第17話 市場にて
冷たい海風が、市場の喧噪を少し和らげる。
俺はやることがなかった。
撮影をするのも良かったが、彼女たちの視点があるので各々が撮影した方が良いという話になり、俺はここでぼーっと座っていた。
考えることは、なんで伊豆さんといるんだろうなということ。
「わっ!」
「おわっ」
後ろから驚かせてきたのは伊豆さんだった。
手に袋をぶら下げてニシシと笑う。
「見てみて~新鮮な女の子持ってきたよ♡」
「伊豆さんが買われる側だったのか」
「そうだよー最近のパパ活事情はとても難しくてね……ってなんでやねーん、あははっ♪」
配信の時もこうなのだろうか。
いや、昔からそうだった。
いつも誰かを笑わせることが上手で、場のムードメーカー的存在だったな。
「つまんなそーな顔してたから早く帰ってきてあげたんだよ、ありがたく思ってよねっ」
「ありがとうな、まさか手伝えることがないとは思わなくて」
「私たちをここまで運んできてくれたことで十分働いてるよ! 何でもやらなきゃって思考はブラックな会社でこき使われるんだからダメなんだぞー?」
「あはは」
思わず笑みが零れてしまう。
すると、伊豆さんが意味ありげに俺に近づいてきた。
その表情はいつもとは違い、何かを訴えかけるようで、俺を少し緊張させる。
「ねぇねぇ分かってるんだよ」
と、彼女が得意げに言い出した。
その声には確信が溢れている。
「何が?」
俺は戸惑いを隠せないまま、彼女の瞳を直視した。
「——コンちゃんと上手くいってるんでしょ?」
伊豆さんのその言葉に、俺は思わず声を荒げてしまった。
「だ、だから本当に何もないんだって」
「ほんとにぃ~??」
「ほんとに、ほんとだって」
だけども、彼女は何度も問いただしてくる。
なのでしつこく釘を刺していると、彼女は少し怒ったように言い返した。
「——じゃあなんで私とキスしなかったの?」
「いや、それは付き合ってないんだから当然だろ」
俺の答えは即座に出たが、伊豆さんは納得していない様子だった。
「コンちゃんと何もないっていうなら、私だって考えがあるんだよ?」
彼女の声にはいつもの軽さがなく、むしろ深刻さがにじみ出ていた。
だけど、俺には苦い思い出がある。
「そもそも、俺は伊豆さんにフラれたじゃないか……」
高校時代。仮にも近い距離間で絡んでいたことは覚えている。
俺の痛さと勘違いで引き起こした結末を、忘れることはない。
「私も悪かったって思ってるし、後悔してるの。じゃなきゃ絡んでこなくない?」
伊豆さんのその言葉に、俺は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
「後悔なんてしなくていい、だって俺がバカだったから」
「それともなんだ、私のことまだビッチだと思ってるんでしょー!」
彼女のその言葉は、どこか冗談めかしていたが、俺には重くのしかかった。
「お、思ってない思ってない」
俺は急いで否定したが、伊豆さんの目はまだ俺を探るように見つめている。
彼女の一言一言に、俺の心はまるでジェットコースターのように上下してしまいそうだ。
仕方ないので、俺は本音を言う事にした。
「——もう恋愛はこりごりなんだ。推しの配信を眺めて癒されるだけで十分だ」
彼女は少し考えてから答えた。
「それってさ、妥協で生まれた発想だよね?」
伊豆さんはそれを指摘したが、俺は黙って何も答えなかった。
「人が星に手を伸ばさないのはなんでだと思う?」
「そもそも手に入れようとするものじゃないだろ。」
「夢がないね〜違うよぉ、手が届く場所にあったら星は誰でも掴むんだよ?」
伊豆さんは俺の考えを否定し、新たな視点を提示した。
「シューチくんは気付いてないんだ、星に手が届くって事に。」
その言葉に、俺は無言で彼女を見つめた。
なんで見つめてしまったか分からない、ただの反射だった。
「傷付くことが怖くて言い訳して、逃げるようになっちゃったんだね。ごめんね、私がそういう風にさせちゃったんだね」
そんなことを言わせたいわけじゃなのに。
なので「違うよ」と俺は静かに言った。
「ただ、俺が決めた人生だから。紺とはそういう関係じゃなくって、良い関係でいたいだけなんだ。だからあんまり追求しないでくれないか」
伊豆さんは呆れたような顔で、最後に言った。
「まぁ、キミのことはまだ諦めてないからね、だってせっかく再会したんだもの」
諦めてない——とても直球だった。
どうして今になって俺に構うのか分からないが、自分のペースを貫くことにする。
「せっかくだが、安売りはよくないぞ」
「安売りは専売特許だよ、だってビッチだからね♪」
「開き直るのもよくない」
ここまできたならはっきりと言うしかないのだろう。
「ごめん、ありがたい申し出だけど何度言われても俺はもう伊豆さんの期待には応えられないんだ」
伊豆さんは面食らったような顔をして、またいつもの澄ました顔に戻った。
「……そっか。んーなんかごめんねっ?」
「分かってくれたなら良かった」
本当に分かってくれたのか。
それとも俺をからかいたいだけなのかは未知数ではあるが、やめてくれたことにほっとする自分がいた。
そんなやりとりをしているうちに、紺が買い物を終えて戻ってくる。
「ただいまです~早いですねー」
「おかえりコンちゃん、企画慣れしてるからね♪」
何とも複雑な気持ちを抱えながら、俺は彼女たちと一緒に市場を後にした。
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