第7話 再就職
無職の一日は早い。
これまで散々早起きしていたので、身体が早朝に起きることを覚えてしまっている。
そんな朝、何となく作った朝食が予想外の事実を突きつけた。
「不味い……」
俺の手作り料理は口にするのが苦痛なほどにまずく、食事は口にモノを運ぶ作業と化していた。
もしかすると、俺の舌が肥えているのかもしれない。
先日のハンバーグといい、紺の手料理に慣れて知らずのうちに比較してしまっている。
そんな危機感を覚えることから朝は始まった。
「やることないなぁ……」
ぼんやりとした気持ちで動画サイトを開いた。
デジタルの海は娯楽で満ちあふれており、俺のような時間を持て余す者には格好の暇つぶし道具だ。
仕事のない日の時間の過ごし方はとても気持ちが良い。
しかし、食後の眠気が襲いかかり、一時間も経たずに眠くなった。
惰性に、無駄な時間を過ごすのも悪くない。
寝ようかな……と思った時に、電話が鳴った。
「知らない番号だ、誰だろうか……」
勧誘か営業の可能性も考えたが、知り合いの可能性もある。
慎重に電話に出ると、どもりながら話す女性の声がした。
「も、もしもし……シューチさん……ですよね、へへ」
この話し方をする女に覚えがある。
「掛川……だよな? って、なんでお前が番号知ってるんだよ」
「そりゃあコンちゃんのマネージャーですから」
個人情報が流出している……お前たちは犯罪者集団か。
思わずため息が出てしまう。
「はぁ、それで何の用だよ……」
睡眠を邪魔されたので、イラつき混じりで尋ねると掛川は言う。
「あ、えっとですね……ひ、暇だったらウチで働きませんか……?」
「はぁ?」
軽く笑いながら掛川は言った。
「き、聞きましたけど無職なんですね……くすくす……あっ、いや笑いにきたわけじゃなくてですね」
「バカにしにきただろ」
「い、いやっ、ちがくって……ふふっ……」
一体何がおかしいのか、バカにしてますよと言わんばかりの口調。
だけど、話を遮るのは止そうと耳を傾ける。
「で、要件はなんだ?」
「ま、前にコンちゃんとハンバーグを食べに行った動画観ましたよ……。シューチさんがサムネ作りと編集、したそうじゃないですか……?」
「まぁそうだが」
「や、やっぱりそうなんですね、意外です……!」
俺は認めるが、軽くテロップを付けたりSEやBGMを付けるといった、学生でも訓練をすればできるんじゃないかと感じる程度で、サムネもそんなモンだ。
それにどれほどの価値があるのかは疑問だった。
だけど、掛川は嬉しそうに続ける。
「や、やっぱりコンちゃんはそういうのが苦手ですから、いつも私がやってたんですよね……」
「じゃあ俺にそういった仕事をやってくれってことか?」
「そ、そうなります……っ! い、今ある案件を全てやってくれれば、私の残業が60時間は減るので……」
「60時間……」
私は思わず声を落とした。
それは一か月に20日間出勤したとして、毎日3時間以上の残業を意味している。彼女の疲労困憊した声に、俺は何となく同情してしまった。
「わかった。じゃあ手伝ってやるよ。」
俺は思い切って応じた。
ブラックな会社で働いていた俺はどこか共感してしまうものがあったからだ。
「ほ、本当ですか!?」
彼女の驚きと喜びが電話越しに伝わってきた。
「当たり前だろ、まぁなんだかんだ世話になってるからな」
紺との関係を許して貰っているわけだし。
甘えてばかりではいられないと思って、快く承諾した。
「じゃ、じゃあ、早速事務所に来てほしいんです。ば、場所はですね……!」
◆◆◆◆
紺の所属する事務所『Anycode』は都心部にある。
家から電車で数本、10分歩いた先にあるデカいビルの中に入り、エレベーターに乗り込んだ。
事務所の階に着き、正面のインターホンを鳴らすと出迎えてくれたのは
「うっわーホントにきたんだ」
「……あれ、イズミじゃないか」
紺の
すごく久しぶりに見た顔だった。
「相変わらず冴えない顔してるなぁ~ちゃんと飯食ってんの?」
「あぁ、おかげさまで……」
「お か げ さ ま で !
私の女のメシを頂けてる卑しい豚ってことね、うんうん分かってるじゃん」
深読みが酷すぎて帰りたくなった。
相変わらず俺が紺を盗ったことを根に持っているらしい。
いや、盗ったつもりはないんだが。
「今日は掛川の仕事の手伝いをしにきたんだが」
「知ってる知ってる、掛川さん死んじゃうから手伝ったげて~」
そう言われ、俺は彼女の後を付いていった。
内装はとてもキレイで『ザ・今時のベンチャー』といった見栄え。
中には『防音室』や『撮影室』など、様々な部屋が設けられており、そこで配信や動画を撮るメンバーがいるらしい。
部外者がこんな所を見ても良いのだろうか……と悩んでいると、デスクが多く立ち並ぶ部屋にやってきた。
「あ、シューチさん、本当に来たんですね……」
「呼ばれたら来るだろ」
「ま、万が一のことがありますし……に、逃げられた時のことを数パターン、考えてました……」
「考えるなよ」
そんな俺たちのやり取りにイズミは
「大丈夫大丈夫、コイツが逃げたら私が家まで追いかけてあげるから!」
「追いかけてどうするんだ?」
「それは……逃げてからのお楽しみ♪」
口に指を当ててニコリと笑う。
そんなに嫌な仕事なのだろうかと、掛川に尋ねた。
「手伝いって何をすればいいんだ?」
「あ、はい……こ、ここにいくつかのデータがありまして……」
掛川は俺が使う用のPCとデスクを用意してくれており、そこからデータをいくつか取り出した。
それは事務所に所属する演者の撮影データで、俺にそれを全て良い感じに編集してくれという注文であった。
「なんだ、その程度のことか。もっと激ヤバな案件かと思ったぞ」
「へ、編集の際にいくつか要望があるのですが、大丈夫ですか……?」
「許容範囲内だ、教えてくれ」
俺は掛川から仕事の話を聞いていると、イズミが感心していた。
「へぇ~シューチってそういう事も出来たんだ、意外。そういう仕事してたっけ? それともどっかで習ったの?」
「昔にちょっとな、別に大したことじゃないが」
そういうと、掛川は鼻を鳴らす。
「いやいや! サムネの配色は理にかなってるし、しかも所々でAftereffectとか使ったような部分もありませんでした?」
「まぁ……昔やった事をそのままやってるだけだよ」
褒められて恥ずかしいので、そう答えた。
「ふーん、まぁ掛川さんに信頼されてるって事なら自信持っていいんじゃない?」
イズミは踵を返し、どこかへ向かい出す。
「じゃ、私これから撮影があるから、頑張ってねー」
「ありがとな」
彼女がいなくなった後、掛川に声を掛けた。
「俺たちも仕事を始めますか」
「そうですね」
そして、俺たちは編集という名の仕事を始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます