第38話 居候

 俺は焼津先輩の家に滞在している。

 相変わらず先輩の家は、自身の性格とは裏腹に、ぐちゃぐちゃで整理整頓されていなかった。

 クールで仕事ができる先輩の家がこの状態なのは、初めて訪れたときほど驚きは感じてはいない。


 紺が俺の元からいなくなって一週間ほど経った。

 結果は見ての通り音信不通、連絡さえ取れないのだ。


 事の始まりは、謝りに行こうと紺の部屋にまでやってきた事だ。

 インターホンを鳴らそうと扉の前に来たものの、動悸が激しくなり立ちすくみ、部屋の前で膝をついてしまった。

 そんな所を隣の住人である先輩が見かねて声を掛けてきたのだ。


 そうして俺は先輩の家にお邪魔することになって一週間。

 女性の家に転がり込むという状況に、最初は深く落ち込んだが、他に選択肢がなかった。

 俺の心の隙間が埋まるなら、埋めてくれるなら……と。


「進捗どう?」


 先輩は優しく聞いてきた。


「あ、少しだけ遅れてますけど一時間で終わるかと」

「大丈夫、急がなくてもいいからね」


 彼女はニューヨークのロフトを思わせるようなごちゃごちゃしたリビングを横切り、キッチンへと向かった。彼女の家は一見するとカオスだが、彼女自身はその中で驚くほど効率良く動いていた。


 今俺は先輩の仕事を手伝っている。

 会社が営業停止を食らってから何をしていたのかと思うと、事業の拡大に勤しんでいたらしい。


 前に電話で聞いていたが、まさかこんな形で手伝うとは思わなかった。

 だけど、今の俺にとっては不幸中の幸いというところか。

 何かに打ち込まなければ、気が狂いそうだったからだ。


 そして、仕事が一段落したところで缶コーヒーを手渡された。


「お疲れ、やっぱり菊川くんは仕事が早いね」

「そんな事ないですよ。前の仕事に比べたら楽ですし、先輩が誰にでも分かるよう簡易マニュアルを作ってくれてたおかげですよ」

「ふふ、褒めてもコーヒーくらいしかでないんだよ?」


 ご機嫌な焼津先輩。

 ただ、やはり気になることがある。


「でも先輩……このごちゃごちゃしてる中でも、どうやってこんなに落ち着いてられるんですか?」

「うーん、たぶんね、仕事とプライベートの切り替えがしっかりしてるからかな。家では完全にリラックスモードだよ」


 と、彼女は笑いながら答えた。


 先輩のそんな態度は、どこか俺にも影響を与えていた。

 紺とのことで頭がいっぱいだったが、先輩の元での生活は新たな気持ちにさせてくれる。

 けれども、心の片隅には常に紺のことがちらつき、完全にはその場になじめないでいた。


「菊川くん以外の人にはこんなの見せられないからね」

「確かに」


 どうやら俺の他にも従業員を雇っているらしく、仕事を振りやすいように徹底的に効率化を図ったようだ。

 彼らは自宅で仕事を進めているので、先輩の傍にいるのは俺だけ、ということになる。


 まぁ、俺も家で出来るが帰ったらどうなるか分からないので、やむを得ずここに住まわせてもらっているのだ。


「じゃあ昼食にしようか」

「そうですね、何か買ってきましょうか?」

「あ、もうピザ頼んじゃったから一緒に食べよう」

「いつの間に……」


 こういったところもそうだが、先輩は何をしているか本当に分からない。

 まるで影のように行動が早く、計算しつくされた動きで常に一歩先を行っている。


「手が早いでしょう」

「それは異性に手を出す時に言う言葉ですよ」


 そう間違いを指摘するのだが


「ん、間違ってなんかいないよ」


 と、彼女は俺の唇にそっと指を当てながら言う。

 その行動は予期せぬものだったが、彼女のクールな表情とは裏腹に、何か暖かみを感じさせるものだった。


「まだツラいの?」

「まぁ……はい」


 彼女はさらに追い打ちをかけるように聞いてきて、俺はただ頷くしかなかった。


「もういいでしょ、私で」

「そうかもしれないですね」


 何も言わずに近づいてきて、突然——力強く俺を押し倒した。

 先輩の力は見た目によらず強く、抗うことができない。


「長い付き合いだから知ってる」

「そうだったんですか」


 焼津先輩は俺をじっと見つめている。

 彼女の目は何かを訴えかけるように見えた。


「毎日つまんなさそうにしてる君を前の会社に紹介したほどの仲なのに」

「酷い会社でしたね」

「おかげでやりがいはあったでしょ?」


 整った顔で微笑まれる。


「菊川くんのこと、結構分かってる方でしょ?」

「例えば……?」

「恋愛のことで傷付いちゃったんでしょ」

「うっ……」


 焼津先輩は何もかもお見通し。

 いや、俺の過去まで知っている人物だからバレるのも時間の問題だった。


「もう君が傷付くのは“お姉さん“みたくないな」

「だったらどうしろと」

「あの約束、守る時が来たんじゃない?」


 ……まだ覚えていたのか。

 学生時代、友達以上から発展しない男女がするような約束を。


「……忘れたと言ったら?」

「イヤでも思い出させてあげる、この状況だしね」


 先輩は笑った。

 そして、最後にとどめを刺すように言うのだ。


「——好きだよ、ずっと前から」


 先輩の顔が近づいていく。

 俺は分かってたけど、ずっと曖昧にしてきたツケがきた。

 だから俺は受け入れる準備をする。


 だけど、約束と聞いて気になったことがあったんだよな。

 ——紺と昔会ったことがあったっけ。

 彼女にも思い出してと言われた時の表情が頭にこびりついて離れない。


 こんな時なのに、どうして。


「って、ななな、なにしてるんですかーーーっ!?!?!?」


 バタン!!

 思い切りドアを開けられ行為を中断させられる。

 そこにいたのは、紺のマネージャーである掛川で


「はい!? お、お前こそなんでいるんだよ!?」

「こ、こっちのセリフです!!」

「どの口が言うんだ!?」


 驚いた俺は反射的に焼津先輩を押しのけた。


 ……何をしにきたんだ?

 いや、それよりもなんでここにいるんだ?


 俺の問いかけに、掛川はさらに怒りを露わにした。


「電話にも出ないで何してたんですか、私の仕事が溜まってるんですよ、早く来てください!!」

「は、はぁ……!?」


 どうやら猫の手も借りたいようで、切羽詰まっている様子。

 そう言い、俺の腕を掴んで連れて行こうとするが焼津先輩は止めに入った。


「ちょっと待ちなよ」


 いつも以上に冷たい言葉尻で、彼女は明らかに敵意を隠していなかった。

 まぁ当然だろう。勝手に家に入ってこんなことを言い出すのだから。


「人の家に勝手に上がり込んで、失礼じゃないの?」

「そ、それは……そうですけど、この人が要るんです!」

「不法侵入。警察呼んだら間違いなく負けるよ?」


 先輩はスマホを取り出し操作をし始める。

 これは掛川に分が悪い。だから助け舟を出す。


「先輩スイマセン、この人は俺が連れ出します」


 これは俺の責任だろう。

 彼女の仕事を手伝う素振りをみせておいて、結局先輩の仕事を手伝っているのだから。裏切ったなと言いたいのだろう。


 だけど、分かっていたハズなのに。

 言われることを、何故考えようもしなかったのか。


「——行きますよ、紺ちゃんには貴方が必要なんですっ!!」

「……っ!?」


 俺は酷く戸惑い、言葉に出来なかった。

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