第36話 譲れない気持ち

 そうだ、俺は彼女と動画を撮る為に行った。

 楽しい思い出で、つい彼女と紺を重ねてしまうことがあった。

 それを悟られたかのようで、俺は反論してしまう。


「それを分かってて……なんで俺を誘ったんだ?」


 最初、行き先を聞いて非常に戸惑った。

 だけど、紺には関係ない話だと思ったから了承したのだ。

 なのに紺は俺の気持ちなんていざ知らず……裏切られたような気持ちになったのだ。


 だけど、こんなこと言い出すのだ。


「それは、上書きをしたくて……」

「上書き? どういうことだ?」


 照れくさそうに、俺の気持ちを知らずに続けるのだ。


「だってシューチさんは伊豆さんのことを完全に忘れられてないですよね、二人が一緒に楽しんだ思い出なんてイヤです、私はそれを上書きしたくて……」


 そうか……そうすれば俺の気が引けると思ったのか。

 言わなければ紺の勝ち筋はあったかもな。


「だから明日は近くの荷口湖に行ってボートを借りましょう♪ 自然を堪能するんです、明日は快晴なので良い空模様が——」


 だけど、あんまり俺の気持ちをナメないでくれ。


「もういい、話は終わりだ。俺は恋愛というのには興味がない」

「う、ウソです!」


 紺の言う通り嘘だ。

 だけど、防衛本能が働くのだから仕方ないだろ。


 傷付きたくないから本気になれない。

 俺は今、紺を疑ってしまっているのだ。


「俺はお前のことが信用できない」

「え……?」


 一緒にいて楽しかった。

 ご飯も美味しいし、刺激をくれる。

 だけど、俺の領域に踏み込まれては話が変わってくるのだ。


「どうしてですかっ!」

「どうしてもなにも、お前の気持ちを知ったからには突き放すしかないんだ」


 紺の表情が悲しく染まる。

 すると不意打ちが飛んできた。


「わ、私が伊豆さんと……似ているからですかっ……!?」

「なっ……」


 図星を突かれて……とても痛かった。

 そうだ、彼女と重ねてしまう部分がある。

 語尾を上げるところや甘える仕草、振舞いの明るさは似ているのだ。


 だけど、紺には紺の良さがある。

 分かっているけど、今はそういう話をしているワケではない。


「……どうして俺なんだ」

「それは……」


 問い詰めると、紺は困っていた。

 ほらみろ、そうやって俺をからかうつもりだったんだ。

 からかう玩具が欲しかったんだ。何をしても純情な玩具が。


 ……いや違う。

 俺はずっと思っていたことがあったじゃないか。

 紺が何故俺に近寄ってくるのか、その理由を。


「お前は依存先が欲しいだけじゃないのか?」

「えっ……」


 突き放すように言うと、紺は目を丸くした。

 さも理解していないような顔をするので、ちゃんと言うつもりだ。


「忙しい仕事をしていると心が病んでくるよな、俺もよく分かるし思ったことはあるぞ、自分の負担を軽くしてくれる人がいないかなって……そうなれば依存先だよな」

「待ってください、シューチさん……!」

「両親がいないから大変だよな、俺もホント苦労した。だけど俺を父親代わりに使うのは良くないって」

「そ、そんなことしてないです!」

「いや、お前は分かってるハズだ。実はお前はまだ子どもで、ちゃんとした恋愛をしたことがないから俺みたいなのに引っ掛かって、勘違いして……はっ」


 手を握り、唇を震わせて、必死に堪えている。

 だが、紺をせき止めていたものが崩壊した。


「ど、どうして……っ、どうしてっ……!!」


 瞬間、俺は固まってしまった。

 そこまでなるものなのだろうかと。


「わ、私があんなに近付いて、大胆にアピールしてもシューチさんの心には何にも響かない……っ! こんなの酷すぎます……っ!」


 そうだよな。仮にも紺だって努力してきたはずだ。

 それを俺が都合よく受け取らないから……でも受け取るのは間違いなんだよ。


「泣くことないだろ、別に今生の別れでもないんだ。気持ちは気持ちとして受け取る。

 大丈夫、ずっと友達でいてやるから——」


 だけど、これは致命的なミスで


「な、なにが友達ですかっ……私の気持ちを踏みにじって……っ!!」

「き、気持ちって……ちゃんと受け取ってるよ」


 こんな状況にも拘わらず、思い通りにいかない悔しさで腹を立てていると、俺は推測してしまう。

 だからこそ、紺はまだまだ止まらない。


「なんで、なんでずっと昔のことを……っ、伊豆さんのこと引きずってるんですかっ、バカなんじゃないですか!?」

「し、仕方ないだろ……やめてくれよその話は……」


 紺が何を我慢していたのか、俺にはよく分からない。

 すると、今になってか紺は神妙なことを言い出すのだ。


「昔の女の事は覚えていて、私のことなんか何一つ覚えてやしないっ! 伊豆さんには敵いませんが、私だってシューチさんと昔会った事があるんですよっ! 私の好きは単純なモノじゃないのに……どうしてっ!!」

「は、えっ? なにをいって……?」


 俺は最初期からお前を推していた最古参だぞ?

 リアルに縁なんてあるわけがない。何を言っているんだ……?

 だけど、怒り狂った紺は俺の記憶にない事でまくしたてる。


「何度も思い出すきっかけをあげてたのに、一度じゃないもん、何度も、何度も……何度も何度も何度もっ!!」

「待ってくれ、本当になんのことだ……?」


 まるで冤罪を受けているような。

 だけど、その態度が地雷を踏んでしまったらしい。

 ついに観念した紺は激怒した。


「もういいですっ!! 初恋を拗らせてるシューチさんなんて知りません、だいっきらいです、ばかぁぁぁっ!!」


 そして、紺は布団の中に入ってしまった。


「う“ぁぁあ”ぁあーーん!!」


 号泣。泣き声が布団でくぐもっていたのが助かった。

 間近で聞けば俺の心はどうなっていたか、壊れかけていたかもしれない。


 だけど、これでも胸がかなり締め付けられる。痛すぎるのは確かだ。

 俺はどう答えたら良かったのか分からない。


 そこでふと考える。


「……いや、今お互いに冷静じゃないだけだ」


 寝て明日になれば全て話せるはずだ。


 ——時間が解決してくれる。

 策士策に覚えるとはこのことか。

 そんな安っぽいことわざを信じ、寝ることにした。


「ごめんな、紺」


 俺は逃げるように消灯し、布団に入った。

 さっきまで親しく会話をしていたじゃないか、大丈夫……と。


 だけど、この選択が大きな間違いであることに、どうして今気付けなかったのか。

 俺は本当にバカ野郎だと思った。

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