第7話 朝食

 土曜の朝は惰眠を貪るものだ。

 一週間の疲れを取る為に、寝貯めをするのが普通だろう。

 しかし、どこかから漂う良い匂いのせいで俺の意識が浮上し始める。


「うーん……」


 炊けたご飯、みそ汁と焼き魚の香りが鼻をくすぐる。

 同時に、腹が鳴ってしまい目覚めないわけにはいかなかった。

 その香りに誘われるようにして布団から起き上がると——


「おはようございますシューチさんっ♪」


 ——エプロン姿をした紺がキッチンに立っていた。


「……なんでここにいるんだよ」

「もっと他に良い朝の挨拶はないんですかっ!」

「どうしてここにいらっしゃるのですか」

「丁寧に言ってもだめですっ!」


 カンッ! とおたまで鍋を叩く紺。

 いやいやなんで逆ギレされなきゃならんのだ。


「そういう素直じゃないシューチさんは朝食抜きです」


 低姿勢になればご飯を食べさせてくれるのか。

 まぁ、ありがたいことには変わりはないんだよな。


「じゃあ素直になるから教えてくれないか、どうやって俺の家に入ったんだ?」

「いいですよ、それはですね——」


 すると、フフンと笑い紺はポケットからある物を取り出した。


「——じゃじゃんっ♪ これで中に入りましたー♡」


 俺がカギをかけ忘れていたのなら良かった。

 だが違う。

 紺が取り出したのはピッキングで使うような“針金”だったのだから。


「って、不法侵入やないかいッ!!」

「シューチさんキレキレですね」


 つい関西弁になってしまう。

 それほどにまで驚いてしまったからだ。


「お前な?」

「はい」

「住居侵入罪って知ってるか?」

「はい、それがなにか」


 開き直っているのかなんなのか。

 俺は紺に向き合い尋ねた。


「質問きてた。恩人の家に勝手に入ることは犯罪ですか?(ATOM法律事務所)」

「結論、犯罪じゃありません」

「犯罪だよバカ」


 コツンと頭を叩いた。

 この態度、まさしく犯罪者である。

 可愛い顔してやってる事が怖すぎるんだよ、おい。


 以前はゴミを漁って俺の個人情報を収集しては、今回はこれである。

 俺は呆れてものも言えなかった。


「とにかく、朝食を作って待っていました」

「そうか、いつもありがとうな……ってなると思うか!?」


 思わずツッコんでしまう。

 だっておかしいだろ。鍵をかけておいたはずなのに勝手に入られて、おまけに朝食を作っているとか。『突撃!となりの朝ごはん』か?

 そんな朝のワイドショーみたいな展開があってたまるものか。


「さてはお前、他にも俺に隠していることがあるんじゃないだろうな?」

「あはは、そんなことあるわけないじゃないですかー♡」


 俺は紺に対して不信感しかなかった。

 これは絶対にあるだろうと思うのが自然である。


「まさかとは思うが、俺の部屋に入って盗聴器でも仕掛けたりしてないだろうな?」

「……………………」

「おい黙るな」


 怪しさ満載の言動にゾッとしてきた。

 待て待て待て……図星なのか?

 もしそうだったら俺はどうしたらいい。


「まさかとは思うけど本当に——」

「ち、違いますっ! 私はストーカーではありませんっ!!」


 慌てて否定する紺。

 必死さが伝わってくるのだが……。


「それを今更言われても説得力がないぞ」

「うぅ……」


 否定してもなお疑いの目を向ける俺に、紺はしゅんとして俯く。

 ちょっと悪いことを言ったかもしれないと思った。


「万が一、私がストーキングする時はシューチさんだけですから……」

「ん?」

「えへへー」


 頬を赤らめ照れている紺を見て、俺は一瞬だけ思考停止してしまった。

 ……あれ? 今とんでもない事を聞いた気がするぞ。

 聞き間違いであって欲しいと思いながら恐る恐る口を開く。


「……あのな、紺。もう一度聞くが俺のストーカー」

「はい、言いました」

「なぁ最後まで話しさせてくれない?」


 ストーカーって競技だっけ?

 追いかける側が逃げる側にどれだけの精神的ダメージを与えられるか、ポイント制になってたりする?

 ストーカーではないにしても……なにかしらの方法で俺の情報を集めているのだろうか。


「ストーカーではありますけど、不法侵入をしたわけではないので信じてもらえませんか」

「否定しろよそこはさ」


 俺は諦めたようにため息をつき、紺に尋ねた。


「まぁいいや、それでどうして俺の家に入って朝食なんか作ってるんだ?」


 きっと何かと理由をこじつけて、俺への恩返しと言うつもりだろう。

 いつもそうだからな。

 もしそう言ってきたら、俺からも厳しく言ってやらねばならない。


「え、覚えてないんですか?」

「何をだよ」


 しかし、実際にはそんな甘いものではなかった。


「昨日……あれだけ私に酷いことをシておいて……」


 ポッと頬を紅潮させて、口元を押さえている。

 潤んだ瞳でチラチラとこちらを見つめており、その仕草に俺は冷汗をかいてしまった。


「ま、まさか……」

「やっぱり、本当に覚えてないんですね……」

「す、すまないっ! 言える範囲でいいから教えてくれないか」

「いいですけど、それより……ご飯食べませんか?」


 紺が火を止めて、鍋の蓋を開けると味噌汁の良い香りが部屋中に広がった。

 お腹の虫も鳴ってしまい、紺の作った朝食を食べないわけにはいかない。


「じゃあ、先に食べるとしようか……」

「はい、食事をしながらゆっくりお話ししましょう」


 なんということだ。

 まさかこんなことになるなんて。

 人生で一番の失態ではないかと、俺の中で最悪の事態が現実味を帯び始める。


 今、あれこれと後悔と反省が入り混じる心境ではあるのだが、何故今回もくだらない事態が起こっていることに気付けなかったのだろうかと、後で後悔するのであった。

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