第25話 ナンパ

 食事を終えた後、紺と一緒に広場で行われるマジックショーやキャラクターショーの時間までを潰すために博物館を訪れた。

 しかし、思ったよりも早く館内を一通り見終えてしまい、時間をもて余した俺たちは、急遽お化け屋敷へ足を踏み入れることにした。


「きゃ、きゃああああああああぁぁぁっ!?!?」


 お化け屋敷の中は予想以上に怖く、紺は恐怖で震える手を俺の腕に強く押し付けた。

 冷たい風が吹き抜ける暗闇の中、何かがひそかに忍び寄る気配がして、俺たちの心臓を跳ね上がらせた——。


 そして、お化け屋敷を出てから俺は紺に声をかけた


「もう怖いの終わったから安心していいぞ」


 と、紺はまだ恐怖から完全に解放されていない様子で、俺の腕を強く握っていた。


「はぁ~~~怖かったぁ……すごいひんやりしてて雰囲気ありましたね~……」


 周りの視線が気になり「もう俺の腕は必要ないだろ?」と少し戸惑いながら言ったが、紺はすぐに反論した。


「要りますよ!? だって、また後ろから追いかけでもしにきたら……」

「しないって、考えすぎだろ……」

「シューチさんは信じてないんですか? 妖怪は私たちのすぐ身近に存在しているって言います!」

「そんなのアニメや漫画の読みすぎだよ」

「えー夢がないですね~」

「散々怖がってたクセに憧れてるのか?」


 そういうと紺は「あ、そうでした!」と我に還る。

 いやいやどっちなんだよと思いながらも、俺は提案した。


「とりあえず腰抜かしてるようなら椅子に座るか?」


 何だか身体に力が入っていないような気がしたからだ。

 怖い思いをすると腰を抜かすってよくあることらしいからな。


「そうですね、お言葉に甘えて」


 緊張の糸が解けたかのように、紺は最も近くにあったベンチに腰を下ろした。

 紺はお化け屋敷の後遺症か、未だに俺の腕をしっかりと握っている。その細い手は、恐怖がまだ彼女の心を離れていないことを物語っていた。


 やはり少しばかりの休憩が必要か。

 そこで、俺は提案する。


「少しだけ喉渇いてきたな」

「私がくっついたから暑くなってきたんですか?」

「はは、よーく分かってるじゃないか。自販機で水分買ってこようと思うんだけど要るか?」

「いやいや悪いですよ!」


 紺は急に謙虚な態度を見せるので、俺はさらに優しく言葉を重ねた。


「急に謙虚だな、遠慮しなくてもいいのに」

「だって休憩してるのは私が疲れちゃったせいですし」

「気にしなくてもいいのに、それに俺が行きたいんだから待っててくれないか」


 紺は一瞬悩むような表情を見せるが、すぐに決心したように頷いた。


「分かりました……じゃあすぐ帰ってきてくださいね?」

「もちろんだとも」


 そう言って、俺は自販機へと向かった。



 ◆◆◆◆



 こういう施設の自販機って割高なんだよなと思うが、思い出に勝るものはないからつい買ってしまう。これが消費者心理なんだろうと思いながらジッと並んだ飲料を眺める俺。


 そういえば紺の好みが分からない。

 頻繁に関わりのある女の子なのに、そんなことも知らない自分が恥ずかしい。

 興味があるとかないとか関係なく、俺はもっと他人に興味を持つべきではないかと思ってしまう。


 だったら、紺はどうして俺にそこまで興味を持ってくれているのか、そこを考えなくちゃいけないのではないだろうか。

 いや、何度か考えたことはあるし、答えは結局見つからないままここに至るわけだ。

 それをどうして今更考える必要があるのか……


「……ていうか、紺が待ってるから早く決めないと」


 俺は無難にジュースとお茶を選択した。

 紺が好きな飲み物を渡してあげればいいと思って、あえて違うものを選んだのだ。

 そして、紺の元へ戻ろうとすると——


「——ねぇキミ可愛いね、今日一人で来てるの?」


 ベンチの近くまでくると、紺が知らない男に声をかけられていた。

 紺は苦笑いを浮かべ、適当に相槌を打っているようだった。


「いえ、友達と来てるんですけど……」

「えーじゃあその友達が来るまで一緒に遊ぼうよ」


 俺はその光景を見てすぐに察した。

 これはいわゆるナンパというやつだろう。そして今がその時だ。

 だが、相手が若いのもあって気が引けた。本来、紺の隣に立っているのはこういう若い男ではないのかと。


「……どうするかな」


 様子を見るなんて冷たいかもしれない。

 だけど、俺は知りたい……自信がなかったのだ。

 もし紺がまんざらでもなくて、俺が入ってしまったら迷惑じゃないか?


