第2話 既成事実

 紺からの着信が見つかってから、先輩がヤケに話しかけてくる。

 また寝たりサボって連絡を返すと思われているのだろうか。

 それは困る。

 見張られたり拘束されると余計に仕事がやりづらくなるものだから。


 なので今日はいつも以上に集中し、仕事を早く終わらせた。


「じゃあお疲れ様です先輩」

「待って、私も終わったから」

「早いですね」

「キミと一緒に帰ろうと思ってね」


 先輩に引き留められる。

 まぁ、最寄り駅までならいいかと思ったら


「てか、飲みに行かない?」

「えっ」


 唐突なお誘いだった。

 まぁ、普段何かと断ってしまっているのでたまにはいいかもしれない。


「……先輩の奢りなら」


 と、ちょっと小粋なジョークを挟んだのだが、こう返された。


「え、逆じゃないの?」

「えっ」

「ほら、女の子」


 焼津先輩は自身を指差し、上目遣いで見つめてくる。

 なるほど、女性扱いしろという事か。

 恋愛感情に乏しい俺は首を横に振った。


「俺たち先輩と後輩の関係じゃないですか、女の子扱いなんてできませんよ」

「なんで? 私のこと嫌い?」

「いや、そうじゃなくてですね……」


 先輩に誘惑に負けそうになる俺が嫌なのだ。

 それに、きっと奢れば後で損した気分になるだろうし……そういう事にしておこう。


「そっか、私のコト嫌いだもんね。たくさん仕事押し付けてくるし……」


 だけど、まだ攻めてくる。

 そういう事されると弱いのでやめて欲しい。


「そんなことないですよ、いつも助かってますし」

「でも女の子として見てないでしょ」

「そりゃあ上司ですから……」

「私はキミのこと、男の子だと思って見てるよ?」


 ドキッとした。


「あの……からかわないでもらえます?」

「からかってるかどうか、お酒の席で確かめてみる?」

「いやいや……あ、ちょっと!」


 ビルを出たところで、ぐいと腕を掴まれた。

 まさかもう酔っているんじゃなかろうか、お酒でなく雰囲気というやつに。

 俺が狼狽えていると突然、横からそれはやってきた。


「だ、だめです——っ!」


 ハッと振り向くと、そこには紺がいた。


「お前なんでここに……!?」


 そして、血相を変えてこちらに向かってくるではないか。


「シューチさんが嫌がってます、やめてください!」

「あれ紺ちゃんじゃない」


 先輩が俺から腕を離すと紺に近寄った。


「……もしかして、嫉妬しちゃった?」

「そ、そんなこと……ありますっ!!」


 あるのかよ。


「お酒が飲めるっていうことに!」


 そっちかよ。


「お酒の付き合いができる大人って羨ましいです……」


 さらに褒めるのかよ。


「私が二十歳になったら……負けませんから……!」


 それ負けヒロインのセリフじゃね?

 ようやく自分の言った事に気付いたのか、紺は我に還った。


「はっ……ま、負けを認めたワケじゃありませんからねっ!」

「ふふ、相変わらず可愛い子ね」


 先輩は紺の頭を撫でてクスリと微笑んだ。


「はっ、貴女は焼津さん!? お久しぶりです!?」

「今頃気付くのかよ」


 ツッコミどころ満載の出会いに、俺は呆れてしまう。

 しかも、こんな事まで言う始末。


「まさか、焼津さんがシューチさんにセクハラをしているとは思わなくて、つい……」

「ホント俺の立場が危うくなるような事言わないでくれないか、頼むから」

「え、どうしてですか?」

「あのだな……」


 上司をセクハラ呼ばわりする紺に、ヒヤヒヤしてしまう俺。

 社会人には色々あるんだよと言っておいた。


「まぁいいや、ところでどうしてこんな所にやってきたんだ?」

「え、シューチさんに行くって連絡を送ったはずですが……?」

「は?」


 紺はスマホを取り出し画面を見せた。

 そこには俺とのやり取りがある。


「これですこれ! 仕事終わりに迎えに行っていいですかって送ったら『わかった』って返事をくれたじゃないですか」

「えぇ……全然覚えてないぞ、どれどれ」


 向けられた画面を確認してみる。


『それよりも——そろそろ私のご飯が寂しくなりました?』→『悪い、今仕事中なんだ』

『食べたい料理を教えてください』→『悪い、今仕事中なんだ』

『じゃあ今日作りに行っていいですか?』→『わかった』

『え、仕事終わりに迎えに行っていいんですか?』→『わかった』

『じゃあ本当に行きますね』→『わかった』


 その後、紺は『じゃあ行きますね』と送っている。

 俺は頭を抱えた。


「……すまん、仕事中だったから適当に返してた」

「え、えぇ!?」


 驚く紺。非常に申し訳ない気持ちになってくる。

 女の子をこんな夜遅くにまで出歩かせるなんて、俺は……


「まさか既成事実を作れてしまったとは……」

「……ん?」


 ぶつぶつと何かを言っていたので耳を傾けた。


「絶対適当に返事してるだろうなと思って話の流れを作ってみたら、まさかこうも上手くいくとは……」

「おい、聞こえたぞ」


 紺から悪意を感じた。

 俺の返事が適当であることを理解した上で、わざわざ仕事終わりに押しかけたという事だ。知らなかったら罪の意識に捕らわれていた。


「でも、それだけ会いたかったんです……」


 紺は寂しそうな表情を向けていた。

 まぁ、あれ以来全然会ってなかったしな。

 人と会いたい気持ちになるのはそう悪い事ではない。

 人付き合いの悪い俺からすれば良い事だ。だったら——


「あーじゃあ……先輩、紺を飲みに連れていきませんか?」

「ん、もちろんいいよ?」


 二つ返事で了承してくれた。

 だけど、その表情は少し寂しそうだったのは気のせいか。


「いいよな、紺?」

「えっ……はいっ、もちろんですっ♪」


 満足そうな紺を見ると嬉しい気持ちになる。

 こうして、俺たちは夜の街に向かって行った。

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