第36話 活動休止
「よし時間がやってきた」
寝室の床に座り込んでいた俺は、仕事の疲れをいやす為にパソコンを立ち上げる。
紺に貰ったご飯をレンチンし、優雅な一時を過ごす独身男性の出来上がりってわけだ。
「今日も楽しみだなぁ~」
まだ始まるまで時間があるので食事を始める。
開始までの待機時間、相変わらずコメントがうるさい。
『まだかまだか~?』
『シコってくるわw』
『↑はい通報しました通報』
『今日は荒れてんな~』
『はよ食わせろ』
『ういっす、オラ絹川コン』
『きちゃあああああああああ』
『は? おいどうした元気ないやん』
『偽物乙』
配信を控えた紺のアイコンが画面を飾り、その下にはファンからの期待に満ちたコメントが流れていた。
基本的にコンちゃんの配信は民度の良いコメントしか流れない。
だけど、今日はファンの皆がざわついていた。
「始まるまでちょっと遅いな……機材トラブルか?」
まぁよくある話で、配信が出来ない状況にあると待機時間が長くなりがちだ。
俺のような最初から楽しみにしてる輩は、やはり落ち着かない。
「まったく何年視聴者やってんだお前たちは」
画面越しに説教してご飯を咀嚼する。
時計の針が動くにつれ、配信の開始時間が迫っていく。
シューチはふと画面を見返すと、いつの間にか配信が始まっていた。しかし、紺の姿はどこにもない。代わりに、画面はひたすらに暗いままで、不穏な静けさが漂っていた。
ファンの間で不安が広がり始め、コメント欄はますます活発になっていった。
『……断ろうと、思います』
昨日の紺の言葉が、耳にこだまする。
俺はその時、何も考えずに「いいんじゃないか?」と答えてしまっていた。
「……まだ引きずってる、わけじゃないよな?」
すると、突然画面が切り替わりこのようなテロップが流れ
——『今日から無期限の休止に入ります』という冷たい音声メッセージが流れた。
「……は?」
コメント欄も一瞬沈黙した後、絶望に沈んだファンたちによって大荒れに。
『なんでだよ!? いやなんでですか!?』
『いやああああああ』
『うわあああああああああ』
俺はしばらく呆然としていた。
「……はい? ウッソだろお前……」
その画面は、いまだに彼女の休止告知のテロップで固まっており、混乱したコメントが次々と流れていた。周囲の騒ぎに比べ、部屋の中は異様な静けさに包まれていて、ただ時計の秒針の動く音が耳障りに響いていた。
昨日のことが原因なのか、だとしても大胆過ぎる。
「おいおいマジかよ……」
何も事情を知らない奴が「やっちゃえよ」なんて、軽率に言うべきじゃなかった。
少なくとも俺は、その判断がファンたちに大きな悲しみを与えてしまったことを後悔している。
ファンたちが望んでいたのはこういう事ではなかったはずだから。
「……いや、違うだろ俺」
これは紺が決めた事だ。
何か目的があって行動した結果なのだから、俺が悔やんだりすべきではない。
「俺がどう思おうと紺の気持ちは変わらないハズだ」
いずれ起きていた事態かもしれない。
それに俺は言ったじゃないか「好きにしろ」と。
含めて「信じている」「何があっても味方でいてやる」と、そういう意味も含めて返答したのだ。
だから……、どうなろうと紺を信じるだけ。
『お前いい加減にしろ!』
コメント欄の暴言がエスカレートしていく中、俺は連投を繰り返した。
『配信者だって疲れる時があるんだ』
『絹川コンはお前らの“モノ”じゃない』
『たまには長期休暇くらいあげろよ』
ファンの中には、心配している人や困惑している人も多いが
『そんなん知ったこっちゃない! とにかく復帰しろ!!』
『かわいそうなんだぞ俺たちが!』
と、荒ぶる輩も多い。
「そうだよ……こいつらの言うとおりだ」
コメント欄でも多くのユーザーたちが『復帰してくれ』と訴えかけている。
『てめぇいい加減にしろよ』と、他ならぬ俺も言ってやりたい。
コイツら以上に待ち遠しいのは俺自身なんだ。
俺が最初期から推していて、毎回配信を心待ちにしていて、コンという推しを人生の拠り所にしてしまっている俺が、俺が一番言いたいんだ。
だけど、誰がなんと言おうと、俺は彼女の決断を尊重しようと思ったのだ。
『復帰してくれ』なんて、口が裂けても言えない。
もし言ってしまっては、彼女はまた縛り付けられてしまうかもしれない。
『もし彼女が過労で倒れてたらどうするんだ、お前たちは責任とれるのか』
『それは……』
『なんなんだよお前!』
せめてファンに気持ちを伝えなければ。
俺は泣きながら必死にキーボードを叩いた。
『とにかく今はファンのみんなと一緒に応援するしかないんだよ!』
紺から何も知らされず不安を抱えたままコメントを打ち続ける。
無期限休止ってどういう意味だ? もしかして二度と帰ってこないんじゃないか?
飯どころか、このまま一生……
「うぐ……うぐぇえええ……一番俺が辛いんだよ……」
俺は……泣きながらコメントを送りつける男になっていた。
そう連投しているうちに、ファンたちは呆れながらもすぐに受け入れた様で、コメント欄が落ち着いていく。
『そうだよな、俺たちが信じて待つしかないよな』
『チャンネル登録してなかったからこの際だしやっておこうか』
『まだやってなかったのかよエアプ乙』
俺は崩れるように椅子に背を預けた。
「……はぁ」
室内はいつもの静寂さを取り戻している。
もう何も懸念がなくなったことを実感し、少しだけ気が楽になった気がした。
俺はやはり1ファンなのだなと思うと同時に、人間って勝手だなとも思ってしまった。
——『復帰するまで他コンテンツはやってやらないぞ』
さっきまでの荒れようはなんだったんだと思うばかり。
そんな奴も多かったし、まぁ俺もそういう一人なわけだ。
けど、配信者の意思を尊重したいという心もあり、このような結果に落ち着いたということである。
「よし」
俺はパソコンをスリープモードにして、就寝することにした。
その夜、何度も紺からの連絡を待ったが、一向に彼女からの返事はない。
「まぁ……俺に構ってる余裕はないんだろう」
そして翌朝、予期せぬ訪問者が彼の平穏を更に奪った。
家のドアが激しく叩かれる音に驚いて飛び起きたシューチは、ドアを開けるとそこに立っていたのは掛川だった。
「コンちゃんはどこ?」
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