第12話 オタク

 うん、やっぱり美味いなこのラーメン。

 煮干しをベースとしたスープは、塩気と旨味が絶妙なバランスで配合されていて、そこに背脂のコクが加わっている。

 麺も細いストレート麺でスープがよく絡み、食べていて飽きることがない。


 チャーシューは豚バラを醤油ベースのタレに漬け込んだもので、箸で持っただけでホロホロと崩れていく。

 メンマは歯ごたえがあり、コリコリとした食感が楽しい。

 味玉は半熟で、黄身がトロトロの状態でラーメンに絡めて食べると、味がマイルドになってまた違った味わいを楽しめる。


 炒飯もパラパラで、チャーシューの旨味がご飯に染み込んでいる。


 でもやっぱりラーメンなんだよな。

 麺を食べ終わると、スープを飲んで口の中をさっぱりさせる。

 ——そしてまたチャーシューを食べる。


 この無限ループがやめられねぇんだ。


「ん~~っ、おいひぃですねぇ~♡」


 紺の声も、店内のざわめきに溶け込んでいく。彼女の表情は、目の前のラーメンに対する純粋な喜びでいっぱいだった。


「そうだなぁー」


 紺と共に食事をすることで、何故かその美味しさが倍増する。

 彼女は単なる食事の相手以上のもの、一つのスパイスのような、いや、この野郎ばかりの甘くない空間で唯一の甘みを加えてくれるデザートのような存在だ。


「シューチさんって本当に美味しそうに食べますね~」

「そうか? 普通だと思うけど」

「私の手料理の時とは違う顔を見せているような?」


 まるでラーメンに嫉妬しているような口調。

 別にそういうわけじゃないんだよな。


「いいや、ラーメンは特別なんだ。この手の話題に関しては口が止まらないほどに」

「ほう……と言いますと?」


 紺が興味深げに尋ねる。

 下手に誤魔化すと誤解をされそうだと思って話した。


「例えばだな……ラーメンの麺って、実は中国からの伝来物なんだよ」

「それってどういうことですかー?」

「実は“拉麺”(ラーメン)という言葉自体が中国語で、麺を引っ張るという意味があるんだ。だからこそ、この手打ち麺みたいに伸びる感じが特徴的なんだよな」

「なるほどーじゃあすごく昔からラーメンってあったんですね」

「いいや、日本にラーメンが広まったのは、実は昭和時代に入ってからなんだ。それまではうどんやそばが主流だったんだ」

「じゃあ、ラーメンがこんなにポピュラーになったのって、実は最近ってことですか?」

「そう。特に戦後の食料不足の時に、ラーメンが手軽で栄養がある食べ物として広まったことが始まりだ」

「へぇ〜、ラーメンって歴史も深いんですね!」


 紺は感心しきりで、その知識に新たな興味を抱いているようだった。

 ついつい、俺も続けてしまう。


「あぁ、そんで地域によってラーメンの種類が全然違うのも面白いポイントかな。例えば、北海道の味噌ラーメン、九州のとんこつラーメン、それに東京の醤油ラーメンなどなど……」

「それぞれの地域で特色があるんですね。まぁ私はシューチさんと食べれるラーメンなら何でも美味しいですが♪」


 紺はそんな風に笑いながら返す。

 話の骨を折られたような心境になりながらも続けた。


「こ、コホン……それで各地域でラーメンの味が違うのは、その地域の気候や水、利用できる食材によるからだってさ」

「なるほどー……シューチさんと一緒だと食事が学びの時間になりますねぇ」


 紺は真剣な眼差しで俺を見つめながら言うので、口が止まらないではないか。


「店の方にも歴史はあるんだ。俺たちが今食べているこのラーメンも、店主が独学で中国の伝統的な技術を学んだ結果なんだ」

「ええっ、それ本当?」


 店の背景についても語ってみた。

 あらゆる口コミで知った内容だが、彼女が興味を持っているので続けようかと思う。


「あぁ、だからこの店のラーメンは、ちょっと本場の味がするんだ」

「これが中国の味……これに慣れちゃったら他のラーメンが食べられなくなりそうで怖いですぅ~……」


 紺はほんのりと悲し気な声で言った。


「そんなことないさ、ラーメンは奥が深いし時と場合にもよる。薄くて安っぽいラーメンも飲んだ後のハシゴで食べれば別格で、高級な肉を使ったラーメンよりもウマイことだってあり得るんだ」

「お酒はあんまり飲みませんが、シューチさんが飲むなら私もやってみようかな♪」


 紺はやや挑戦的に言い、その目がきらりと光る。


「まぁ人によって耐性はあるからな、無理はするなよ……?」


 と俺は忠告しながらも、彼女の意欲に微笑むしかない。

 そんな時だった——


「はいこのラーメン、メンマ気持ち多めでぇっ♪」


 ふざけたコールだった。

 珍しく女の客ではあるものの、俺は呆れてしまう。


「ここは二郎系ラーメンじゃないんだぞ……」

「じろう……? なんですか、それは」


 俺は紺に説明した。


 それはラーメン店「ラーメン二郎」を元祖にして典型・模範・標準とするラーメンのスタイル・系統ならびに二郎系のラーメンや二郎系のラーメンを出す店のことを意味する表現である。


 二郎系ラーメンといえば、「コール」と言われる独自のシステムがある。

 たとえば、店員から「ニンニク入れますか?」と聞かれた際、ニンニクについてだけでなく、野菜や脂、トッピングの種類と量も一緒に伝えなければならない。

 ただし、その注文は初心者には「呪文」のように聞こえるのが難点だ。


「へぇー私もやればよかったです!」

「いや、ここはそういう店じゃないから」


 紺にそう忠告している間にも、その客とのトラブルは続いている。


「お客さん、追加メンマなら料金が掛かるんですけど……」

「いや追加するほどじゃないんだよ。ほら、気持ち多めでいいんだって!」

「えぇ……」


 迷惑客に、店員も困惑している。

 この手のバカは相手にしないのがセオリーだが、店員は基本的に立場が弱く逆らえない。


「俺が行ってくるよ」


 なので、ラーメンを愛する俺はその客の所に行った。


「お客さん、そういうのやってないし他の客のご迷惑になるからやめてくれ」


 と注意する俺に対して、女は言った。


「あぁん? なにぃアンタァ~?」


 機嫌は良さそうなので、暴れることはなさそうだ。

 そんな女に俺は呆れながら言う。


「俺はただの客だ、周りが迷惑するからやめて……あ、あれ?」

「き、きみはぁ~っ!」


 と注意する俺に対して、女は言った。


「菊川君じゃーん、なんでこんな所にいるのー!?」


 目の前の女は伊豆あおいで、今日もっとも会いたくない相手であった。

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