ」


 夕暮れもほくそ笑むような帰り道。

 俺たちの背中を温かく、今も誰かに見守られているのであった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――


 いつも読んでくださりありがとうございます。

 また期間が開いてしまってスミマセンでした、ちょっと色々ありまして……

 また続きを楽しみにしていただけると嬉しいです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る