第39話 防衛反応

 菊川君とは高校の時、一緒の部活だった。

 文芸部っていう名の帰宅部。

 たまに好きな本を紹介し合って帰るだけの場所だった。


 彼はそこまで明るい子じゃなくて、友達も多い方じゃない。 

 自分はあんまり人と好んで話す方じゃないから、彼は落ち着くなって思ってた。

 秘密も守るし、無害で信用できる子なのだ。

 だから他愛のない話をするし、たまに勉強を教えてあげてるような関係。


 いわば姉弟。恋愛感情なんてお互いになかった。

 けど、時が経てばお互いに少しずつ変わっていって、高校二年の時が一番華があった。

 といっても、ちょっと明るくなっただけ。

 理由は分からなかったけど、後でその理由を知ることになる。


『え、失恋?』

『あんまり言わないで欲しいんですけど……聞いてくれますか?』


 どうやら彼は恋愛をしていたらしい。

 振られた直後は死人の顔のようで、その様子に思わず言ってしまった。


『恋愛って追いかけてる時の方が楽しいらしいね』

『えぇ、どういうことですか?』

『恋愛して、いざ付き合ってみると違ったなって事が多いらしい。やっぱり先人から学ぶべきことは多いらしいけど、キミもそう思わない?』


 人は未熟なうちは恋愛なんてしちゃいけない。

 だってその未熟さが、相手に迷惑をかけるから。

 そう説明し、参考までに聞いてみた。


『そうかもしれないです……バカだなぁ俺は』


 彼は深く納得していた。

 なるほど、やっぱりそうなんだ。


『恋愛って悪だよね』

『どうして?』

『だって要らない感情に振り回されて活動の質を落とすなんて、非生産的なことだよ。だったら勉強や趣味みたいな、自分の人生の質を上げる事に時間を費やす方がよっぽど生きがいになると思う』

