第32話 説教

 もう疲れて一歩も動けなかった。

 だけど、紺の奇天烈な姿を見た事によって途端に身体の疲労は吹き飛び、妙なやる気が湧いてきた。

 俺は彼女を救わなくてはいけない……というより、純粋に紺の可愛い姿に惹かれる自分がいたのかもしれない。


「あのですね、待ってくださいって言いましたよね? なんで聞かないんですか?」


 俺と掛川は正座をさせられている。

 年下の女の子に説教をさせられている。

 恐らく、紺は本当に恐ろしいほどの眼光で俺を睨んでいるつもりだろうが、全然怖くない。チャイナ服で説教なんてむしろご褒美か? 愛しさを感じてしまう。


「えっと……掛川を止めようと思ったんだが体力がなくて」

「普段から働きすぎなんですよ! 私の役に立つ気があるんですか!」

「そうだな、すまない……手伝いにきたのにこのザマで」


 一応は反省する。

 確かに紺の都合だってあるだろうし、自分の家で不本意な出来事を起こされればたまったものじゃないからな。日頃の迷惑被っている俺だからこそ、理解はあるつもりだったが


「だから早く仕事なんてやめて私のヒモになってくださいって言ったじゃないですか!」

「ごめん何の話?」

「シューチさんとの将来のお話です」

「だから何の話?」


 要は働きすぎって言いたいんだよな?

 変な愛情を向けられている。

 怒り過ぎて紺は知性が吹き飛んでしまったのだろうか。

 会社に一人くらいはいるよな、キレると訳の分からない理屈持ち出す上司。


「私、本当に怒ってるんですよ! まだシューチさんに身も心も捧げていないのにそんな……っ!!」

「いいから早く着替えてくれない?」


 紺はようやく自分がチャイナ服を着ていることを自覚したのか、顔を赤くしながら慌て始めた。

 そして、紺が奥の部屋に入って着替えに行った所で、隣の掛川が俺の手を掴んできた。


「おい、痛いから離せよ」

「ねぇ君って本当になんなの?」


 掛川の瞳は真っ黒に染まり、恨みのこもった声で問いかけてくる。

 酷く憎悪の念に駆られていた。


「なにってなんだよ。紺とはただの知り合いで……んがっ!?」


 突如、掛川から首を掴まれた。

 猛禽類のような力強さ、鋭さで指が食い込んでくる。

 本気で俺を殺しにかかっているようだ。


「お、おい落ち津け……おい……!」

「これが落ち着いていられる……? コンちゃんにあんなことを言わせる男がいていいと思ってる?」

「た、確かにそうだ……俺にはそんな資格はない……」

「だよね? なのになんで? なんで?」

「お“、お”い……っ、いい加減に……しろ……っ!」


 ベチッ、と手の甲を叩くと仕方なしにその手を離してくれた。

 あまりの痛さに目がチカチカする。もう意識が吹っ飛びそうだった。


 呼吸困難に陥りながらも新鮮な酸素を吸入していく。


「はぁ、はぁはぁ……ごめんね……ついカッとなって……でも貴方が悪いんだよ……」

「ゲホッ、ゲホ……なんでそんなに紺に執着しているんだよ」


 若干キレ気味に尋ねるのだが、その答えは異常者といっても過言ではなかった。


「だって……私はコンちゃんのことが好きだからだよ……。もちろん、恋愛的な意味でね……だからいつか結婚しようとね……ふへ、ふへへへぇ……」


 掛川は照れ臭そうに笑うと、頭をポリポリと掻きながらそう言うのだ。

 彼女の気持ちには嘘偽りのない真実であることが伝わってきたので、心底驚いた。

 まぁ……男だけでなく、紺のことを好いている女なんてこの世に腐るほどいるよな、だって紺ちゃんは今日も可愛いから。


「なのにヒモ? 将来の話? 私聞いてないんだよ?」


 紺が余計なことを言うから変な誤解を受けてしまった。

 ため息交じりで俺は説明する。


「どう説明したらいいか分からないんだが……まぁ、こっちだって色々と大変な目に遭ってるんだよ」

「ふーん、大変な目ねぇ……あんな可愛い女の子を前にして大変とか言っちゃうんだ?」

「それは同意しかねるが……っていででで、く、首を絞めてくるな……!」


 答えを間違えると即座に首を絞めてくる。なんて危険なヤツなんだろうか。


「前も一緒に買い物に行ってる姿を見たけど、随分と慕われてるようだよね。君ってさ、本当はコンちゃんのヒモなんじゃないの?」


 そう見られてもおかしくはない。

 俺は一体、紺にとってのなんだろうか。少し悩んだ。


 当然、推しとファンの関係性は伏せるとして……恋人ではない。

 かといって、ただの友達ではない気がする。

 一緒に飯を食ってたくさん会話をした関係なのに、知人で済ませるのはなんだか寂しく感じたからだ。

 歳が離れているので、危ない関係性を疑われると紺の不利益になる。

 だったらなんて言うのが正解だ?


「黙ってないで何とか言いなさいよ、やっぱりヒモなんじゃないの?」


 うるさいな、今考えてるんだよ。

 悩んだ末に出た答えがこれだった。


「違うって……あいつには恩があんだよ……」

「どんな? どうやって恩を返すの?」


 グイグイと質問責めしてくる。しつこい女め。


「それはだな、まぁなんていうか……今日は紺の手伝いにきた、ただそれだけなんだ」

「じゃあなんで手伝いにきたの?」

「だから俺は紺に恩があるからで……」

「はっきりしない人ですね、私みたいな変な女には適当な答えでいいって思ってるんですね?」

「分かってるならイチイチその言動やめろよ」


 ……とまぁ。

 何とかひねり出した回答だった故に、俺は深くは答えられないのは事実。

 でも、間違ってはいないはずだ。

 最初は恩返しから始まった関係性なのだから。


「お待たせしました~♪」


 そんな時、救いの手を差し伸べられた。

 着替えを済ませた紺が、奥の部屋からやってきたのだ。

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