2章

第1話 着信

 ——この日常が終わるまで、残り1時間。

 刺激的な人生を謳歌したいと思いつつも、結局は退屈な日常に埋没してしまうのが人間という生き物だ。

 だが、その時間にも終わりはある。

 いつかは必ず、どんな形でも終わってしまうのだ。


『きゃっ、ちょっとやめてよーっ、あっ待ってー♡』


 昼休み、時間の使い方は人によって様々だ。

 休息以外にも自己研鑽に励んだり、仲間たちと共に雑談に勤しんだり、意中の相手なんかがいれば給湯室や特別な場所へと誘うなど……社会人の数だけ過ごし方があると言っていいだろう。


『ねー、聞いてるのー? あーもうっ! 言う事聞いてよぉ~』


 しかし、望まない形で休憩時間を過ごしている者もいる。

 俺は大体この後者。

 いつもながらに書類を捌いて仕事に奮闘していて……。


『——くん、——池君』

「ん、んん……」


 だから、面倒な事に巻き込まれないうちに、休憩時間は外でゆっくりと過ごすべきだったのだが——


「——菊川君。ねぇ、ねぇってば」

「……へ?」


 顔を上げるとポロリとイヤホンが外れる。

 紺の声がしたと思ったら、目の前には怪訝そうな顔をした焼津先輩が立っていた。


 どうやら、休憩時間に配信を聴きながら仕事をしているうちに眠ってしまったらしい。

 時計を見ると時刻は既に午後2時前を指している。


「えっと……すみません、寝てました」

「いいよ別に。私だってよくやるから」


 そんな姿を見せた事ないくせに。

 そう言って俺の隣にある椅子に腰かけると、デスクの上に置いてあったお茶を一口飲んだ。

 そして、溜息をつくように呟いた。


「まったく、何度声をかけても起きないんだもの。こっちは心配してたのに」

「す、すいません。それで何か用でしたか?」

「別に寝てたら寝てたで良かったけど、ちょっとそれがうるさくて」

「え“っ……」


 俺はすぐさまスマホを確認した。

 だが、音漏れはしていないようで、音量を最大にしても何も聞こえてこない。

 一体どこからだろうと首を傾げていると、今度は俺の肩を叩き始めた。


「それだよ、今も着信が鳴った」


 俺のスマホが何度も振動していたようだ。

 それが隣の席の先輩の所にまで響いていたらしい。


「ああ……すいません」


 イヤホンをしていると案外気付かないものだ。

 次からは気を付けないと。


「出ないなら電源切ればいいじゃない。なんでそのままにしてるの」

「いや、でも大事な電話かもしれないですし」

「こんなに何度もかけてくる時点で大事ではないと思うよ」


 それもそうだなと思い、言われた通りに画面を操作する。

 すると、案の定ラインの通知が99+件届いていた。


「カンストしてんじゃねえかよ……」


 こんなに頻繁に連絡を寄越してくる相手を知っている。

 画面を開いてみれば案の定——


『いってきましたー♡』『写真を送信しました』

『これシューチさんみたいですねw』

『いましごとですかー?』『わたしは休みでーす♪』

『スタンプを送信しました』『それよりも——』


 ——紺からのメッセージだった。

 内容はどれも似たようなもので、くだらないモノばかりである。

 既読をつけてしまった以上無視するわけにもいかないため、一つ一つ返信していく。


『悪い、仕事中なんだ』『わかった』

『明日見るよ』『また連絡してくれ』


 すぐに返事が来ると思っていたが、予想に反して既読すらつかない。


「……」


 まぁ、さっきまで配信していたしな。こういう事もあるだろう。

 いつもの事だし気にする必要もない。


「なに? 紺ちゃん?」

「ぐふっ!?」


 変なむせ方をしてしまい、図星だとバレてしまう。

 妙な誤解が生まれている気がする。


「ち、違いますよ! たまたまですよ!」

「違うって何が? 私は紺ちゃんから来たの? って聞いただけだけど」


 自分から墓穴を掘ってしまっている気がする。


「あー……ま、まぁそうですけど……なんかイタズラでたまに送ってくるんですよ」

「ふーん、そうなんだ」

「なんですかその目は」


 すると先輩はジト目で


「菊川君は誰にでも優しいなって思っただけよ」


 と告げた。絶対誤解されているなと思いながら、スマホをポケットにしまう。


「それで? なんて返したの?」

「えっと……仕事中だからって返しました」

「そっか、よかった」

「はい……?」


 確かに仕事中だしそう返すのが正しいのだが、焼津先輩の「よかった」はどこか別の意味を含んでいたような気がした。

 だけど、いつも澄ました顔をしているせいで区別が付かない。

 気のせいだろうか……。


「さ、寝てた分取り戻すよ。もう仕事しようね」

「分かりました」


 結局それ以上追求する事はなく、俺たちは再びデスクに向かった。

 カタカタとパソコンに向かい合いながら考える。


 最近、紺からの連絡が多くなった。

 あの事件があってからだろうか、俺たちの仲はちょっと深まってしまった気がする。


 いや、リアルで深まっちゃいけないんだよ。

 改めて言う。

 俺、菊川周知は豚である。

 VTuberを推す豚、いわばバチャ豚だ。


 お相手の榛原紺さんは人気急上昇中のVTuber『絹川コン』なのである。

 推しとファンの関係。

 それが周囲にバレれば炎上モノである。


 だから節度を守った交流をしていたいのだが、この通り。

 今度会った時はしっかりと言ってやらねばならない。

 そう、今度こそは……と不毛な誓いを立てるのであった。

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