『先輩の言う通りだ、俺なんてバカなことしてたんだろう……』


 それがまさか、呪いのように彼の心に刻まれるなんて十年後に想像していただろうか。


 一方、私は別のことを考えていた。

 私も先駆者を見習って、付き合うなら恋愛をしない。

 付き合うなら余程信頼のおける人を隣に置くべきだ。


 そう思って、ふと言ってしまった。


『ねぇ、30になってもお互いに恋人がいなかったら付き合おうよ』

『え、なんで?』


 そういう返事、冷めるなぁ……と思ったけど言わないでおいた。


『寂しいと思うんだ、ずっと一人で生きるってさ』

『そう、ですかね?』

『共同作業で生活をした方が楽だと思うんだ、この部活だって一人じゃ成り立たないでしょ? 手分けする為に付き合うのがベストだと思うんだ』

『うーん、分かるような、分からないような……』


 だけど、菊川君は了承してくれた。


『まぁ……先輩が良ければ別にいいですよ』

『ふふ、物わかりが良いんだね』


 こんな事があったなとふと思い出す。

 だけど、私が今もまだこの約束を果たそうとしてるなんてね。



 ◆◆◆◆



「さぁ行きますよ」


 掛川が俺を引っ張る。

 行くということは、紺に会いに行くということだ。

 会いたいハズなのに、俺の身体は硬直して微動だにしない。


 それを見かねた先輩が制止させる。


「彼は今弱ってるの、やめて」

「知りませんよそんなの。紺ちゃんには菊川さんが必要なんです」


 その言葉に先輩が察する。


「あの子と何かあったんだ」


 気まずかった。バレてはいただろうけど、改めて掘り返されると目を合わせられない。

 俺は最低なことをしたのだから。


「大丈夫、菊川君は行かなくてもいい」


 甘い言葉は麻薬のように頭に響く。

 だってそっちの方が楽だから。


「なんで貴方にそんなこと決められるんですか!」

「だって私が彼と付き合うから」

「はぁっ……!?」


 掛川は困惑していた。

 そうだろう、だってつい先ほどまでその話をしていたのだから。

 ……まだ了承はしていないけれど。


「約束……ってやつですかね」

「いや意味わかんないんですけど、紺ちゃんはどうなるんですか!?」


 掛川は知らないのだろう、俺と紺の間に何があったのか。

 だけど迷っていて、俺は話を切り出せなかった。

 それを見かねた先輩が言う。


「あの子にごめんねって伝えて。菊川君は傷付きやすい子なの、だから放っておいてあげて」


 情けないなと思いつつも、俺は黙っていた。

 納得のいかない掛川は言う。


「だから何ですか、自分が傷つきたくないから逃げてばかりいる事の謝罪なんか要らないです」

「……っ」

「紺ちゃんに必要なのはもっと別の言葉です!」


 見透かされていた。

 そう、俺は傷付きたくないから恋愛から逃げている。


「あんなに一緒にいて、あそこまでされて、満更でもなさそうだったくせに!」


 そうだ、掛川の言う通り。

 俺は悪い気はしてなくて、むしろ嬉しかった。


 だからこそ、本音が漏れた。


「……じゃあ、どうしろって言うんだよ!」

「はぁ?」

「もし……俺が、紺の期待に沿えない男だったらどうするんだよ、また上手くいかなくて、仕事も趣味も、何も手に付かなくなったらって考えたことはあるのかよ……っ」


 不安だった。

 また昔のように、暗い影を落とす生活が待っているとしたら。

 だったら現状維持で良いじゃないか。


 俺が気持ちをぶつけると


「はぁ……?」


 掛川はずっと困惑していた。

 俺の言っている意味が分からないと言わんばかりに。


「期待がどうこう言いましたけど、紺ちゃんがそんな器の小さい女の子見えたんですね」

「そ、そんなこと言ってないだろ……」

「言いました、信用していないからそんなカスみたいな言葉を吐けるんですよ」


 そして続ける。


「あぁカスじゃなくてゴミです、塵も積もればゴミとなって言いますからね」


 くだらないプライドというまとまったカスが、俺というゴミを生み出したと。

 上手いようで酷い事を言ってくる。


「こんな女にほだされるなんて、たらし男が」


 だからか、俺は少々ムキになっていた。


「違う、俺は……もういいんだ。俺は素直になることにしたんだ」

「へぇ、そうなんですか」

「俺は、焼津先輩のことが、好きで……」

「それはどこが?」

「えっと、それは……声とか?」


 語るに落ちたとはこの事か。

 説明が曖昧で、話す程にボロが出て行く。


「コンちゃんと比べると?」


 つい、黙ってしまう。

 だけど、世話になった以上、無理にでも先輩の良い所を挙げたかった。


「こんな俺にも、ここまで優しくしてくれて……」


 公開処刑されている気持ちなっていた。

 実のところ、紺と混在している部分があるのではと、思い始めていて。

 胸が苦しく、もうやめたかった。


「それを紺ちゃんの前で言えるんですか? ……って、もう聞くまでもないですね」

「え……あれ?」


 いつの間にか、俺は涙を流してた。

 湿っぽいものが両頬を伝う感覚に困惑してしまう。


「思っていたんですけど、紺ちゃんに自分の気持ちを伝えたことはあるんですか?」

「え、えっと……それは……」

「はぁ……やっぱりないですよね、分かります。貴方の考えている事の大方が」

「なんだよ、それ」

「推しに対する気持ちは一緒。だからこそ分かるものがあるんです」


 どこまで俺のことを見透かしているのだろうと、不思議な気持ちはあった。

 だけど、掛川の言葉は全て事実。だからこそ妙に納得がいく。


 だが、しびれを切らした先輩は


「いい加減にして、私たちの邪魔をしないで……え?」

「ごめんなさい先輩、俺やっぱり……」


 ちゃんと言わないから誤解されるのだ。

 俺は間に入って謝罪した。


「……良い歳こいて恥ずかしいですよ、若い女の子に恋してるなんて」


 自分はいきなり何を言い出しているのだろう。

 だが、止まらない。


「べ、別に恋してるつもりはなくって、ただ応援してただけなのに、なんか気付いたら……ガチになってて……」


 洗いざらい、罪を認めるように話し始めた。

 緊張が解けたのか、次第にボロボロと零れ始める涙が止まらない。


「シューチさん、それがガチ恋ってやつですよ。推しを推しているうちに本気で好きになっている、迷惑野郎なんですよ。ほら、今もこうやって周りに迷惑をかけてる。貴方にぴったりな言葉じゃないですか」

「掛川……」


 厄介野郎の切実な告白に、焼津先輩は呆れて頷いた。


「分かってたよ、もう……ほらいってきて」

「え……せ、先輩……俺……」


 昔から、ずっと世話になっていたのに。

 期待に応えられなくて。

 俺には勿体ないほど、十分に魅力的な人なのに——。


「いいよ、ただの暇潰しだったし。あー君がいなくなってせいせいするなぁ」


 無理をしているのか、棒読みをしているように聞こえた。

 だけど、背中を押されている気持ちを無駄に出来ない。

 

「もう分かりますよね?」


 そこに掛川は俺の胸板に熱い拳を突きつけた。

 その衝撃に、胸の中の何かが鳴り響く。

 彼女の目は真剣そのもので、言葉は空気を切り裂くように俺に突き刺さった。


「——画面越しじゃなくて、リアルで伝える言葉を!」


 その言葉に、俺は頷く。

 心の奥底でずっと蠢いていた感情が、掛川の一撃で表面に噴出したのを感じた。

 それは、逃げ場を失った衝動と、急かされる決意だ。


「……あぁ。」


 その一言が、俺の全ての迷いを吹き飛ばす。

 今こそ、逃げずに向き合うべき時だと、心のどこかで強く感じていた。


「さぁ早く、行ってください」


 掛川の声には急き立てる力があり、その手が俺の背中を力強く叩いた。

 その一撃が、俺の足を自動的に前に動かすトリガーとなった。


「菊川君……」


 焼津先輩が何か呟くが、振り向かない。

 まるで背中に風を受けているかのように、俺は前へと駆け出した。

 駆け抜ける足音は、自分自身への確かな誓いのように響いてくる。何をおいても、今は紺のもとへ向かわなければならない。その一心で、彼女の元に向かう。


 拒絶される恐怖や不安が冷たく感じる中、心は熱く燃え上がっていた。

 これが、リアルな気持ちを伝えるということ。画面越しの言葉ではなく、直接その人の目を見て伝える言葉の重みを、今、俺は全身で感じていた。

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