第19話 料理対決!③
「出来ましたよ~食べますか?」
紺の声が響く。
その声にはどこか楽しげな響きがあり、彼女の真剣さと同時に、どこか軽やかな雰囲気も漂っていた。
「当たり前だ」
「えーどうしよっかなぁ~?」
と、イタズラな口調で、ちらりと俺の顔を覗き込む。
その様子がまた、彼女のいたずらっぽさを感じさせた。「そんなこと言わずに食わせてくれ」と、思わず本音が漏れる。
「でもさっきの奇声、びっくりしたんですよ~?」
紺はニヤリと笑いながら言う。
その声にはどこか尋問のような響きがあり、俺の頭の中にその時のことは内緒にしておこうと一瞬、心の中でつぶやく。
「すまなかった、何でもするから食べさせてください」
「そっかぁ~シューチさんがそういうなら食べさせてあげないとですね~♡」
俺は懇願するように言うと、紺はそう頷く。
「はいどーぞ、シューチさんっ♡」
紺の手元には、まるで小さな宝石のように輝く海鮮丼が並べられ、その下には鮮やかな色合いのアジフライが置かれている。淡い光の中で、香りが一層引き立ち、食欲をそそるその光景に、俺の胃袋が激しく反応した。
「こ、これは……?」
俺は思わず尋ねた。
「これはアジを使った料理ですっ! 今が旬の季節ですし、安くてお店の人がたくさんくれたのでいっぱい作っちゃいましたー♪ ついでに余ったお金で野菜もですね~——」
アジでたたきを作り、それをご飯の上に載せたどんぶり物。紺が言うには男の人にとって食べやすい形にしたとコメントしており、よく考えてくれている。
そして余ったモノでてんぷらを揚げて、口直しにと余り物でみそ汁を作ってくれたのだ。
非常に構成度の高い手料理。
視覚と嗅覚が一瞬にして織りなすその美しさに、口の中の涎が止まらない。
「食べないんですか……?」
しばしその光景に見とれていたが、我に返って紺の顔を見る。
彼女の目は真剣そのもので、「食べて」という無言のメッセージが伝わってきた。
「も、もちろん食べる、食べるに決まってるじゃないか!」
紺が微笑みながら、俺の前に差し出す。
その一言が、まるで誘いの合図のように聞こえたのだ。
俺は深呼吸をして、箸を手に取った。
体の奥底から湧き上がる食欲と、次の瞬間に対する期待感が交錯しながら、俺はゆっくりとそのどんぶりに手を伸ばす——
「——ちょっと待ったー!」
伊豆さんの一声で俺の手は止められた。
「シューチくーん、こっちの料理もちゃーんと見てよねー?♡」
「お、おう、そうだった! 伊豆さんの料理は……はっ!?」
一方で、伊豆さんの料理が運ばれてくる。
……いや、それは料理と呼べるものだろうか。
異臭がした。いうならば、シュールストレミングという外国で一番臭いと言われている缶詰料理である。
……というか、どうやって調理したらこんな異臭が放たれるというのか。
「これ食わなきゃダメ?」
「あ、当たり前じゃん!? 私がせっかく作ったのに!」
ある程度は想定していた。
作った労力を考えると断るのも気が引けるが、予想をはるか大きく上回る出来で困惑してしまう。
「これ料理の見た目を成していないんだが」
「まぁ、問題は味って言うじゃんー?」
「だけどそもそも匂いが……食べれる雰囲気がしないぞ」
俺が口にすると、伊豆は屈託なく笑いながら言った。
彼女の言葉には楽観的な余裕が感じられたが、その匂いだけで既に胃が縮み上がる。
「いやいや、ゲテモノは美味しいって相場が決まってるじゃん? 納豆だって食べられる前はカビだとかって散々言われてたじゃない?」
「つまり、味は保証するんだな?」
「……にこっ」
ダメだ、これは間違いなくやられてしまうやつだ。
しかし——
「食べる順番を決めよう、さぁコンちゃんいくよー!」
「えっ、あぁはい!」
不戦敗にさせたかったのだが、勝手に料理対決を進めている。
「「さいしょはグー、じゃんけん——」」
紺と伊豆さんの勝負が決する。
勝利したのは伊豆さんで、先行を貰ったようだ。
「さ、シューチくん食べてよね?♪」
「うっそだろ……」
彼女の声には期待が詰まっていたが、俺の胸中は穏やかでない。
食中毒を起こしてしまいそうなこの料理を……? 何が何でも食べたくない。どうしよう……。
だけど、伊豆さんは悲しそうな表情でこう言うのだ。
「ごめん、食べてくれない……?」
「うっ……」
そんな顔をされた男は弱い。
「分かってる、分かってるよ……配信のスパチャに目が眩んでバカみたいな調理しちゃったっていうのは……だけど、シューチくんの為を思って料理をしたのはホント。これでも真剣に料理をしたつもりなの……」
だったら普通にするだろ。
……というツッコミは腹が減っていて出来なかったのかもしれない。
その真摯な言葉に心を動かされつつも、俺は葛藤する。普通にするべきだという理性と、彼女の一生懸命さに応えたいという感情の間で
「まぁ、食べてダメだったら紺の料理で口直しをすればいい話」
俺は自らを励ますように呟きながら、審査員としての役割を果たすべく、恐る恐る伊豆の料理に箸を伸ばす。
「い、いただきます……っ!」
空気が張り詰めるキッチンスタジオで、俺は自らを鼓舞しながら恐る恐る伊豆の不可解な料理に箸を伸ばす。周囲の視線が熱を帯び、彼女たちがその瞬間を捉えようとする中、俺の手は不安定に震えていた。
「い、いただきます……っ!」
料理の色合いはどこか地中海の夕日を思わせるが、そこから発せられる匂いは深海の腐海を連想させるものだった。
箸で摘んだその一口が、唇に触れると同時に、部屋中に充満していた異臭が強烈になる。
俺の中の警告システムが全力でストップをかけるが、伊豆の期待に満ちた眼差しに抗うことができず、大きな勢いでそれを口に放り込む。
「んんっ!?」
——瞬間、塩辛く、不可解な味が口の中で爆発する。
塩分の過剰摂取と未知の調味料の衝撃が、俺の味覚を完全に麻痺させた。まるで深海の奇妙な生物に噛まれたかのような衝撃で、俺の顔は苦痛に歪む。
「ぐぉほっ、げほ、んごごおぉぉぉ……ッ!?!?」
俺は呼吸が困難になり、咽びながらむせ返る。
こ、これはただ事ではない……。
「んお“ッ、げほげほッ、ごほぉぉぉ……ッ!?」
状況を察した紺と伊豆が慌てふためく中、俺は力尽きるように椅子から地面へと崩れ落ちる。
「しゅ、シューチさんーーっ!?」
全身に走る激痛と共に、焼けるような熱が全身を覆い、意識は朦朧とする。目の前の光景がぼやけ、紺の声が遠く霞む。
そんな中でも、伊豆の声だけが不自然にクリアに聞こえた。
「大丈夫!? シューチくーーん!?」
と彼女は必死の表情で俺に駆け寄る。
しかし、その顔も次第に霞み、闇に包まれる感覚に襲われた。
彼女たちの悲鳴が鳴り響く中、俺はただ、深い深い海の底へ沈んでいくような無力感に苛まれながら、全てを受け入れる。
そのまま料理対決はお開きとなったことは、後で知る事実であった——。
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