第21話 次の約束

 あれを口にした時のショックだろうか。

 酩酊感はやや退いたが、掻痒感は未だに皮膚を這う。

 それでも、混濁した意識がはっきりとしてきた時、頭上に感じる柔らかな重みに疑問を抱いた。


「あ、起きたんですね、よかったー!」


 紺の声が耳元で弾む。


「ん……なんだこれは?」


 自分の頭上に何かあることに気づいた俺は、訝しげに尋ねた。


「これってなんですかー!」


 紺が意外なほど怒っているように見えた。

 今、彼女の膝の上で俺は横たわっていたのだ。


「重くないのか?」


 懸念を抱きながら尋ねる。

 長時間の膝枕は血流を悪化させるとどこかで読んだことがあるからだ。


「さっき始めたばかりなので全然平気ですよ〜?」


 紺は明るく応じたが、彼女の小柄で華奢な体に長時間の負担をかけるわけにはいかない。

 気遣って俺はすぐに起き上がり、彼女に申し訳なさそうに言った。


「すまない」

「もうシューチさんったら、まだ寝ててくれてよかったのに」

「お前に迷惑かけるだろう」

「私の方が迷惑を掛けてるのでおあいこです♪」


 反論するも、紺の声はいつも通り明るく、迷惑だと感じている様子はない。

 別に迷惑など感じていないのにと思いつつ、俺は体を伸ばし疲れを解した。


「ふぁーあ……ていうか俺、結構寝てたんじゃないか?」

「3時間くらい寝てました、それはもうぐっすりと……ふふっ」


 そっと紺が笑いながら答える。


「寝顔を見られてたのは恥ずかしいな」

「ちゃーんと大きな口を開けて寝てました♡」


 紺の茶化す言葉に、俺は顔を赤くする。


「言うな言うな、すごい恥ずかしい気持ちになるから」


 半ば本気で拒否すると、紺は軽く落ち込んでしまったようで


「ご、ごめんなさい……ちょっとからかいたくって」


 と舌を出して笑うが、何となく表情には陰りがある。

 もしかして体調が悪いのかと気になる。


 そんな中で、別の疑問が浮かぶ。


「ところで伊豆さんはどうしたんだ?」食


 事中の事件後、彼女のことが気になった。

 紺は少し気まずそうに言う。


「せ、先輩は次の配信があるからといって帰りましたよ?」

「そうか、何気に忙しそうだもんな」


 伊豆の多忙を感じ取りつつ、紺へ視線を戻す。


「暇してるのは私くらいなものですからね〜……あはは」


 紺の笑顔には寂しさが混じっているように見えた。

 まぁ今の紺は自由だしな。

 スケジュールに追われることなく活動することが出来ている。


 だからこそ……というわけではないが、無茶なことをしたんじゃないかと思ったのだ。

「もしかして、お前もあの料理を食べたのか?」


 俺が投げかけたこの問いに対して、紺は明確に否定した。


「まっ、まさかあんなもの食べれませんよ、ゲテモノですから!」


 その断言に、俺は少し安堵する。

 だが、彼女の挙動には些細な変化が見られたのでつい聞いてしまった。


「起きてから元気ないし、少しだけ様子がおかしいから、もしかして無理矢理食べさせられたと思ったんだよな」


 と、更なる詮索を重ねると、紺はややあって首を横に振った。


「まさか、先輩がそんなことをするわけがないです。まぁ……少し変わったところはあるかなぁとは思いますけど♪」


 彼女がそう答えると、俺は一先ず安心し


「そうか、まぁ次に会った時にはちゃんと謝っておくか」


 そう言った。

 まぁ、紺の「何もなかった」という言葉を信じてはいるものの、どこかで引っかかっている。


 疲れてるのかもしれない。

 一日中、料理対決という企画をしていたのだから……と、俺はふと思い出す。


「紺の料理、少し残っていないか?」


 その会話の最中、空腹がこみ上げてきた。

 料理対決の余波で、何も食べられていなかったのだ。


「あっ、待っててくださいね……?」


 俺が尋ねると、紺は慌ててキッチンに向かった。


「……あっ、ごめんなさい。

 つい食べすぎちゃって、あまり残ってないんですけど……」


 彼女が恐縮しながらも、わずかながらに残った料理を運んでくれた。

 まぁ……本当に少量で、一口サイズの量しか残っておらず反応に困る。


「いただきます」


 だけど、一口食べるとその味は空腹を忘れさせるほどの満足感を与えてくれた。

 この物足りなさがより美味しさを感じさせる。


「やっぱり紺の料理は美味しいよな……優勝だ」

「優勝……?」

「だってほら、料理対決をしてただろ? そういうこと」

「あ……なるほど、ふふっ……やったぁっ♪」


 感嘆の声を漏らすと、紺は嬉しそうに頬を染めた。


「じゃあ、勝ったので私の言うことを一つ聞いて欲しいのですが……」


 彼女の言葉は遠慮がちでありながらも、何か特別な意味を含んでいるように感じられた。

 一体どこへ行きたいのだろうか。

 そんな彼女の願いを拒む理由もなく「俺にできることなら何でも聞くよ」と応じると、紺は目を輝かせた。


「来週、行きたい場所があるんです。シューチさんと一緒に行って欲しいのですが……」


 少しだけからかいたくなって、俺は言った。


「仕事がなければいいよ」

「え、じゃあ仕事があるかもしれないってことですか……?」


 徐々にしょんぼりと沈んだ表情になるので、俺は種明かしをした。


「冗談だって、そんなすぐに仕事が決まるわけないだろ?」

「えっ?」


 紺の顔に一瞬の間、戸惑いが浮かんだ後、安堵の表情が広がった。

 それでも、紺は少し拗ねるように俺を責める。


「せっかく私が誘ってるっていうのに、なんでそんな不安にさせるようなことを言うんですかー!」

「はは、嘘だよ。いつものことじゃないか」


 紺はそれでもまだ何かを言いたげだった。


「やっぱりシューチさんはまだ伊豆さんのことを忘れてないから……」

「ん、何か言ったか?」


 小声で何かを呟いていた。

 伊豆さんがどうこうと聞こえたような。


「な、何にも言ってません! じゃあ来週ですからね、忘れないでくださいねっ?」


 その無邪気なやり取りの中で、次週の約束が決まった。

 それを心待ちにしていた俺だが、紺は心のどこかで違った感情を抱えていたようだ。


 もっと早くに彼女の心の中にある思いに気付いてあげられれば良かった。

 その後、そう思うことになるとは、この時の俺には想像もつかなかった。

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