「はっ……」


 だが、その懸念も杞憂に終わる。

 紺の手が震えている、困っている。

 どうして俺はこんなことをしてしまったんだ。

 情けない自分に腹が立ち、頬を叩く。


 ——ここは俺が助けるしかないだろう。


「あの、すみません」


 俺は二人の前に姿を現し、声をかけた。

 そして、男に向かって言う。


「この子俺の連れなんだが……何か用か?」


 男は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに薄ら笑いを浮かべながら言った。


「いやいや、オッサンこそ何? もしかして彼氏とか?」


 失礼なこれでも三十だ。

 男は紺を上から下まで舐めるように見ながら続けて言う。


「でもこの子が一人でいるから声かけただけなんだよね~、だから別に彼氏さんの許可なんていらないし」


 俺は男のその発言に少しイラッと来た。

 紺は別に一人でいたくて一人でいるわけではない、俺が飲み物を買ってくるのを待っていたのだから。


「いや、彼女は俺と来ているので」


 俺がそう言うと男は少し苛立ちながら言う。


「いやいやだからその友達が来るまで一緒に遊ぼうって言ってるだけじゃん? それとも何? キミが代わりに遊んでくれるの?」

「話聞いてるか?」

「ま、いいや話通じなさそうだし。お嬢ちゃん、俺と一緒に行こうよ」

「あっ、だめ……」


 俺は男のその行動に少しカチンと来た。

 男を制止すべく腕を掴み睨みつける。


「おい——」


 紺は腰を抜かしていて動けないんだ。なのに乱暴に扱いやがって。

 彼女は誰のモノでもないが、俺が守るべき相手だ。

 紺にまとわりつく厄介な虫を排除せんと、俺は拳を握りしめる——


「なになにマジギレ?? うっわこわ、大の大人が女の子一人にみっともな、ちょっと遊ぼうって言ってるだけ——グヘッ!?」


 ——バキッ!

 感情任せの一振り。男は地面に倒れる。


「いってぇな……オッサン何すんだよっ!」

「お前こそ、紺に何しようとした?」


 俺は男の胸倉を掴み上げる。そして、拳を振り上げた。


「まてまてまてっ!?」

「なんだ?」

「べ、別に殴らなくてもいいだろ!?」


 相手は懇願するように助けを求めた。

 だけど、俺は猛禽類のような鋭い眼差し。

 血も涙もない冷たいロボットのような返事で、相手を威嚇した。


「……そうだな。確かにその通りだ、だけれど胸糞悪いものは仕方ないだろう? こうでもしないと気が済まないんだ。殴るのは流石に少し気が引けるが——」

「ひ、ひぃっ……す、すいませんでしたぁっ……!!」


 俺は胸倉から手を放した。そして男は走って逃げていく。

 その瞬間——我に還った。


「はっ……や、やってしまった」


 一発殴ってしまった上に、脅し文句を吐いたことを猛省する。

 俺は慌てて紺の方を向いた。


「こ、紺……すまない……えっ」


 すると、紺が俺の服を掴んで俯いているではないか。

 逆に怖い思いをさせてしまったのだろうと、すぐさま謝った。


「ご、ごめん紺……! 流石に人を殴っちゃいけないのは分かってたけど感情に任せてしまった、本当にすまない、怖かったよな……?」


 こんな暴力漢を好きになる女なんていない、むしろ嫌うに違いない。

 だけど、涙ぐんだ紺は言った。


「た、助けてくれて、ありがとうございます……っ」

「……っ!」


 その表情を真っ直ぐに見れなかった、後ろめたかったから。

 なのに、紺は慈愛の表情を向けてくる。


「た、確かに殴っちゃうのはダメだと思います……けど、それ以上に私怖くて、やめてって言えなかったので、ぐすっ……シューチさんがきてくれないと思ってたから、あぅ……」

「お前が困ってたら絶対に助けるさ、すぐに行けなくてごめんな」


 そう言って——俺はそっと紺を抱きしめた。

 柔らかくて線の薄い身体は、やはり守ってあげなくてはいけない存在だということを自覚させてくれる。

 今ばかりは、周囲の目を気にするような野暮な真似はしなかった。

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