第16話 風邪
それはひょっこりと現れる野良猫のように気まぐれで、喉に死神の鎌でも当てられているような、タチの悪いモノだった。
「げっ……38度……」
朝起きると倦怠感と咳が出たので熱を測ってみるとこの通り。
まぁ、そのうち治るだろうと立ち上がって仕事の準備をするも、目眩と吐き気が襲い来る。
なので、有給を使わせてもらった。
『大丈夫?』
「はぁ……な、なんとか……」
早速上司に連絡を取ると、いつもの凛とした声。
せっかくの有給をこんな所で消化したことと、仕事の力になれないことに非常に申し訳無さを感じてしまう。
『全然大丈夫そうな声をしてないよ』
「そう、ですかね……」
俺は滅多に仕事を休むことがない方だと自負しているので、上司に連絡を取ると案の定心配された。
同時に、残念そうな様子も伺える。
『今日もたくさんご褒美があったのに』
先輩の言うご褒美とは『仕事』の事だ。また案件をたくさん抱え込んできたのだろう。
まったく、キャパオーバーな仕事をまた押し付けてくるつもりだったのか。
俺が休んだことで、そろそろ自分の仕事のやり方に懲りて欲しいモノだ。
「すいません……今日はマジでヤバくて、その……」
『まぁ分かってるし大丈夫だよ、いつも大変だもんね』
「そうですね……仕事の疲れが来たのかもしれないです」
先輩は「だよね」と頷いてくれた。
『ゆっくり休んでね』
「あ、ありがとうございます……」
よかった。
きっと俺の『仕事が多すぎる』という気持ちを汲み取ってくれたのだろう——
『——休めるのは今だけだからね』
ガチャッ。ツー、ツー……。
だが、不吉な言葉を言い残し、先輩は電話を切ってしまった。
……ただの冗談だよな?
はは、先輩はユーモアに長けてるなぁ……びっくりするじゃないか。
いや、早く嘘だと言ってくれ。
マジでゆっくり休める気がしない。
その後すぐにラインで『冗談だよ、ゆっくりね』と来たのですぐさまベッドに潜り込んだ。
「はぁぁぁ……休まなくては」
休めると分かった瞬間、謎の力が湧いてくるという都市伝説を聞いたことがあるのだが、全然湧いてこない。
本当に風邪をひいてしまったのだろう。
どこで貰ってきたのだろうか。思い当たるのはやはり、紺との買い物の時か。
「……あいつは大丈夫なのかな」
少しだけ心配した。
もし彼女も体調を崩していたら配信を休んでいるかもしれない。
そういえば、今から配信をするとネットに書いてあったな。すごくタイミングがいい。
なので、ちょっと覗いてみると……
『おはようございます皆さんっ、眠たいけど今日もやってくよっ♪』
「きょ、ぎょうも、がわいい……」
ツライ時はやはり推し活に限る。
俺は可能な限りブヒッた。
コンちゃんは今日も可愛いのだが、頭が痛い。
まさか、自分のしわがれ声が頭に響くとは思わなかった。
『今日はですね~ゲームしながら最近お出かけした内容を配信したいと思いますっ♪』
コメント:こんちゃー
コメント:待ってた!
コメント:いつ行ってきたの?
コメント:こんちゃんこんちゃん!
コメント:おれもいきたかったー
いつも通りコメントがたくさん沸いている。
やっぱり身体と心を休める際には配信が一番だ。
「俺もちょびっとだけコメントしておこうか……」
コメントに『風邪ひいたけど楽しみ』と書き込んでみると
『あ、シューチさ……じゃなくて、みんな今日もありがとねっ♡』
今、俺の名前が聞こえたような気がした。
ちゃんとコメントを読み上げながら配信しているコンちゃんはえらい。
ついついコメント欄を加速させたくなってしまう。
『でね、その友達が現金持ってなくて——』
雑談配信の中身は、俺との買い物の話である。
予備の機材を友人と買いに行き、その後良い喫茶店に入った。あそこのスイーツは美味しかったよ、と。
デザートとスイーツの違いという質問を投げかけたり、自分なりの解釈を述べたりと、たくさんお話をしている。
てか、こんなことを話のネタにしてもらうなんて非常に恐縮だ。すごく仲の良い友人という体で話を進めてくれている。
『その子と何も無かったのって? えっ、そ、それはどういう……!?』
「ちょっ」
百合を想像したがる連中がコメントでやらしい事を書いてコンちゃんを困らせている。
相手は俺なんだよな……だからそこまで取り乱さなくてもと思うのだが
「あ、あぁ〜うん、良い関係だよ……? あはは、はは……」
と、ぎこちない反応を見せてしまうので、明日には切り抜かれているのだろうなと思った。
やっぱり休日というのは最高だ。
自由に配信を見れるのはもちろんのこと、普段できない事をできる時間がある。
なので、俺はコンちゃんの話をずっと聞き入っていたのだが
『あ……じゃあそろそろ終わりにしましょうか』
と、一時間にも満たない所で配信は終わってしまった。
「今日は早いんだな……」
最近、配信時間が短くなっているので少し物足りなさを感じてしまう。
まぁ過去配信を追いやすいので、ありがたいと言えばありがたいのだが。
「ん、なんか元気が出てきたな」
コンちゃんの配信のおかげか、気分が良くなってきた。
時間を持て余した俺は、シャワーを浴びてから近所のスーパーへと足を運ぶことにする。
「……よし、今日は何を作ろうかな」
冷蔵庫の中を確認しつつ献立を考える。
久しぶりに自分で作ろうという気になったのだ。
紺に飯を作って貰って、舌が自炊の味を覚えてしまったのかもしれない。
まぁ、病は食生活からくるともいうし、栄養のあるものを食べようと思う。
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