第15話 またこの流れ

 伊豆さんとの再会は予期せぬものだった。

 昼寝をしていて、起きたらこうなのだから。


 日が暮れかけ、俺のアパートメントに彼女が現れたのは、まるで映画の一場面のように劇的で、そして不思議な気持ちでいっぱいだった。


「伊豆さん……なんでここにいるんだ?」

「だって鍵が開いてたから」


 彼女は無邪気に笑い、その笑顔には昔から変わらぬ天真爛漫さが滲んでいた。


「そもそもの話を聞いてるんだが……」


 だけど、なんで住所を知っているのかと聞いている。

 伊豆さんは悪びれもせず答えるのだ。


「卒業アルバムの後ろの方に同窓会名簿ってあるじゃん? そこからシューチくんのおうちに電話して……ちょっとね♡」


 彼女の声は、かつての学校の廊下を駆け抜ける生徒の足音のように軽やかだった。


「こらこら」


 それは下手したら詐欺行為に繋がるのではないか?

 どういう聞き方をしたか分からないが、俺は不安を覚えてしまう。


「まぁ構えないでよ、せっかく旧友との再会をしたんだからさ♪」

「友達でもここまでしないと思うが」


 思わず「まぁいいや」と言いたくなるほどに清々しい。

 ただ、やはり気になってしまう。


「あのさ、男の家に勝手に乗り込んで、彼氏が知ったら驚くんじゃないか?」

「えーかれしぃ~?」


 変なことを聞いただろうか。

 彼女の声には驚きと戯れが混ざっていた。


「昔いたって聞いてたし、そもそも伊豆さんキレイだから今も違う彼氏がいるだろうと思って」

「ははーん? シューチくんはそう思ってくれてるんだぁ~私嬉しいなぁー♪」


 すると伊豆さんは瞳を細め、少し意地悪く言った。


「いないよ、もうだいぶ昔から彼氏なんて♪」

「そうなんだ、でもいそうだなぁとは思う」

「あーこういう仕事してると理解ある彼くんじゃないと無理なのよね~、ただでさえネットで色々な人と関わることしてるから、まずめんどくさくなる」


 少しだけ真剣そうに語ってくれた。


「てか私のことビッチだと思ってる?」

「いやいやそんなことは……」


 いや、突然男の家に凸するのだからビッチの気質があるのでは。

 思考を悟られたのか、疑いの目を向けてくる。


「なにその顔」

「ブサイクだろ」


 俺の言葉に伊豆さんは驚いたが、次の瞬間彼女はさらに衝撃的な提案をした。


「キスしてあげたら自信持つ?」

「なっ……」


 俺の戸惑いを楽しむかのように挑発してきた。

 やっぱりコイツ……いや伊豆さんはビッチなのか?

 たかだか旧友に会っただけでこんなことを言えるだろうか。


「するの? しないの?」

「え、えっと……」


 伊豆はまるでこれが全く普通の選択であるかのように軽やかに問い返した。


「え、えっと……」


 俺は悩んだ。

 この瞬間の選択が、何かを大きく変えてしまうかもしれないという予感がして……。


 下心は大いにある、男だからな。

 ここで「する」と答えたら、もしかしたら彼女との関係が一気に進展するのかもしれない。だけど「しない」と答えたら、これまでのように友人としての距離感になってしまう。


 一瞬の沈黙が空間を支配した。

 伊豆の表情は読み取れず、ただ待っていることだけが分かる。

 俺の心は、過去の記憶と今の現実の間で揺れ動いた。


 ——『まだ……だめなんですか?』


(……はっ!?)


 いや、最近キスされたことをふと思い出した。

 紺と——あの時のやり取りだ。紺とはまた違う種類の関係を築いてきたが、それが今、伊豆との間に影を落としている。


 伊豆を前にして、俺は決断した。


「……しない、そういうのは恋人としてくれ」


 そう断言すると、伊豆の顔に少し驚きが浮かんだが、すぐに柔らかな笑顔に変わった。


「わかった、シューチくんの気持ち、尊重するね」


 伊豆はそう言って、俺から少し距離を取る。

 その動作一つ一つに、彼女なりの配慮が感じられた。


「……ぷっ、あはは」


 けれど、屈託のない笑顔をみせて


「やっぱりシューチくんをからかうのは面白いね」

「なっ、冗談だったのかよ」

「そりゃあね、それともワンチャンあるかもって思っちゃった?♪」

「はぁ……」


 何を考えているのか分からない。

 だけど分かるのは、もし「する」を答えていたら酷く恥ずかしい思いをしていたことだろう。


「あーおもしろい、ホントにキスしちゃうところだったかも」

「それをビッチだっていうと思うんだが」

「ひどいー私をビッチ呼ばわりするんだー!」


 そりゃそうだよ。

 と、そんな会話をしていると


「……ん?」


 ——ドサッ。

 玄関で何かが落ちる音がした。


「まさか」


 これまでの繰り返しで身に染みている。

 玄関の所に誰かいる。


「悪い、ちょっと行ってくる……」


 伊豆さんは神妙な顔をして俺を見送る。

 間違いなくそこにいるだろう人物の名前を読んだ。


「……紺、今日は何しにきたんだ?」


 がっくりと項垂れている紺がいた。


「お楽しみ中にごめんなさい、私もう帰ろうと思います」

「誤解だ」


 すぐさま紺の腕を掴んで引き戻そうとするのだが


「大丈夫です大丈夫です! 二人がそんな関係だったことを知らずにお邪魔してごめんなさい。私は何も見ていませんから、どうぞ続きを」

「続きってなんだよ」

「それは屹立としたモノを撫で回したり、しとどに濡れそぼった——」

「わかった、ヤバイ表現やめてくれ」


 声のデカさだけでなく、違う意味でも近所迷惑だ。

 必死に宥めようとするのだが、紺は冷静さを欠いている。


 そんなやり取りをしていると、伊豆が玄関にやってきた。


「え?」


 そして、俺と紺を交互に見て一言。


「修羅場だ……」

「違うっての!!」


 弁解するのにとても時間がかかってしまうのだった。

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